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そんなノリで決めた更なる移動。喋りたい欲はとりあえずグループトークである程度発散したし、木から降りる時は周囲を見渡して、マップも確認して、と充分に気を配って完遂した。
無事に全員が降り立ってから黙々と歩き続けること30分程経った頃だろうか、それは現れた。
それは後悔
それは恐怖
それは死の化身
何とでも表現できる。
ただ解るのは、見つかれば死ぬ。
それだけが確実な、何か。
大きな体躯はざっと見ても3m程はあるだろうか。二本の腕は我々の胴体よりも太さがあり、おそらく一振りされれば矮小な人間など一撃で昇天できるだろう。
太ましい木々の幹すら砕きそうなその腕は明らかに筋肉質だ。掌すら大きい。太い腕に見合った大きな手、と言いたいが大きすぎる手だった。お前それ手でその辺の太い木ひっつかめるんじゃないの?というくらい不自然に大きな手と、爪。
ざっと見て巨体なのに、猫背なんですよこいつ。背筋伸ばしたらもっと大きいの?いやもうおかしいよね、と言いたくなるけど何も言えないし、恐怖で歯が鳴りそうなので奥歯をぐっと噛みしめた。泣きそう。泣きたい。
身体に応じて大きな顔は、これまた大きな口がついていてそこにはずらりと牙がならんでいる。どう見ても肉食です本当にありがとうございます。そして額には大きくてこれまた攻撃性の高そうな立派な角が一本生えていた。
全身が攻撃性に溢れすぎではないでしょうか、どこかに優しさを含んでみては?
青黒い肌に所々血管が浮き上がっていて、どくどくと脈打っているのすら見て取れた。大変にグロテスクでもある。
目は単眼で、顔面の約3分の1程の面積を占めている。その色はまるで静脈から出た血液がごとく、暗赤色で不気味極まりない。
そして大きな単眼がぎょろぎょろと周囲を睥睨しながら一歩一歩と歩いてくるのだ。
一歩、ソレが歩を進めればズシンと腹に響く轟音。バキバキと周囲の茂みが踏み砕かれ無残な姿に変わっていく。そいつが歩けばその分道になる、とでも言わんばかりに跡形が出来上がるのがまた末恐ろしい。
その姿は、サイクロプスとオランウータンを足して2で割った後に鬼的な要素を無理やりぶち込んで煮詰めたような、奇妙かつ形容し難いものだった。
今、わかるのは。
我々が持ち出してきた武器など何の役にも立たないこと。それだけだ。
何一つとして抵抗できないまま、我々は死に絶えることになる。
そして今できることは、息を殺し震えながらソレに見つからないようにすることだけ。
膝が震える。腰が抜けそうだ。
でも今、腰が砕ければきっと物音がする。そして死ぬ。
どうやっても、死ぬ。
幸いにも、ソレの進路からは我々はズレたところにいる。このまま、黙って気付かれないようにやり過ごせれば、生き残れる。
ちらりと目線だけで家族を見ると、全員血の気が引いた真っ白な顔色で、手で口を抑えていたり、息を殺す為にかネックウォーマーを引き上げていたりと、なんせ声を出さない、息遣いを感じさせないように必死な様子だった。
当然、私もそうだ。
気付かれるわけにはいかないのだ。絶対に。
全身が総毛立つ。
こんなにも、死を身近に感じることがあるだろうか。
理不尽にも程がある。
今ここでじっとしているのが最適解だと解っているのに、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
パニックを起こして湧き上がる衝動のまま叫びだし、この場から一秒でも早く逃げ出したいとさえ思う。
実際そんなことをすれば一貫の終わりであることは明白で、それを理性がなんとか押しとどめようとしている。
そもそもの問題として、RPGだって序盤の敵としてこんなもの用意しないだろう。頑張っても勝てない敵なんて、それこそ負け確定イベント用くらいなものだ。
だが、これはゲームではなくて現実だし、負ければイコールで死ぬのだ。
こちとら命掛けてねぇんだわ、と心の底から思う。本当に、ふざけるのも大概にして頂きたい。
そのまま、死の化身とも言えるその化け物が歩き去るまでじっと、耐えた。
長いようで、実質は短い時間だったのだろう。
