ミカンから布②妖精たちとドレス
ドレスショップ『オランジェール』の朝は、優雅に始まる。
カララン――
来店を告げる鐘の音と共にお客様を迎えるのは、飾ってある花のさりげない香りと、「いらっしゃいませ」と上品な笑顔の美男美女。エスコートされて向かった部屋では、デザイナーが美しいデザイン画集を揃えて待っている。品の良い会話をほんの少し。その後はドレスの打合せが始まったり、仮縫いのドレスをお披露目したりと、それぞれだが、華やかで優雅な空間がそこにはある。のだと思う。
ただ、妖精たちが見えているノギにとっては、今日も陽気な妖精たちに囲まれて、賑やかな事この上ない。
『ねぇねぇ! あれ! 私も描いて!』
デザインの打合せをしている部屋をのぞいた妖精が騒ぐ。
『ずるい私もー!』
「わ、っぷ。前が見えないっ」
大量の布地サンプルを抱えていたノギの周りを、妖精たちがぐるぐる飛び回る。キラキラした粉が目の前を舞い、一瞬だけ何も見えなくなった。
ぐらっ。
「あ」
どたんっ!
転んだ拍子に、抱えていたサンプルが派手に床へ散らばる。羽根のように軽い布がふわりと舞い落ちて、ノギの頭へ降りかかった。
「ちょっと、何やってるのよ」
「も、申し訳ございません!」
近くを通りかかったデザイナーが眉をひそめた。ノギは慌てて布を拾い集める。
(言えない。妖精が原因です、なんて)
他の人には見えていないみたいだから。
もし妖精が見えるなんて知られたら、気味悪がられるかもしれない。せっかく手に入れた仕事なのに、ここを追い出されたくない。
「どんくさい子ね……髪まで崩れているじゃない」
デザイナーは呆れたように言った。
「奥に引っ込んで直してきなさいよ」
「はい……」
そう言い残して去っていく。
『わぁい! 布のプールだ〜!』
『ふわふわー!』
『きれーい!』
きゃっきゃと騒ぐ妖精たちを見て、ノギは深いため息しか出てこない。
「わかった……」
『?』
「私が、いいよって言うまで待ってられたら、描いてあげる」
『ほんと!?』
『やったぁ!』
「だから今は待って」
妖精たちは顔を見合わせる。
『待つ』
『なにを?』
『待つんだって!』
(長くは待ちそうにないなぁ……)
ノギは遠い目になった。
◇
奥の部屋でモタモタと三つ編みを直す。くるっとお団子にしたところで、搬入口の方から元気な声が聞こえてきた。
「どうも〜! 布材のお届けに上がりました!」
「あっ、はい!」
振り返ると、大きな巻物が二本。
周囲を見渡しても、ノギの他には誰もいない。とりあえず受け取ったものの、どうして良いのか分からないので、遠くをスタスタと歩いているデザイナーへ声をかける。
「あのっ」
真っ直ぐに前を見たまま、通り過ぎてしまった。仕方がないので、次の人に声をかける。
「あのっっ」
また素通りされてしまった。気を取り直して三人目にも声をかけたが、やっぱり見向きもされない。
(忙しいんだなぁ……)
まごまごしていると、「どうした?」と見習いの青年が足を止めてくれた。
「布が届いたんですが、どちらに置いたら良いでしょうか」
「あぁ、それなら先に糊を洗い落としておいて」
「分かりました。その後は、どちらに運べば良いですか?」
「取りに行くから、裏庭に干したままでお願い」
「分かりました」
◇
真夏の日差しを避けるように、木陰に移動する。布を広げて、ノギは息を呑んだ。
「うわぁ……」
生地の向こう側が透けて見えるほど薄い、白い布。しかも光を受けるたび、細かな粒がきらきらと輝いていて、とても涼しげだった。
「すごく綺麗……」
『ねぇ、まだ?』
「まだ。これ洗わないといけないの」
『ふふ』
妖精が笑う。
『洗うの? へーんなの』
「?」
『ただの水で洗ったら怒っちゃうよ』
「??」
(なにが?)
