風の日の渋沢
ある風の強い日に表を歩いていたら、一万円札が一枚飛んできた。
とりあえず足で踏んで押さえておいて、どうするか考えた。落とし主らしき人の姿は見当たらない。
拾って警察に届けようか、とまず考えた。一万円といえばけっこう馬鹿にならない金額である。打ち捨てるのはよくないかもしれない。しかし、落とし主ははたして現れるだろうか、という疑問が浮かんだ。さらに、仮に落とし主を名乗る人間が現れたとして、その人物は自らが正真正銘の落とし主たることを証明できるだろうか、という問題にも思い当たった。なにしろむきだしの一万円札なのである。まさか持ち主が紙幣の番号を控えていたとも思えない。もしこれが財布を落とした、拾ったという話であれば、金と一緒に各種カード類やらレシートやら鍵やらが入っていて、持ち主の証明になることも十分ありうるのだが。
これは本物の一万円札か、という疑いもきざした。というのも、少し前にジョークグッズと称する偽一万円札がネット通販で売っているという話を聞いたのである。その偽札はパッと見たところ本物そっくりで、ただ肖像の渋沢栄一が満面の笑みをうかべているというただひとつの点だけが違うという話だった。だがいま私が足でおさえている渋沢は、例のしかつめらしい仏頂面で、いかにも本物のように思われた。
この一万円が、もしこのまま海にでも飛ばされていって失われた場合、日本の金が一万円減ることになるという考えもわいてきた。その一万円のぶんだけ貨幣価値が上がってデフレになったりするのではなかろうか、とあらぬことを考えているうち、ついにまた強い風が吹いて、一万円はどこかに飛んで行ってしまった。
ふたたび歩きながら、お金というのは意外に拾えないものだと思った。漫画などではよく登場人物が金を拾う場面を見かける。落ちている金を見つけた主人公が非常にすばやくしゃがんでそれを拾い、そのおかげで敵の不意打ちの攻撃を偶然かわすことができた、などという場面はもはや鉄板のネタであろう。物語の主人公というものは特別な才能を要求されるにちがいないが、躊躇なく金を拾うことができるというのもそのひとつとして挙げることができるかもしれない。私にはどうやら主人公はつとまりそうにない。




