12
さて、出発から凡そ体感で二時間程経った頃だろうか。
小休憩が入れられた。何のって、トイレ休憩ってやつですわ。よかった。最近森でも普通に結界張ってポータブルトイレでバニッシュだったのでおむつ未装備だったのよな。トイレ休憩なしとかなると膀胱破裂するところだった。
しかして、馬車から降りる際に、あまりの尻と腰の痛さに二人揃ってよたよたと腰を抑えながら前屈みに降りる羽目になったのは屈辱である。
だから抱えると言ったのに、と言わんばかりにリダルトさんが溜息を吐いてこちらを見ていたのが刺さった。だがしかし、大人のプライドってのがあるんだわ。
まぁそんなこんなだが、降りた場所には何かあるわけでもない。それなりに見晴らしのいい平原だった。時刻はもう夕暮れ時で、西の空に太陽が傾いてその色をオレンジ色に染めている。棚引く雲はうっすらと紫色をして大変美しい。だが、あまりに何もないのだが……え、トイレ休憩ってお前等随分と、なんだ。あの、自由だなおい。
問答無用で馬車の裏側に回って結界張ってテント出しましたが?
ポータブルトイレでバニッシュセットで用を足しましたが?
大自然を感じながら排泄とかできねぇわ。何なの。ついでにおむつも念の為装備しましたわ。後はスメルレスを掛け直しておいた。昨日洗髪したとは言え、風呂にはもう一週間入ってない。拭いていても体臭しそうだし……こいつらくっさ、とか思われたら嫌だよねぇ……。
「……はー、尻痛ぇ」
「わかるー……跳ねるのがキツイ」
やることやってテントも片付けたならぐー、と腰を反らせて伸びをする。
と、ふと思い立ってローポーションを取り出してプリンカップでぐいと飲み干す。
「あ、成る程」
海もそれを見て納得したようにローポーションを飲んだ。
この尻の痛みって、これで治るんじゃん?と思ったのだ。そしてありがたいことに綺麗さっぱりずくずく痛む尻と腰の痛みから解放された。ハレルヤ!
「次はふわふわクッションも積むわ。重ねて衝撃を吸収する作戦に出る」
「俺もそうする。一個じゃどうにもならんわ。跳ねるのをなんともできねぇなら衝撃吸収しかねぇよな」
「というか筋肉の重みでそう跳ねないとは言え、突き上げの衝撃はあるはずなのに何で筋肉さん達平気なの?」
「慣れてんじゃねぇの?なんなら尻まで防御力高いとかじゃねぇの」
解んねぇなもう。
そんなくだらないことを話していたら、ひょっこりと殿下が馬車の影から顔を出す。
「お二人とも、そろそろ出発となるが……その、尻は大丈夫だろうか?」
「おー、なんとかするから大丈夫。気遣いありがと殿下」
へらり笑って海がひらひらと手を振りながら返事をし、揃って殿下の傍まで行けば殿下の後ろにいたフォルテさんが此方を見て、軽く首を傾げる。
「……姉はどうした?」
と、海に向かって話しかける。え?と殿下と海がこちらを振り返ったのを見て、いやおるがな、と私も思う。
流石に海と殿下の影で見えなかったとか言わなかろうな、と思わず眉を顰めたなら、あ、と海が声を上げた。
「お前気配消してる?」
「あ」
忘れてた。ここ一週間だけでなく、二カ月間は森生活を断続的に続けていたので割と日常的にステルスしすぎて習慣化していた。結界から出る時はステルス、とばかりに当たり前のようにこなしていた。
とは言え、今声を上げたことでどうやら視認してくれたらしくぎょっと目を剥きは?といっそ間抜けな声がフォルテさんの喉から上がる。
「ついうっかり。悪気はない」
「いや、習慣化するよなぁ……俺も殿下に返事してなかったら多分やってた」
そもそも結界の中にいた私達を、殿下が緑だから認識できたのであって、オレンジでは恐らく見つける事すらできなかっただろう。そして結界から出るついでにステルスしたので先に私を認識していた二人には問題なかったが、フォルテさんには認識されなかった……と。
「お二人の隠密は誠に見えぬからな……私も最初は驚いたものだ」
「でも物音立てたらアウトだからあんまり安全度高くないんだよねぇ……」
あの森で生き抜くには結構ギリギリなのだわ。普通に。
「認識されたら結構普通に見えるのが難点だよなー」
うんうん、と海と一緒に頷き合う。
「気配も音も匂いも消してても熱感知されることもあるしなぁ……」
「そうそ。根っこ踏んだら襲い掛かってくるタイプのもきつかったよねぇ……」
あの理不尽な森が、かつては平和な聖域だったなんて想像もできないんだが。そこの所どうよ。
「そんな者もいるのか……いや、恐ろしいことだな」
「そうなのよいやマジで。いつもギリギリ過ぎて習慣づけてないと死ぬんだわ。普通にワンキル待ったなし」
何かもの言いたげな眼差しを送ってくるフォルテさんをガンスルーして馬車に戻れば既に他の筋肉ズは着座していた。あ、私達待ちですかすみません。インベントリからふかふかクッションを取り出して、低反発クッションに重ねて置けばスタンバイ完了である。私の尻は守られるに違いない。
と、そう思ったならひょいと身体が浮いた。
「は?」
ストン、と私のクッションを横目に着座した先は
「どの道跳ねるなら同じでしょう。諦めて座っていてください」
と呆れ混じり溜息交じりに言い放つリダルトさんの膝の上。
「うお!」
ぽかん、としていたなら海の声も聞こえた。
横を見遣れば海もまさかのタッカートさんの膝の上で横抱き状態だ。……ええ、凄い絵面なんだが。嘘だろこんなことある?
