『西の人たち』1
森の子二人を部屋に押し込め、ノクトを朝弱いのだからと早く寝ろと寝かしつけた後、応接スペースのソファに掛けてどっと疲れた溜息を吐き出す屈強な男四人。
風呂には交代で入ったが、着ている服は詰襟を脱いだだけの状態で決してリラックスしているとは言い切れない。何かあれば警護の都合上すぐさまに動ける状態でなければならない為に、腰に佩いた剣も外してはいるものの傍らに立てかけてある。夜は交代で警護を続ける予定であるものの、揃っている間に話をしておきたいことは山積しているのだ。
室内の照明は小さな燭台ひとつで薄暗い。窓からレースのカーテン越しに差し込む月光が燭台がカバーしない範囲を薄く照らしていた。
ローテーブルにはカップに満たされた珈琲が湯気を立ち上らせ、その香りを撒き散らしている。
とは言え、室内に充満する花ともつかない嗅ぎ知れない香りを相殺するには至っていない。この香りはあの、二人の子供にしか見えない森の子達の風呂上りから室内を暴力的なまでに満たしていた。空と海が好き放題使ったシャンプーやリンス、そして入浴剤の香りだ。
「それで……あの二人だが、どう思う?」
低く、疲労が滲む声音でフォルテが切り出せば、真面目な顔でコルドが二人の部屋の扉に視線を向けてから
「栄養が不足しているものと見られます」
と答えた。
「そうなんだが……そうではなくてだな……っ!」
そんな話をしたいわけではない。と、ばかりに額を抑えて呻くようにフォルテが吐けば、コルドはことりと首を傾げてその灰色の髪を揺らした。
「いや実際、警戒しているのが馬鹿らしくなりますよ。髪切れって……刃物持った他人が背中に回っても無防備に過ぎるあの態度」
空と海が聞けばいやちゃんと考えてるわ、利用価値があるのにいきなり殺したりしないだろうとか思ってるからだわとか言いそうな言い草ではあるが、この男から見た二人は無警戒にも程がある子供にしか見えていなかった。それにしても凄い頭だったなと。元が解らなかったなと笑う。
その言に頷きながらタッカートがカップの珈琲に口を付け、ふと口元に笑みを敷く。
「そもそもカイ様なんて寝落ちしましたからね。会話の最中に」
「子供って遊んでる真っ最中に急に寝ますよね……あんな感じで目を疑いましたよ」
正面に座していたコルドも何度見かしたくらいに信じられない光景だった。ことん、と寝たのだ。いくら疲れているとは言え、あの状況で寝られるものなのだろうかと。
ただでさえ、馬車の揺れに合わせて二人揃ってぴょんぴょん跳ねている姿だけでもこいつらどうやって生きて来たんだと思うくらいの貧弱っぷりであったのに、あの恐ろしいまでの無防備さ。あの森で生き抜いてきたなどとは到底信じられない話である。
「警戒心があるんだかないんだかまるで解りません」
肩をすくめてリダルトが言えば、ああ、うん。とタッカートとコルドの二人が頷く。
「そもそも、カイ様が殿下よりも年上でしょう?二十歳もとうに超えている、という事は22、23程であったとして……ソラ様は27、8になるわけですよね」
「の、割に異性の膝の上に乗せられてもあの感じですもんねぇ……もうちょっと何かないんですかね」
意地とかプライドの前に、恥じらいとかないの?あの子。なんならうとうとしてたんだけど。と言わんばかりにタッカートとリダルトが渋面を作る。
「妙齢の女性としての情緒に欠けますよね。小柄なのもありますが、そんなところが妹より幼げなんですよねぇ」
「お前もう妹さんと同じ目線で見てるだろうそれ」
半眼でリダルトがコルドにそう言えば、はは、と小さく笑ってカップを傾ける。
「正面でお二人が跳ね回っている姿を見ている時から、あ、これ敵じゃないなぁ……と。勿論警戒はしてましたよ?」
でもその気になればリダルトもタッカートも、素手でも仕留められるでしょう?と言って珈琲を啜り、あち、と小さい悲鳴を上げた。馬車で空が認識したやや黄色がかったオレンジの正体がコルドであったようだ。
「まぁ、そうですが……」
「しかし、休憩時に度々ありましたが、気配を隠されるととたん認識できなくなるのは脅威ですね」
