漢字人間
大学生のころ、ふと自分がいくつぐらい漢字を知っているか全部書き出してみようと思い立って、実際にやってみたことがある。一週間ぐらいかけて、知っている字を全部書き出した。暇のありあまっている学生時代ならではの試みである。結果は三千八百字ぐらいだったと記憶している。これは日本人の平均よりかなり多いのではないかと思う。参考までに述べると、常用漢字は二〇二六年現在二一三六字である。
社会人になってからはさすがにそんな悠長なことをしている暇はないが、それでもちょっと時間があって手持ち無沙汰になると、紙とペンを持ってきて、「よし、さんずいのついた字を百個書くぞ」などいう遊びをしたりしている。
子供のころから漢字というものが好きであった。読むのも書くのも好きである。ただ、そのわりに書道には興味が薄く、行書や草書はほとんどわからないし、また漢文訓読や中国語も得意ではない、と意外に的の狭いのが不思議といえば不思議ではある。
つらつら考えるに、漢字の面白さというものはいろいろあるが、第一にその形、第二に世界観である。
形についていえば、まずは手を動かしてそれを書くのが楽しい。縦の線や横の線、「とめ」や「はらい」や「はね」などを組み合わせて生まれる字の多様な形。もちろんひらがなやカタカナにも、あるいはローマ字をはじめとするそのほかもろもろの世界中の文字にもそれなりの面白さや美しさはあるが、漢字ほど多彩な姿を見せるものはないと思う。
この面で私がいちばん好きな字は「馬」である。この字を書くのは、それ自体がひとつのドラマである。縦と横の線を直角に組み合わせた謹直な前半から、いきなりグイッと大きく曲げてはねるという大胆な中盤の展開。最後の四つの点は律儀に一つ一つ打つ正統派のしめくくりでもいいし、ニョロニョロとひとつながりで書くのもそれはそれで投げっぱなしの結末みたいで味がある。私は道を歩いているときなどにときどき理由もなくこの字を空中に書いたりして遊ぶことがある。それだけで楽しい。
漢字はしばしば象形文字であると言われる。実際のところこの「馬」とか、あるいは「山」とか「木」とか「人」などは象形文字に違いないのだが、漢字の中ではほんの一部にすぎない。漢字の大多数は、意味の分野を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作った字、すなわち形声文字である。あれもまた面白いものである。
たとえば虫へん。「蠅」「蚊」「蟻」「蜂」「蝶」「蛾」「蟷螂」「蟋蟀」「蜻蛉」といった昆虫類から「蠍」「蜘蛛」「蚯蚓」「蛞蝓」といったその他の虫のたぐい、「蛸」「蛤」「蜆」「蝦」「蛙」「蛇」「蝌蚪」「蜥蜴」「蝙蝠」といった現代のわれわれの感覚では虫とは言わないものまで広く含まれている。昔の中国人にとってはこういった小さい生きものはみな虫のたぐいだったということがわかる。
字の構造にも面白い点がある。たとえば、工場とか工作とかの「工」、あれを音を表すための部品として使っている字がいろいろある。「紅」「空」「項」「攻」「貢」、入江の「江」、尻の穴を意味する肛門の「肛」、年の功の「功」、巧みな技というときの「巧」、まだまだ他にもある。この音を表す「工」の部分が字によって右に行ったり左に行ったり上に行ったり下に行ったりするのは、字をつくる上での都合にすぎないのであるが、変幻自在で見て楽しい。
ところで、日本では先の戦争の後で国語改革というものが行われた。かなづかいの面で歴史的かなづかいが現代かなづかいに改められたのはこの時である。漢字についても数の制限や形の変更が実施された。
私は現代かなづかいの導入に関しては、一応評価している。かな文字はもともと表音文字として作られたものであったが、千年以上ものあいだに発音の方が変わって、音と文字の関係があやふやになりつつあった。それを直したのが現代かなづかいである。これは必要な措置であり、いまやらなくてもいつかはやらねばならないことであった。いろいろと不備はあるが、それはいたしかたない。完璧なかなづかいなどというものはありえないのである。
一方で、漢字に関する施策は零点だったと思う。字数の制限がボンクラの所業であったことはよく話題にのぼるが、形を変えたのもひどかった。一例を挙げると、小学生が漢字の書き取りのときによくひっかかる、専門の「専」には点がつかないのに博物館の「博」には点がつくという、あれもこの戦後の国語改革がもたらしたものである。それ以前の形では、「専」は上半分の最後のところが「虫」みたいになっている「專」であった。また「博」は右上の部分が「甫」、捕獲の「捕」とか補欠の「補」の右半分としておなじみのあれであった。このように別々の形であったものを戦後の国語改革では無節操に同じ形にまとめ、そのうえで点の有無だけは元のまま残したのである。わざと人々を混乱させるためにやったとしか思えない。この国語改革での漢字に関するやらかしは他にもたくさんあって、知れば知るほど苦々しい思いがする。
当時のことを記したものを読むと、漢字改革の主導者の中に漢字を憎悪する人物がいたらしいことがうかがわれる。あえて名前は挙げないが、こうした漢字の惨憺たる扱いにはその人の憎悪、漢字のありかたをめちゃめちゃにしたいという気持ちが反映されていると思われてならない。
漢字は形だけではなく読みかたも面白い。呉音と漢音とか、入声とか、慣用音とか、重箱読みと湯桶読みとか、上代特殊仮名遣いとか、興味深い話題がたくさんある。が、詳しく記すとあまりに長くなりすぎるので、涙をのんで割愛。
とまあ、このように漢字の大好きな私であるが、日本語の文章を書くときに漢字をたくさん使うかというと、それはまた別の問題である。昔の人は、それはもう、あらゆる言葉に漢字を当てて書いたものであって、そういう文章を読むのも私は好きなのだが、自分で書く場合は漢字はだいぶ控えめにするようにしている。現代人にとってはそのほうが読みやすいと考えられるからである。
白状すれば、私もごく若いころには漢字で書けるものは全部漢字で書いていた。「迚も」とか、「矢鱈に」とか、「所謂」とか、「止むを得ない」とか。あれは俗にいう中二病というやつで、すこし年をくって正気に返ってみると恥ずかしくなるようなものである。
しかしながら、そうした漢字の使いかたが思春期の心を満足させたことも事実である。ひとことでいえば、背伸びということになるだろうか。日本の歴史の上では、ある程度の教育を受けた人にとっては漢字をたくさん使った文章を書くのが当然という時代が長かったが、それもあるいはインテリのかっこつけという一面があったのではないかとも思う。中二病すら漢字の世界に内包されている、というと言いすぎだろうか。