「ちょっと待ってちょっと待って、海くんこれはちょっと……!」
「諦めて下さい。横で何度も跳ねられるのも気になるんですよ……」
「諦められるかー!二十歳もとうに超えてんのに抱っこされる成人男性の気持ちがアンタに解るのか!?」
「解りかねます」
「だろうな!!」
ぎゃーぎゃー言っている内に殿下もフォルテさんも着座を済ませ、馬車が再び走り出す。
呆然としながら殿下の方をみると、にこりと笑いかけられた。
「よかったな、ソラ。きっと痛くなくなるぞ!」
善意100%である。嘘だろマジかよ……そんなことある……?
真上を見上げるようにリダルトさんを見遣れば、半眼で見下ろしてきていた。
「言っておきますが、先程より距離を走ります。あなたなら次は立ちあがる事も難しくなるでしょう」
おう……そうかよ。
ガタン、と馬車が跳ねる音がした。けれどがっつり腹に回された手がこの身が跳ねるのを抑えている。つまり、跳ねない。そして驚いたことに、この筋肉ッション、衝撃吸収率がなかなかのもので……そう、痛くない。嘘だろ……もしかしてこれ、快適なんじゃ……?
もう一度、横を見たなら海と目が合う。ちょっと涙目だった。
「……信じらんねぇ……悔しいけど、痛くねぇの……」
ついに両手で顔を覆ってちょっぴり半泣きで感想を述べたので、思わずもう見えていないと解っていてこくりと頷く。
「……痛くないわ……マジで」
そしてなんなら、背中がぬくい。ほっかほかである。車のシートヒーターにも匹敵する温かさ……快適、なんじゃ、なかろうか……?
「なんなら寒くない……」
「解る……っ!この馬車椅子も冷たきゃ箱も冷てぇんだよ……っ!でも人肌のぬくもりってできたら可愛い女の子がいいんだ解るか!」
「いやお前それは贅沢だわ」
「お前はいいよな!割と絵面がまともで!」
「馬鹿かお前!この年でこのザマで何がまともか!でも快適なんだわ!」
「解るから辛い……っ!」
そう、快適なのが辛い……っ!
結局快適さに負けて抱えられての移動で落ち着いてしまった……。プライドより大切なものがあるのだと知った28の冬。
何度馬車がガタンってなっても大丈夫なんだわ。凄いな筋肉。でも気になることがある。
「……脚痺れないの?」
「その小柄で何を言うかと思えば……」
しゃらくせぇ、と言われた気がする。でもタッカートさんはどうなのだ。海は一応本人申告で174cmはある成人男性だ。細見だが一応筋肉もある。いや、この筋肉さん達に比べたらそりゃ貧相ではあるが、普通に考えてある方だ。ちなみに私も身体強化で筋肉はある方に分類されるので体重としては決して軽くはない。ほら、あの。あれだ。物語のヒロインみたいに羽のように軽いとかそんなことは全くない。むしろ体格の割に重いはずである。
「鎧一式のほうが重いくらいでしょう」
「鎧一式抱えて座りっぱなしにはならないよね比較対象おかしいよね」
大体その鎧何で出来てるんだよ人間より重いとか持ち歩くどころか着て歩けねぇだろうがふざけんなよ。なんでもかんでも筋肉パワーで解決しようとするんじゃないよ!軽量化しろ軽量化!素材から見直せ!