思い出したようにタッカートが呟けば、笑みを消してコルドもリダルトも頷いた。一番にその脅威を感じたフォルテもまた、頷いて腕を組む。
「……やろうと思えば俺達をいつでも殺せるだけの技術だな、あれは」
「ですが我々を仕留めるには純粋に力が足りないものと思われますが?」
「魔道具でもなんでもあるだろう」
「攻撃性は持ち合わせていない、とのことでしたが……」
そこは確実とは言えないだろう。あの森で生き抜いてきて、まるで攻撃性がないというのは考え難いが、と顎に手を当て思考する。そうして、軽く溜息に似た吐息を零してから、フォルテが掠れた声音で呟いた。
「確かに……生き物の死に直面した折には吐き戻すという一面もある。実に解らんな」
「あー……あんなに嫌がってたのに殿下がさらっと言っちゃったあれですねぇ。カイ様も言ってましたが流石のデリカシーのなさですよね」
コトン、と音を立ててローテーブルにカップを戻しながらコルドがフォルテに目を向けた。眉間に皺を寄せて考え込むように難しい顔をしているこの男は、いつだってこんな厳めしい面構えだ。朗らかに笑った所など見た記憶が少ないなと胸中で零す。
「でもそもそも殺気の欠片も持ち合わせていないでしょう。あの二人」
「そうでしょうね。身体付きからしても、戦う事を前提にはしていない筋肉の付き方でした。護身術すら知らないのでは?」
海を抱えていたタッカートがそう続けば、リダルトもまた頷いた。
「音を消して歩くことには特化しているようですが、それ以外はどうも……」
身体捌きもあまりに素人然としている。そのくせ、歩く姿だけはやたらと隠密に特化しているこのちぐはぐさに違和感しかない。
「森という環境を生き抜くだけの身体能力だとでも言うのか……」
「実際そうなんでしょうね。森に帰る手立ての心配をする一面も見せていましたし」
当たり前のように、森に帰る算段を考えているその様。ああ本当にこの娘……いや、この女性は森の子なのかもしれない、と思わされたものだなと、リダルトは窓の外を見て目を細めた。
「……命の危険があろうとも、そこに家があるからと」
「でも芋畑全滅してるんですよね」
助けてって言ってましたよねとコルドが言えば、こくりと頷いてリダルトも真剣な顔をしてフォルテを見る。
「そこですよ。おやつはこまめに与えたほうが良いのでしょうか」
と。そう告げたなら渋面をさらに顰めていやあのな、と。
「何故あの二人の栄養状態をお前たちは殊更に気にしているんだ……!」
「副長お静かに。殿下と二人が起きてしまいます」
「そんなことで起きる殿下なら俺は苦労しない!」
「じゃあお二人が起きてしまいます」
どうどう、と軽く手を上げてフォルテに落ち着くようにリダルトが動かすと、ふー、と深い息を吐き出して荒ぶる感情を抑え込み、思わず浮かしかけた腰を今一度ソファに深く沈めたフォルテがコメカミを抑えて首を振る。その重みを支えたソファがぎしりと上げた悲鳴が室内に小さく響いた。
「確かに小食ではあるが……与えるならおやつよりは軽食のほうがいいだろう……」
重々しく告げられた言葉に、リダルトが軽く目を瞬かせてから頷く。
「それもそうですね」
そのやりとりに、コルドがぷすっと小さく噴き出し
「副長も気にしてるんじゃないですか結局」
「ひもじい思いをしていたのなら哀れだろう。年の割に小柄であることがその証拠ではないか」
「本人達は否定してましたけどねぇ。あ、でも肌つやは良いですよね。健康状態は悪くはなさそうというか」
「あー……風呂上りのあの卵肌。より一層子供じみていましたよね」
うんうんとタッカートが頷きながら、強い香りを纏いながらつやっつやの肌でほかほか状態の二人を思い起こす。ふにゃりと笑って、恐らく収納に入れていたのであろう身軽な服装で頭を拭きながら出てくるその姿に、ああもう風邪ひくだろうがと思わされた。
「殿下の話では、相当な魔力を保持しているそうだからな。それが要因だろう」
「あ、じゃあ幼く見えるのもそれが原因でもありますかね」
