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さて、翌日には雨が上がっていたので少々ぬかるむ地面を踏みしめながらも外縁に向かって今日も進んでいるわけだが。
家から離れるにつれて割と獣道も多くなっていくので歩きやすいところが増えて行く。つまり、生き物が割と多いのだろう。
木々の密度も多少なりと減って、明るい森へと変貌を遂げて行く。なんだろうな、近所の裏山みたいな雰囲気になってきた。いや、そんなに暢気な場所ではないのだが。
油断するとろくなことがないのは常だ。気を引き締めて行こう。今回こそ、外縁までたどり着きたい。願わくば、人里を発見するところまで持って行きたい。往復半月以上になるだろうこの旅と言っても過言ではない散策に光明をもたらしたいのだ。
それにしても、マップ上で半分くらい進んだところで100km程の距離があった。マジかよ、と絶望したものだが人間コツコツ進めばなんとかなるものなんだな……と思う。家から外縁までおよそ200kmあるってことだろ。馬鹿じゃねぇのと叫んだのもいい思い出である。
全長おおよそ400kmってことだろう?かの東海道が492kmだ。この東海道を江戸時代とかで歩いて踏破するのにおよそ12日から13日かかったそうだ。宿場とかの都合もあるだろうが、かの時代恐らく皆様健脚であらせられたことだろう。つまり、普通にそんな鍛えてない人間が森を400kmも踏破しようとするならそりゃもっと掛かるわ。いや、家から外なので半分の200kmなのだが。しかしそう考えると身体能力向上があるとはいえ、結構な好成績で私達は森を進んでいるとは言えないだろうか?一週間前後ぞ。なかなかイケてるのでは?
そんな事を思いながら歩み、時に休みながらも進んでいく道のり。家近辺が一番命の危機を感じるってのはどういうことなんだわ。
序盤がデスモードってRPGの真逆を進んでいるではないの。積みゲーもここまでくると諦めしかないわ。
そして一日、二日とさらに歩を進めたところで、耳慣れない音がした。いつもの、獣が草木を掻き分ける音ではない。
何だか硬いものがぶつかるような、これまであまり耳にしたことのない音だ。
なんぞ、と思い視線を巡らせても解らない。
海に目配せをしたなら海は海でことりと首を傾げてこちらを見ていた。
――なんだろねぇ?
と。
とりあえず音のする方向に近づかないのが吉だろうか。危ない事には首を突っ込んではいけないのだ。
マップ上で表示されている範囲には特に赤い点は出ていないので視界内は今の所安全である。で、あれば。音のする方向を避けて進めばいいはずだ。
そう高を括ってのこのこ歩いていたなら、唐突にマップに表示された見た事のない色の点。黄色だ。
それはどんどんと距離を詰めてきて、そちらを見れば
人間が、いた。
驚きに目を見開いて、思わず固まる。
海も同じく固まっているようで、ぽかんと口を開けてその人型の生き物を見ていた。
年の頃なら海とそう変わらない、のか?
若い、男だ。髪の色は何か割と普通の茶色で、染めてんだか地毛なんだか微妙なラインの色味でもある。顔面に焦燥感が張り付いているという事は、こいつ何かしらから逃げて来たなと察することができた。
っていや、ちょっと待てや。お前こっちに逃げてくるって私達巻き込まれる可能性が出てくるじゃないの何てことするんだよ。
とは言えこちらを視認していないのであれば仕方もないのか。
距離が近づけばどうやら怪我をしている模様。濃い藍色の服は洋服仕立てなので和風ファンタタジー疑惑はもしかして解消か?いや、解らん。全然解らん。軍服みたいな詰襟なんだよなぁ……和風ファンタジーならこの辺はありそう。洋風ファンタジーでもありそう。どっちつかずのこの感じ。
そんな服が三本程斬新な切り込みが入り破けていて、そこから血が滲んでいるのか時々陽光でてらてら光る。結構な傷ではありませんかそれ。そんなに走って大丈夫?貧血ならん?
目の色が判別できる程に近づいたなら、赤い点がマップ上に灯る。
熊さんじゃん。めっちゃ走って追いかけてるじゃないの。牙を剥き出しに咆哮を上げて前後四足を使い、余った二本の腕は威嚇なのか振り上げられている。その鋭そうな爪には血痕が付着しているので多分この男のものだろう。
あと、ついでにこの男手に物騒なもの持っていらっしゃる。……多分、西洋剣だと、思う。
刃物ですやん。銃刀法違反ですやん。
真昼の光を走るのに合わせてキラキラと反射させてくる。眩しいんだわ。そして物騒なんだわ。え、お前それで熊さんと戦うの?マジで?
あ、敵わなかったから逃げてるのか。そうだよね。そもそも体格考えたら勝てる筈ないわな。わかるー……じゃねぇんだわ!馬鹿なの!?そもそもお前ひとりなの?仲間とかいないの?死にに来たの?あと結構熊さん個体数少ないと思われるからレアキャラだと認識してたんだけど引き当てちゃったの?お前も幸運値底辺這ってるタイプなの?いやぁ、親近感……覚えねぇよ馬鹿か!