「いえ実際、フルアーマーと装備一式で60kgは軽く超えますので。まぁ、俺はフルアーマー着た事ありませんが」
ないんかい!じゃあ何で比較対象に出してきたんだ解んねぇ兄ちゃんだなおい。
「あと俺も普通に温かいので快適です」
「あ、そうですか何よりです」
お前も寒かったんかい。何なのツッコミしかできないわ。
「あと弟さん多分あれ寝てますが、あなたは大丈夫なんですか」
嘘だろ海。確かに今日は割と走ったりなんやしてたから疲れてるのは解るけど、まさかの抱っこ状態で寝ちゃうのかよ遠慮ってものがないのかお前には……っ!
横を見たなら確かにすやっとしている。なんならクッション壁際に立てて背あてにして抱えられていた。
「……なんか、すみません。うちの馬鹿が」
「いえ。お疲れだったのでしょう」
思わずタッカートさんにそう声を掛けたなら、少しばかり困ったように笑ってそう言ってくれた。いい奴だなこいつ。オレンジだけど。
「それに、今日は夜通し走るのですから、あなたも眠ってはいかがでしょうか」
危害を加えてくることはないのだろう。それは解る。今、私達の不興を買う訳にはいかないとフォルテさんもそう明言した以上、ポーションは魅力であるのだろう。けれど、赤ではなくともオレンジ。敵認定である相手がこれだけ周りに居てどうしてすやっと眠れると言うのか。……海が寝ちゃってるから余計におねーちゃん気を張るわ。この馬鹿者が。
「うーん、寝ると人間尚更重くなるから、申し訳ないかなぁと」
「ああ……大丈夫ですよ。そんなに軟ではありません。弟君もそう重いわけではありませんし」
それは嘘だろマジかよそれなりには重いだろ。どうなってんだ。重力比が異なっているのかこの連中。
少しばかり引いているとくしゅ、と小さく海がくしゃみをした。寝たことで体温が上がって外気が寒いのだろうか。インベントリからブランケットを取り出せばするりとタッカートさんがそれを受け取り海に掛けてくれる。ちなみに、青鬼にぶん投げた奴の次にお気に入りのブランケットだ。
「……随分色々と入る収納ですね」
ぼそ、とリダルトさんが呟く。
「森で生活するには必須なので」
「そうですか」
「……ちなみにそこのクッション、使っていいですよ。背中寒いでしょう」
「いえ……まぁ、はい。ありがとうございます」
ごそごそと動いたと思ったら、角にクッションを設置してそれを背もたれに、若干斜めに着座して座り直す。
「……なるほど柔らかい」
自慢のふわふわクッションだからな。どうだまいったか。
座り直したついでに私のポジションもしれっと移動され、丁度頭が肩あたりに預けられるように微妙に横抱きに抱え直された。背中寒いだろうが何すんだテメェ。仕方ないのでさらにブランケットを取り出せばいくつ入ってるんですかと些か呆れたような声で言われてしまうが、寝具関係は結構充実させているのだ。そもそもブランケット好きなのだわ。色々欲しくなってしまうのだ。ミルクパンでも解ると思うが、私は好きなものは結構買い集めてしまう悪癖がある。ハーフケットサイズから、本当にひざ掛けサイズのものまで割と豊富に持っているのだ。
今回出したのはハーフケットである。身体を包んで体温の保持に使うこととする。
「……なお温かいので俺が寝そうです」
「どうぞ」
「抑えがなくなるとあなた跳ねるでしょう」
「私が跳ねたら多分起きちゃうよね。今のうちに謝っとく。ごめん」
「そこで謝るんですか……いえ、いいんですが」
いや謝るだろう。安眠妨害って罪だと思う。まぁでも正直この馬車で安眠なんて訪れないだろうけど。
それにしても、この馬車どれくらいの速度で走っているのだろう。窓が小さいので速度感が読みにくい。とは言え、遠景の流れ方を見る限り多分時速40~50kmのペースだと思う。となると、既に2時間は走行しているので100km近く走行している……と?
マップを見れば、家から森の外の線を見ればおおむねその半分くらいになるので多分間違っていない。……そんな速度で走り続ける生き物いる?精霊種って動物じゃないの?え?