けれど理性がゴリゴリと削れて今にも発狂しそうな思いで耐え抜いた。
耐えに耐えて、ついぞその姿が見えなくなり、マップ画面からも赤い点が見えなくなったところでようやく、は、と息を吐き出す。
吐き出したならもうそれはしゃくり上げるような短い息がそこから連続で吐き出される。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。
がくがくと震えながら、奴が引き返してこないことをただ祈る。
指先どころか全身の血が引いている気がする。くらくらと眩暈までする心地に、気をしっかりと持たないと意識が持っていかれそうだ。
酸素を脳に送らなければ、と意図的に深く息を吸い、吐く。震える呼気にはなったが、肺に一杯酸素を送りこんでは吐き出すことを繰り返して、少しずつ血が巡る感覚を味わう。生きている、そう実感する。
どれくらいそうしていただろうか。
体感としてはそれほど長い時間ではなく、血の気の引いた顔を突き合わせたならアイコンタクトを互いに送る。
『帰ろう』
一択である。
今、心はひとつに。
そこからは早かった。細心の注意は払うが、マップを確認しながらエネミー表示を避けに避けて足早に帰宅を目指す。
軽く息が上がる程に急いで、かつ物音を立てないように歩く。
時々目配せを送りあいながら、とにもかくにも死に物狂いで帰宅をした。
一心不乱に帰宅し、結界内に入っても動悸も動揺も収まらないし何一つとして安心できない。
玄関の鍵を開けるのももどかしく、手が震えているのか開けようとした親父の持つ鍵が何度か鍵穴からそれてカチカチと硬質な金属音を鳴らしてうまくはまらない。それを母が上から手で押さえ、ゆっくりと誘導して収めたならカチリと鍵の開く音。
慣れた音で開く扉に一斉に雪崩込み、玄関に入ったならすぐさま内側から施錠した。
そこでようやく、生きた心地がした。
確実に行きの道より遥かに短い時間で帰宅しているはずだ。
警戒は怠らなかったが、マップを見ながらとにかく安全そうな道を速足でひた歩いて帰って来たのだからさもありなん。
一瞬、顔を見合わせて、静寂が下りた。
そして次の瞬間
「ああああああ死ぬかと思った死ぬかと思った何だあれ何だあれむりむりむりむりー!!」
親父が頭を抱えて蹲って叫びだしたら
「漏らすかと思った漏らすかと思ったちょっとでた?ちょっとでた?怖かったー!」
玄関に倒れこむようにくずおれて母が手足をばたばたさせて暴れる。
「積んだ!積んだよ!!ばかなの死ぬの無理に決まってるじゃん何あれー!」
私も似たようなもので、壁を叩いて荒れ狂う胸の内を吐き出し、
「ふざけんなあんなのどうしろって言うんじゃ死ぬわボケー!」
海が天井に向かってどうしようもない文句を誰に言うでもなく叩きつけた。
とにかく誰かに聞かせる為ではなく、胸中渦巻いていて叫びだしたかった言葉を爆発させたのだ。
身体の端まで荒れ狂うエネルギーは不満と愚痴と衝動という形で吐き出されていく。
内に込めすぎて行き場をなくしていた感情をとにかく吐露してしまわないことには落ち着こうにも落ち着けない。
無理矢理に抑え込んだパニックを、今ここで全開放して暴れさせているのだ。
しかしよくも一人たりとも発狂しなかったものである。思ったより我々は精神的に図太いのか。よかったと思う限りではあるが、全身が嫌な汗でじっとりとしていて気持ち悪い。
何ならもう先程抑え込んだ涙がぼろぼろとこぼれて、こんなにも連日泣いたことなんて最近ないなぁとどうでもいい事を思う。
いい年こいた大人でも、泣くときは泣くのだ。
これが恐怖からか安堵からかは解らない。とにかく息を詰まらせながらも文句も涙も吐き出してしまいたかった。
普通に安心したら腰も抜けたし、重力に従ってぺたりと冷たい玄関床に座り込む。
無理だ。
無理ゲーだ。
できればもうお外出たくない。出掛ける前は少しわくわくしていた気持ちが一気に萎えた。恐怖しかない。
でもお外出ないと結局死ぬ。餓死とかそんなの辛すぎる。
こんな酷いことってあるだろうか。何故こんな目に遭わなければならないのか。一体我々が何をしたというのか。真面目に日々会社務めをこなして平穏に生きてきただけの、何の変哲もないちょっとオタクな連中なだけではないか。