とりあえず目の前で人死にが出るのは嫌ですん。
という訳で熊さんにスタンしてみた。唐突に痙攣してその場に轟沈した熊さんに、必死になって走っていた若者の足が止まる。
いや、止めてんなよ。逃げろよ。頭悪いなこいつ。
そろそろと熊さんに向かって足を向けるな。違うだろ。お前それは違うだろ。何で近づくの。それ死んでないからな。
――どうしたもんか。
声を掛けるか……いやでもなぁ……こいつ物騒なもん持ってるんだけど。正直怖い。あと目の色がオリーブグリーンでございまして、お顔立ちは少々彫りが深い、ような気がする。私ちょっと、異国の方と上手にコミュニケーション取れる自信なくってよ。
戸惑いをふんだんに含んだその顔貌は別段麗しいとかそんなことはない。結構普通の若者だ。街歩いてたら普通にそこらへんにいそうな感じ。髪型とかで雰囲気イケメンなら作れそうである。
うーむ、異世界転移とくれば美少女美幼女美青年美少年ではないのか。そこらへんもちゃんと外してくるあたりこの異世界、流石である。
もうね。期待してないから安心してほしい。転移してから先でカウントすればもう三か月近く。それだけ過ごせばそうもなるさ。
「死んでねぇからそれ。逃げたほうがいいと思うぜ」
と、コミュ強の海が声を掛けた。ごめんね、おねーちゃんチキンで本当にごめんね。
若者は唐突に掛けられた声にびくりと肩を震わせて機敏な動きでこちらを振り返った。その顔は驚愕に彩られ、目が見開かれている。
「少なくとも俺等は逃げるから」
そう告げたなら私の腕を取り海が若者に背を向ける。もののついでに追いスタンまでしてやる親切っぷりにおねーちゃん感心してしまう。
「……っまってくれ!」
いや待たねえよ。危ないだろそんなモンの傍にいたら。あとお前も普通に危ないわ。刃物しまえや。
返答をせずに歩き出す海について私も歩く。ところであの若者出血大丈夫だろうか。割と元気なお声で安心したものの、落ち着いたら超痛いやつではなかろうか。
「まってくれ!そなたは、」
そ な た ?
初めて聞いたわ。古風な若者だな。
手にぶら下げた刃物を腰に佩いた鞘に納め、追いかけてくる若者に、振り返りもせずちらと目線を向け、人差し指を口元に当てながら海が顰め面をした。
「悪ぃんだけど、ちと声抑えてくんねぇ?解んねぇかな、ここらの生き物に見つかると危ねぇだろ」
そう言いながらも歩みに迷いはない。ちょっと引き返す方向ではあるが、多分ほんの少し前に休憩した場所に向かっているんだろう、と思う。
「……あ、駄目だこれ見つかったわ」
ッチ、と舌打ちをして海が渋面になる。
マップに赤い点がいくつか灯る。そしてそれは間違いなくこちらを目指して進んできている。
音か、匂いか。どちらにせよ引き返している余裕はなくなったと見ていいだろうこの状況。
「海、諦めてここで結界張ろう。二畳たっぷり使えないのは痛いけど、この兄さんの血の匂いに寄ってくるわこれ」
「……しゃーねぇな」
私が声を発したならばまたしてもぎょっと目を剥いて若者がこちらを見た。多分、今しがたまで視認されていなかったのだろうなぁ。凄いなステルス。そしてシャドウウォーク。
とにかく接敵する前に、と結界を張ったならば海がインベントリから椅子を取り出す。二脚は以前南の森でも使ったちょっとしっかりしたキャンプチェアーだが、もう一脚はホームセンターで新たに購入したちょっと質の劣る一品だ。いや、これも二脚買ったんだけど。予備として。
「テーブル出す?」
「そうな。この感じだと暫く動けねぇだろうし」
お茶しながら周囲が落ち着くまで待つしかないよねぇ、とテーブルをインベントリから出して設置する。簡易お茶会休憩所の完成である。二畳の中に幾ばか木々がお邪魔しているので少々手狭ではあるが、なんとか寛げるだろう。多分。
そしてプリンカップを取り出して、ミドル・ポーション(上質)を注いだなら若者の方にすっと差し出しておいた。
「そなたらは、一体……」
「いやそれ今どうでもいいから。先ず回復して」
ぐだぐだ言うな。低品質頭から浴びたいのか。
「回復……?」
そっと眉を寄せて、差し出されたポーションを見詰める。躊躇いをふんだんに含んだその表情のまま、恐る恐るプリンカップを受け取り口を付けた。
こくり、と喉が鳴る。一口飲めば喉の渇きかそれとももうやけくそなのか目を閉じぐいっと一気にカップを傾けて飲み干してしまう。上質なので味の程は保証されている。ぶっちゃけミドルはスポーツ飲料みたいな味がするんだわ。全力疾走の後にはうってつけである。
とは言え喉の渇きを癒すには足りないだろう、ということで水もステンレスマグに注いでテーブルに置く。これは三つ。
飲み干してから少しの間、目を閉じ黙り込んでいた若者が、唐突にカッと目を開いて身を乗り出してきた。
「これは、ポーションではないのか!?」
いやそりゃそうだろうよ。逆に何だと思ったんだよこいつ。ポーション以外に回復薬があるのだろうか……興味がある。
「……とりあえず座ったら?あと水。よければどうぞ」
「あとその血まみれの服、ちょっと脱いでよこせ。綺麗にすっから」
ちなみにちょっとしっかりした椅子は私と海が既に着席済みだ。促されるまま困惑をありありと浮かべて椅子に腰かける若者が服を脱ぐ気配はない。
いや、お前の血の匂いが迷惑なんだよと言いたいが、ちょっと後回しにしよう。少し落ち着いて話をする必要があるだろう。