「……ちなみに、目的地にはいつ頃到着予定なのか聞いても?」
「明日の夕方に休息となり、そこで一泊し、身形を整えます。そこからおよそ一日半で到着となるでしょう」
ええと……となると……どれくらいの距離になるんだろうか。あまり計算は得意ではないのだが……
トイレ休憩時間は大体15分~30分程度取るらしい。その間に身体をほぐしたり軽い運動をすることも目的としているから、とのこと。
で、大体2時間~3時間に一度は休憩を入れる予定ではあるが、明日の夕方までこのペース……と。
これからざくっと24時間移動となると、仮定として2時間おきに休憩を入れ、それが30分として……ワンセット150分で100kmだ。24時間は1440分なので9.6セット……この小数点どうすんだおい。まぁいい。960km?と考えたらいいのか?……うっそだろ2000km近く森から離れる計算なんだけど……?これ帰りどうすんの?キックボードで帰れる範囲をゆうに超えていると思うんだけど……ぞっとした。
「……ごめん、具体的に何kmくらい離れてるとか、聞いても大丈夫?森からの距離が知りたい」
「おおよそ……800km程度でしょうか。森から離れると具合が悪くなるとか、何かあるんでしょうか」
800km……となると、時速は40kmに届くか否かくらい、なのか?それとも一部走行時に速度を落とすとか、迂回するとかだろうか。ああ、そういや普通に直線でしか考えてなかったな……そりゃ人の営みがあるのだから道とか色々あるよな。考えてみたら。
とんでもない距離ではあるが、最初の単純計算通りでなくて本当によかった……涙が出そうだ。
「いや……うん、森から離れた事がないからそこは解らないけど。ただ、帰りどうするかなぁ、と」
「流石に用事は済んだ、あとは好きにしろ。などとは言いません。ご心配なさることはないかと」
「あ、うん。……うん、ありがとう」
でも800kmかぁ……えっぐいなおい。
「……殿下が最初に早馬乗り継いで一週間って言ってたけど、そんな距離走れるものなの?馬って」
「魔道具の鐙を装着した馬ですので」
魔道具来たわこれぇ……何それどういう効果のある魔道具なのかさっぱり解らん。異世界あるあるなのそれ。
「あ、うん。そうなの……」
魔道具装備してたらお馬さん一日に115km近く走行するって、もうホント意味わかんねぇな!この世界色々解んねぇこと多すぎるわ!
「……ちなみに、あのスレイプニル?も魔道具装備してたりするの?」
「勿論です。それに、そもそもこの馬車が魔道具ですので」
わかんねぇわー。どこに文様あるんだか空さんさっぱりわかんねぇわー……
「あ、そうなんだ……」
もうね、諦めよう。うん。解らん。
一生懸命計算したけど、無意味!無駄!頭の体操しただけだった!
難しい事考えるのやめるわ……異世界だもんね。魔道具がなんでも解決してくれるんだよね。……だったらフルアーマー軽量化もしとけ!魔道具さんが何とかしてくれるんだろうが!
あと魔道具装備の馬が一週間で踏破する距離を休息含めて、およそ三日で走りきる精霊種のデタラメさなんとかしろ!不思議生物すぎてもう嫌になってきたわ!
常識を捨てなければならない……そうだ。常識なんて存在しないんだ。だって世界が違うのだから。私の常識はこの世界の非常識なんだよそうだとも!早馬って聞いて大昔の日本の早馬が思い浮かんだけどそんなんじゃなかったんだ。そうとも。
しかし800kmかぁ……レベルカウント凄いことになるなこれ。序盤のレベル貧乏が嘘のようだ……
家から森の外までの距離のおよそ4倍かぁ……。いやでも、マップまだ先ありそうなんだけど……あ、他の国ですか。そうですか。
「……森に帰るのは確定なので?」
「は?いや、そりゃ。家は森にあるのだから、帰るよね普通に」
なんなら両親お留守番してるし。出稼ぎに出てきただけだし。
「危険であると解っていて?」
「家まで帰れば安全だから」
なんなら電気機器が恋しい。ボタン押せば風呂に湯が沸くんだぞ。解るかこの利便性。暖房だって事欠かないんだぞ。あとお猫様が恋しい。筋肉ではなくもふもふに触れたい。
「帰り道で命を落とすかもしれないのに?」
「守護者にさえ見つからなければ大丈夫。海と二人ならなんとでもなるよ」
青鬼がなぁ……スキル利かないのがなぁ……いやもうホント、そんなバグみたいな存在なんなの?ふざけてんの?どういう用途で存在してんの?森の殺意は留まるところをしらないのか。ふざけんな。
そう言えば最初、イエクサに森について聞いたら深淵の森だとか言ってたな……聖域でも龍の森でもなく深淵の森ってのは一体どういうことだ。ここもちょっとあいつに問いただす必要がある。あいつ絶対何か知ってるぞ。質問の仕方を変えたらきっと吐くに違いない。ああまたやりたいことが増えた……難儀な話だ。




