ミカンから布① ドレスショップ『オランジェール』
貴族御用達のドレスショップ『オランジェール』には、色とりどりの布が溢れていた。
柔らかな桃色。深い海を思わせる青。淡く輝く若葉の緑。
「『オランジェール』のドレスは、色も生地も豊富で楽しいわ」
「ええ。本当に素敵ですこと」
店内では、着飾った女性たちが楽しそうに会話を交わしている。
「ねぇ、あの方のデザインは、もう飽きてしまったの。他の方にかえて頂ける?」
「前回のドレス、とても評判が良かったの! また同じ方にお願いしたいわ」
そんな声の中を、自信に満ちた足取りで歩いていくデザイナーたち。その後ろには、見習いたちがデザイン画集を持って付き従っていた。
そして、その横を小柄な少女が慌ただしく走り回っていた。布地サンプルを運び、個室を片付け、頼まれた物を取りに行く。ノギは今日も、雑用係として忙しく働いていた。
◇
「ここの、三番から十五番までのサンプルを持って」
「かしこまりました」
ノギが棚へ向かうと、布地サンプルの上に座っていた妖精が、ふわりと飛び上がった。
『ねぇねぇ、こっち! こっちもきれいだよ!』
妖精。そう、妖精だ。
疲れすぎて見える幻覚だと思っていた光の玉は、いつの間にか人に近い形を取るようになっていた。
『三番だって!』
『よん、ごーろくなな、はちきゅっじゅー!』
妖精たちは、よく喋る。
「えーと、三から十五、三から十五……」
『じゅうろく、じゅーはち』
(いや、十七は)
思わず心の中でツッコミを入れつつ、サンプルにシワをつけないように、慎重に手に取っていく。
さらさらとした薄い布。つるりとした、よく滑る布。色々な質感の布をまとめて持つのは、なかなか難しい。
『この布が良い!』
『えーこっちだよ』
「分かった分かった」
返事をしながら布を抱え直すと、デザイナーが「ん? 何?」と不思議そうに振り返った。
「いえ、なんでもありません」
「そう? じゃ、ついてきて」
「かしこまりました」
どうやら、この妖精たちが見えるのはノギだけらしい。
『あはは! お花の色がいっぱいだね』
『お花、あっちにあったよ』
『行こう、行こーう!』
ふわっと飛んで、妖精たちは遠ざかっていった。棚に飾られた帽子の造花に群がり、きゃあきゃあと楽しそうに笑っている。
◇
ノギは、布を落とさないように抱えながらデザイナーについて歩く。
「アーノルドさん、次のお客様はこちらの部屋でお待ちです」
「ん、分かったよ」
淡い金髪と柔らかそうな癖毛。整った顔立ちに、細身の身体に仕立ての良いシャツを着こなす彼は、この『オランジェール』の人気デザイナーの一人だ。
「お待たせいたしました、お嬢様」
この柔らかな声と優しい笑顔に、頬を染める女性客も多いのだとか。
「こちらの水色なら、お嬢様の銀髪は夏の湖面に差す朝日のように輝くことでしょう。一度目にしたなら、誰もがお嬢様を忘れられなくなる」
「まぁ……」
女性客が嬉しそうに目を細める。
「やっぱりアーノルドのセンスは素敵ね」
「ありがとうございます」
(ふーん)
お互いへの褒め言葉と微笑みを見て、ノギは素直に感心した。
(いろんな仕事の仕方があるんだなぁ)
常に楽をすることばかり考えていた前の店長とは、だいぶ違う。
そんなことを考えながら、持ってきたサンプルをテーブルの端にそぉっと置く。すると、部屋の外を通り過ぎる女性客たちの会話が聞こえてきた。
「レディ・ベルガモットのデザインですって」
「月の女神のような美しさでしたわね……」
レディ・ベルガモットは、ここ『オランジェール』のトップデザイナーだ。
(大人気のお店なんだなぁ)
目の前のお嬢様も、うっとりしながらデザイン画を見ているもんね。アーノルドさんも、優しく見守って……。
(あれ?)
彼は、先ほどの女性客たちが通りすぎていった扉を、不機嫌そうな目で見ていた。
「ねぇ、アーノルド。こちらのデザインだとどうかしら?」
「素晴らしいです。夏の夜空の下で出会った紳士は、きっと妖精が舞い降りたと勘違いしてしまいますね」
「アーノルドったら……」
うふふ、と笑うお嬢様へにっこりと笑顔を向けるアーノルドさんに、先ほどの冷たさは全く感じられない。
(うるさかったのかな?)
ノギは首を傾げたが、わずかな疑問をいつまでも持っているほどヒマではない。先ほど帰っていったお客さんたちがいた部屋を片付けに行かないと。
◇
仕事を終えると、ノギは私服に着替えて店を後にした。
立派な店が並ぶ大通りから横道に入り、のんびりした空気が流れる夕方の市場を抜けて、曲がりくねった路地を下る。
やがて、人が一人通れる程度の細い道へ。
両側には背の高い建物がひしめいていて、見上げるといくつもの窓が見える。その窓の一つに、ノギが借りている部屋があった。
狭い階段をトントンっと上り、鍵を開ける。
「ただいまぁ~、私の部屋~」
ベッドと小さなテーブル、それから鍋や木箱を置く程度の空間しかない、物置のような部屋だったがノギは気に入っていた。なんといっても、初めての自分だけの部屋。暗く、陽の入ることのない窓も、いびつな台形の間取りも、まったく気にならない。
壁の向こうから、ガタゴトと音がする。隣の部屋では、夕飯の支度を始めたようだ。
ノギも棚から鍋を取り出し、お湯を沸かし始める。
木箱には、市場で買ってきたニンジンとじゃがいも。奮発して買ったパンは棚にある。うん。私、ちゃんと生活できてる。
『パンだ!』
『パサパサしてる〜!』
『いい匂いー!』
いつの間にか、棚の周りを妖精たちがくるくる飛び回っていた。
「へへっ」
ノギは小さく笑った。
ずっと、このままなら良いな。




