安らぎの午後
「それでは、大変申し訳ないのですが。すぐ出立の準備を整えてください」
「しゅったつ……?」
どうしよう。従者さんが何言ってるのか分かんない。
「? お聞きした限りだと、ノギさんはこちらに住まわれているのですよね? でしたら、荷物をまとめてください。このまま馬車に載せて向かいましょう」
困っているノギを見て、説明を足してくれた。
(そっか、荷物!)
ウッドリー様は、ガイルとなにやら書類を書いている。あれが終わったらすぐに帰っちゃうのかも。急がないと!
とはいえ、準備に時間はかからない。ノギは休憩室をそのまま借りて住み込んでいたため、荷物らしい荷物はほとんどない。出かける元気も時間もなかったため、私物と呼べる物も増えていなかった。休憩室に置いてあるのは、支給された制服と、数枚の着替え。孤児院を出た日に持ってきた小さな袋。それだけだ。
「準備、できましたっ」
全部をひとまとめにして店内へ戻ると、ちょうどウッドリー様たちの書類も書き終わったようだった。
「ではガイル君。これからよろしく頼むよ」
「は、はいっ。ありがとうございます」
従者さんが店の扉を開けると、目の前には二台の馬車が待機していた。近くには、馬に乗った護衛の人たちが何人もいる。
豪華な馬車には、ウッドリー様とネロリ様が乗り込んでいく。
その後ろの馬車も立派だった。少し小さいけれど、この街では見たこともないような造りだ。
(これに乗って怒られない……?)
思わず、自分の荷物と座席の布を見比べる。手に持っているのは、擦り切れてボロボロの麻袋。これから乗るのは、なんだか高そうな布製の座席。
(立っていれば大丈夫……?)
「大丈夫ですよ。こちらは、荷物などを運ぶ馬車です。立っていると危ないので、座ってくださいね」
どうやら、声に出していたらしい。ノギの後ろで、従者さんとメイドさんが笑っていた。
◇
「お父様っ。あんな孤児を連れて帰ってどうなさいますのっ」
馬車が動き出すと、ネロリは拗ねた声を上げながらウッドリーに寄り掛かった。
「連れて帰りはせんよ」
わがままを言うネロリの頭を撫でながら、ウッドリーは苦笑して答える。
「どこか途中の店に預ける予定だ」
「そうですの?」
ネロリは納得した顔をし、それからすぐに頬を赤く染めて微笑んだ。
「……あの方は、こちらへ来られませんの?」
「ガイル君かい?」
「そ、その。はい」
もじもじする娘に、ウッドリーは思わず笑う。
「ネロリや。彼にはここで商売をしてもらう都合があるからね」
「そうですの……」
「新店舗を構えるまでに何度も視察には来る。その時は随行させよう」
「本当ですのっ?」
ぱっと顔を輝かせる娘の姿に、ウッドリーは目を細めた。
まったく。社交界で生き抜くには、この娘は表情が素直すぎる。
だが、男爵家ならこのままでも良いではないかとも思う。そのせいで、自分も父もついつい甘やかしてしまうのだ。
(店に出入りするようになれば、高位貴族と顔を合わせる機会も増える。……しばらくは、あの青年に夢中になっていてもらうのも悪くないか)
そう思いながら、遠ざかっていく小さな街を眺めた。
その後ろの馬車では、ノギが荷物を抱えたまま座っていた。向かいには従者とメイドが座っている。二人とも、目が合うとふわりと微笑んでくれた。
ガタゴトと、馬車が揺れる。
初めて座ったふかふかの椅子と、大人からの優しい眼差し。先ほどまでの緊張感からの解放で、ノギの目はだんだん重くなってきてしまった。
(従者さん達しかいないし……少しだけなら……)
そう思った瞬間、ノギの首がこくりと落ちた。
「……すぴー」
あまりの早さに、メイドが目を丸くする。
「この子、寝てしまいましたね」
従者が苦笑した。
「座ってそれほど経っていませんが。よほど疲れていたのでしょうね」
ノギが働きだしてから初めての、安心して眠った時間だった。
◇
しばらくして、先頭を走っていた護衛が声を上げた。
「止まれっ!」
街道脇の森から飛び出してきた複数の影を見て、護衛の顔色が変わる。
「野犬の群れ……?」
一見して大きめの犬に見えた。だが、毛並みは黒ずみ、異常なほどヨダレを垂らしている。目は赤く濁っていた。
「魔獣だ!!」
護衛たちの間に緊張が走る。
「馬車を守れ!」
「来るぞ!」
剣を抜く音が重なった。
その頃。
「すぴー……」
ノギは麻袋を抱きしめたまま、ぐっすり眠っていた。
外の様子を見ていたメイドが尋ねる。
「起こしますか?」
「いえ」
従者は首を横に振った。
「必要ないでしょう」
大声を出しながら魔獣をけん制する護衛たちの中から、一頭の馬が進み出る。
「くっ……数が多い!」
護衛の一人が顔をしかめる。
だが、前に出たその男は落ち着いた表情のまま馬を止めた。
今回の視察には十人の護衛が同行していたが、白い外套を羽織っているのはその男だけだ。教会へ多額の寄付をして同行を願った、浄化の聖人である。
「下がっていてください」
静かな声だった。ゆっくりと右手を前へ向ける。そして。
「消え去るがいい。不浄なるものよ」
ゴゥッ!!!
次の瞬間、白い炎が街道を埋め尽くした。
魔獣たちは、断末魔を上げる事すら出来なかった。
そのまま、焦げた紙片のようにホロホロと焼け崩れて、光の粒へと変わっていく。
風にさらわれた粒は、白金のキラキラとした光を放ち、やがて溶けるように消えていった。
前方の馬車からネロリが歓声を上げる。
「お父様っ! 綺麗ですわ!」
「あぁ、そうだね」
窓から身を乗り出しそうな勢いに、ウッドリーは苦笑しながら頷いた。光の粒が舞う様は、まるで雪のようだった。
後ろの馬車では、メイドが落ち着いた様子で呟いた。
「さすがですね」
従者も当然のように頷いた。
「浄化の聖人様ですからね」
ノギはと言うと。
「すぴー……」
まだ夢の中だった。
◇
「そろそろ着きますよ」
優しい声が肩を揺らす。
「ふぁ……」
いつの間にか眠っていたようだ。ノギが目をこすりながら窓の外を確認すると、遠くに見知らぬ街並みが見えた。
「? 何かありました?」
乗った時よりも、馬車の周りを走る護衛の人たちが近い気がする。
「いえ」
従者が首を横に振る。
「特には」
メイドも微笑んだ。
「そうですか」
ノギは安心したようにへらっと笑うと、小さな欠伸をした。明るいうちに眠ったのは、いつぶりだろう。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。これにてクリーニング編は終了です。
次回更新まで、しばらくお時間をいただきます。更新再開まで10日前後を予定しております。
今後とも『わらしべ聖女』をよろしくお願いします。