魔力の多い人間は、それだけで身体が活性化する。肌も勿論ではあるが、身体もまた活性化され、最も活動するのに適した状態を保とうとする傾向にある。とは言え、そんなことは当然二人は知らないので、最近肌の調子がいいなぁくらいにしか思っていない。
しかしこの世界の住民からすれば当たり前の知識としてあるので、そうであればあの童顔も頷ける話だなと妙な納得感が生まれた。
初めに見た時こそ、目付きも悪ければ柄も悪い二人であると思ったが、顔立ちに関しては本人たちの意図するところではないのだから仕方もないことだ。
ころころとよく変わる表情は、僅かな怯え、困惑、驚愕、苦痛、そして喜びに次々と塗り替えられ、実に稚い。森に生きていたのならば、礼儀作法に疎いのもまた頷ける話でもあった。
「でも殿下の魔道具を充魔するとか、相当どころか化け物ですよね」
「それでもまだ余裕があるらしいからな……確かに、普通ではないな」
宮廷充魔師も真っ青だ、と肩を竦めてリダルトが吐き出すのに、揃って頷く。
「やっぱり普通の人間じゃないのは間違いないでしょうねぇ……本当に森の御遣い様なのかもしれませんね」
「……だが、それにしては何も知らなさすぎるではないか」
「でも森の中で生き抜けるだけの知識と知恵はあるんでしょう?外の世界で森がどう扱われているかなんて森の中には関係ないのかもしれませんよ」
コルドが些か面倒になってきた、と言わんばかりに伸びをしながらそう告げたなら、半眼に目を細めてリダルトが溜息をつく。
「お前、もうあの二人を弟妹と同じ扱いをしたいだけじゃないのか」
「いや流石にそこまで失礼な事をする気はありませんけど、警戒してるのが本当に馬鹿らしくてならないんですよねぇ」
ふぅ、と力を抜いて背もたれに背を預けたなら天井を見上げる。ふか、と背もたれが筋肉を包んで心地よかった。あの硬い馬車とは段違いだ。
「逆に、あの二人を抱えておいて何かしらの脅威を感じるんですか?」
「いや、全く。恐ろしく無防備すぎて心配になるくらいで……」
「本当ですよね……寝てから先は体温上がってぽかぽかして温かいし……」
聞き返されて思わず頭を抱えた二人に、フォルテがまた溜息を吐き出す。
「お前たち……!」
すっかり警戒心が削がれているではないか、とがっくりと肩を落として真面目なフォルテはどうしたものかと思案する。確かにあれだけ無警戒な生き物がいたならそうもなるだろうが、それもまた作戦であったならどうするのかと。北の人間であるという可能性がまだ完全に捨てきれたわけではないのだぞと。得体が知れないのは変わっていないのだから、そこまでこちらが警戒心を失ってどうするのかと。様々な思いを込めての溜息が空気に溶けて霧散する。
「どの道ポーションは魅力ですし、国まで連れて行くのならば少しくらいは歩み寄ってもいいんじゃないですかねぇ。油断したなら何かぽろっと吐くかもしれませんし」
わらってそう告げるコルドはその金春色の目を細めた。
「あれで一応警戒して言えないことを抱えているようですし?誠に御遣い様であるなら色々、隠し事もあるでしょう」
「お前ってそういうとこあるよな……」
少しばかり眉をひそめてリダルトが言えば、にこりと笑って首を傾け
「善意ばかりでは生きては行けないんですよ、世の中。まぁ世話を焼きたいのは本当ですが」
と、悪びれずに答えた。
「で、結局どうします?副長。連れて行くことは決定事項ですし、それならとりあえず解らないことはコルドの言うように少しずつ引き出せないかな?とは思いますが」
そうリダルトが水を向ければむぅ、と唸ってフォルテが珈琲を啜る。
「結局そうなるのか……」
「そもそも本人達が自分の事をあまり解っていなさそうなのが一番の問題でもありますけれど」
タッカートが言えば、それなと頷く面々。
「それが例え演技だとして、問題が起これば始末する方向で進めてもいいでしょうし。殿下に害がないようにするのも我々の仕事でしょう」
そしてその殿下の意を汲むのもまた仕事である、と。またも揃って頷けば方向性は纏まってきた。
結局の所、様子見。最悪の場合は始末する。それに限る。
森の子の正体が解るまでは。




