第九章 身代わり #1
今、三笠君と私は、ネコモリサマの隠れ家にいる。
最初の時は苦労したが、一度入り方が解ってしまえば、二度めは簡単だ。
三笠君は、二度にわたって自転車で私をここまで運んでくれた。
おかげで汗だくだ。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
あなたがいなかったら、自分独りで此処まで出来たかどうか分からない。
「ネコモリサマ、いないな。また、雲隠れかな」
三笠くんが呟く。
そうなのだ、隠れ家の中にネコモリサマの姿は見当たらない。
隠れるのが好きなのか、それとも私達に意地悪をしているのか?
「ネコモリサマー、ネコモリサマァー」
二人して何度その名を呼んでも、一向に姿を現さない。
「変だなぁ。本当に留守なのかなぁ?」
色のない景色の中を、風が走って行く。
殺風景とは、正にこのことで、妙に寒々しい気持ちになる。
ゴソゴソと私の腕のなかで翠がうごめく。
また別世界に落ちたりせぬように、私はずっと翠を胸の前に抱きかかえている。
ゴソゴソ。と翠が再び身悶える。
「じっとしてて、翠。また、水に落ちて他の世界に行っちゃうよ」
とその言葉も終わらぬうちに、翠は私の胸から地面に飛び降りた。
「駄目だったら…」
私の言うことを無視して、翠は地面の臭いをかぎながらズンズン歩いて行く。
何か様子が変だと察した私は、三笠君と一緒に翠の後に続く。
二十メートルほど進んだ所で翠が立ち止まる。
真っ白い草原のただ中で、何もない。
翠は地面から顔を上げて、空中のニオイを嗅ぎはじめた。
ん?
と思っていると、突然翠が跳び上がって、空中の何かを引っかいた。
翠が引っ掻いた辺りの景色が歪む。
翠が、その歪みの一旦を口に喰える。
翠は、その喰わえた何かを引っ張るように後退りする。
すると、カーテンがまくれあがるようにして、空中に部屋が現れた。
空中部屋の中には、半透明のガラス細工のようなパイプが絡み合っている。
そのパイプ類は、赤・青・黄・緑、色鮮やかな蛍光色で明滅している。
何かの装置なのだろうか。
その装置の陰に、隠れるように丸まっているネコモリサマが居た。
「ネコモリサマ! 見つけましたよ。隠れてないで出て来てください」
ちっ、しょうがないのう。
舌打ちをして、ネコモリサマが空中の部屋からおりてくる。
「翠は見つけました。今度こそ、翠を元に戻してください!」
「またそれかぁ。しつこいのう」
「何言ってるんですか! 約束したでしょ、早く翠を人間に戻して!!」
ネコモリサマのはぐらかすような態度に、頭に血がのぼってくる。
普段は大人しい私も、命令口調になってくる。
「うーむ。なんか、他の願いに負からんかのう?」
「他の願いはありません!! まさか、今更出来ないなんて話じゃないですよね」
「んーん。察しが悪いのう…。…その、まさかじゃよ」
えっ??!
一挙に目の前が暗くなった。
「嘘ですよね。前には、どんな願いも叶えられるって、言ったじゃないですか」
「残念ながら、一度叶えた願いを元に戻すのは駄目なんじゃ」
そんな…、そんな…。
足の力が抜けて、膝から地面に崩れ落ちる。
翠は人間に戻れない。
絶望の言葉が、頭のなかでリフレインする。
三笠君がやって来て、私の肩に優しく手を添える。
三笠君の目を見る。
大丈夫。僕がついている。
そう言っているように見える。
三笠君が、ネコモリサマとの会話を引き取る。
「ネコモリサマ。話は聞いていました。翠ちゃんを元に戻せない理由を、もう少し
詳しく教えてくもらえますか?」
「それは、願いを叶えるときに、時間の流れを入れ換えておるからじゃよ」
「時間の流れを…、入れ換える?」
「左様。お主らから見れば時間の流れは一本道に見えるじゃろうが、実際には幾つ
もの流れに分かれておる。同じ瞬間に、幾つもの世界が存在しておるのじゃ」
「パラレルワールド…。ですか?」
「お主ら人間が何と呼んでおるかは知らぬが、ここから見える水の流れが、時間の
流れじゃ」
「なるほど。さっき流れの中に飛び込んで違う歴史の世界に行ったのは、そういう
訳なんですね」
と三笠君が納得したように頷く。
「うむ。例えば、美寿穂に妹がおる世界もあれば、美寿穂が一人っ子の世界もある
んじゃ。儂は、元の美寿穂の世界と、美寿穂が猫を飼っている世界とを、繋げたの
じゃよ」
「世界を勝手に繋げ換えたりして良いんですか?」と三笠君。
「元々、時の流れは分かれたり、くっついたりしているからのう。それに、お主ら
人間も自分の都合の良いように川を動かしたり、山を削ったりしとるだろうが」
「確かに…。で、願いを元に戻せないのは、どうしてなんです?」
「世界を繋げた結果、美寿穂に妹がおる世界はなくなった。じゃから、元に戻そう
にも、戻しようがないんじゃよ」
そこで、ネコモリサマが大きな溜息をつく。
「すまんのう。美寿穂…。翠を人間に戻すのは、諦めて貰うほかないのう」