何が罪だったと言うのか。
何故こんな死地に何の心構えもなく放り出されなければならないのだ。
理不尽で、不条理で、どうしようもない。
社会経験を積んでいればそりゃあ、理不尽なことなどいくらでもある。けれど、それだって命を天秤にかけるような事柄なんてそうそう遭遇しない。
今日、私達は現実を目の当たりにしたのだ。
ただの死、そのものを。
もしあの時、見つかっていれば、今の私達には何の抵抗策もない。
これは由々しい。せめて、逃げる時間を稼ぐことのできる何らかの手段が必要だ。
戦う?馬鹿を言え。三十六計逃げるに如かずだ。あんなものと戦うなんて小指の爪の先程も考えられない。そんなのは積極的な自殺でしかない。
あとは、精神頑強。これは絶対に必要だ。よくも心が折れなかった、と誰かに褒めてほしい。
いや、折れていたのかもしれない。折れていてなお、生存本能に従って生き汚く切り抜けただけかもしれない。
けれど、生きている。結果がすべてた。
思考が纏まらない。混乱と安堵と不満と、何に対して抱けばいいのか解らない憎しみで頭が塗りつぶされている。
ぶり返した震えが収まらない。
ただただ、恐怖が全身を支配していた。
暫くそうして、玄関で靴も脱がずに吐き出すだけ吐き出すという行為を一通りこなしたなら、のろのろと着替えたりトイレを済ませたりとようやく己を甘やかすモードに入っていく。
室内で寛ぐ為の服装に着替えたなら、炬燵に集合して深い深い溜息を吐いて揃って項垂れ、今後の先行きに不安しかない心地を言葉の外で表現していた。お猫様が寄ってきたので膝に上げて撫でくりまわせば、ゴロゴロと喉が鳴って癒し効果を与えてくれる。
上体を倒してその柔らかボディに顔面を埋めて猫吸いしながら少しなれど癒されておく。ああ、愛くるしい生き物の素晴らしさよ。
母が温かいお茶を淹れてくれて、少しでも落ち着くようにと全員に配ってくれる。
お猫様を解放してから湯呑を手にとり、くるむように持ったならじんわりと指先に熱が灯る。温かい。
はぁ、とまた溜息を吐き出したなら、とりあえず確認すべき事柄として
「イエクサ、現在のレベルを教えて」
これだ。
これからの命綱であるスキルをどの程度取得できるのか。
いやだいやだと駄々を捏ねたとて、家から出ないことにはどうしようもない。ならば、過ぎる程の準備をさせて頂きたい。
いや、もうホント家から出たくないんだけどね。家から遠ざかるとか絶対嫌なんだけどね。
でも森から出ないと駄目だよね。森の中にあんなのがいるんじゃ集落とか期待できないよね絶対。
『はい、現在のレベルは17です』
17、とな。
少なくともスキルに変換して3は消費しているから、引いて14個のスキルを取得することができるようになっているのか。
大体5kmは直線距離で進めたということか。細かい数字となるともっと進んでいるのだろうけれど、無慈悲にもカウントは直線距離なのでもうそれは置いておく。
蛇行が口惜しい。直線で進めたならどれほど良いだろうか。すべての行動の物音消せるスキルとかないのか。ないだろうな。
「とりあえず、精神頑強を取得することを強く推したいんだけど」
と、言うとそうだね、と言わんばかりに頷きが返ってくる。
「間違いないな。発狂するかと思ったわ普通に」
ですよねー。
未だに思い出すだけで血の気が引く思いがする。トラウマだわこんなの。
「あとは、苦痛耐性ね。何としてでも魔法スキルは身に着けるべきだわ」
「それな。戦えないにしても、せめて足止めくらいのスキルは欲しい。現状俺たち運が良かっただけで生きて帰ってきてるようなものだからな」
重々しくも母と親父が呟く。魔法スキルの取得に伴う苦痛を流石にそのまま受け入れるのは無理だ。身体能力向上の苦痛、あれはあれでトラウマなのだ。正味の話、ここ二日でトラウマ抱えすぎじゃない?おかしくない?そういうものなの?
でもあんなものと遭遇してしまったからには無策でつっこむことなどできはしない。
そうと決まれば早々に、耐性スキルを二つとも取得してしまうべきだろう。
どんな反動があるのかは知れたものではないが、取らないという選択肢は最早ない。少しでも安全マージンを多く取るためには、やむを得ない犠牲というものがあるのだ。