『よし、分かった!』
『手伝ってあげる!!』
妖精たちは元気よく飛び上がった。
ノギは首を傾げながらも、水を出す。さすがに水流魔法で勢いよく洗うのは怖いから、そぉっと。慎重に、布を傷めないように手洗いしていく。
手伝うと言っていた妖精たちは、水の上をくるくる回りながら遊んでいた。
『終わった!』
『遊ぶんだよ!』
『デッサン! ドレス!』
「はいはい、順番ねー。ケンカしたら終わりだよ」
待ちかねていた妖精たちが一斉に集まってくる。
おしゃれ好きな彼女たちは、花びらを縫い合わせた妖精の服を着ている子もいれば、絵本で見たような異国の服を着ている子まで色々で、見ているだけで楽しい。
『見て! お花のドレス!』
「うん、素敵だね」
『私はエキゾチック!』
「えきぞちっく?」
『見て〜! お姫様!』
「わぁ……」
ノギは目を丸くした。
「本物のお姫様って、こうなのかな」
次々に描かれて行くドレスを見て、妖精たちは嬉しそうに笑った。
◇
一方その頃。
『オランジェール』の店内では、店長のマダム・セドラが困惑していた。
「おかしいわね……」
「マダム・セドラ、どうかしましたか?」
「月銀の羽衣が届くはずなのだけれど」
周囲がざわつく。
「月銀の!? すごいですね、どなたの注文ですか?」
「レディ・ベルガモットのお得意様よ。あと少しで、夏の終わりの大夜会があるでしょう? そのドレスの、仕上げに使うの」
その場の空気が変わった。王都から取り寄せる、滅多に手に入らない稀少布。この街に代わりなど存在しない。
「誰か知らない?」
しばらく返事がなかったが。
「……そういえばお昼前に、雑用の子が何か持って歩いてなかった?」
「僕は覚えがありませんね」
「私も知らないわ」
ざわつくものの、本当に思い出せないのか、あるいは不穏な空気を察して黙っているのか。知らないと言う者ばかりで話が進まない。
「はぁ、直接聞くわ。呼んできて」
◇
午後、店へ戻ったノギはいきなり腕を引っ張られた。
「あなた!」
「ひゃっ!?」
「月銀の羽衣を知らない!?」
普段はピンと背を伸ばして格好良く歩いているデザイナーさんが、ノギの腕をガシッと掴んだままぐいぐい引っ張っていく。
「あの、午前中に届いた布の事ですか?」
「月明かりで瞬く雪ような、儚げで神秘的な布よ、見れば分かるはずだわ」
歩くのが速い。脚が長い。
小柄なノギは小走りでついていく。
(な、なんでこんなに慌ててるの?)
「午前中に届いた材料を受け取ったのは、あなた?」
「あっ、はい」
「はー……。なんで持って来ないの?」
「え、あの――」
意味が分からない。
「適当に扱っていい品物ではないのよ? あなたもここで働く者なら、きちんと自覚を持ってもらわないと困るわ」
「あの、聞いてみたのですが――」
「言い訳は必要ないわ」
(なんで!?)
前方には、怖い顔をしたデザイナーさんがたくさん集まっているのが見える。こ、怖いっ。ホントに何?
「あの、糊を洗い流すように言われましたので――」
だいぶ近づいたので、ノギたちの会話が聞こえたのだろう。マダム・セドラの表情が凍りついたのが見える。
「待ってっ!」
声を張り上げ、ノギの方へ駆け寄ってくる。
「その布は洗っちゃダメよっ!!」
「えっ!」
「!! 洗っちゃった!?」
「あの、もう干して――」
「なんてこと……!」
周囲からヒソヒソと声が上がる。
「それでは、もう使えないだろう」
「今から手配をかけ直したって、間に合わない」
「あの布を洗えなんて、誰が言うのかしら」
冷たい視線が、一斉にノギに集まる。
「クビが怖くて、嘘をついてるんじゃ……」
その言葉に、ノギの顔が真っ青になった。
(く、クビ!?)
仕事。部屋。生活。全部、全部なくなる!
「そんな……」
(ほんとに、洗ってって言われたのに)
集まっていたデザイナーさんたちを見渡すが、誰に言われたのかハッキリ分からない。おしゃれな男の人だったな、とは思うけど、みんなおしゃれだし、誰も目を合わせてくれない。
ノギの胸が絶望感でいっぱいになった、その時だった。
「待って」
その場にセドラの声が響き、しんと静まった。
「違う布かもしれないし、責めている場合ではないわ」
彼女は真っ直ぐノギを見た。
「まずは確認させて」
落ち着きを取り戻したマダム・セドラに案内を促されて、ノギは来た道を戻る。
(どうしよう、どうしよう。妖精たちが言ってた「怒っちゃう」って、この事だったの?)
そして一行は、険しい顔のマダム・セドラを先頭に、ゾロゾロと裏庭へ向かうのだった。




