第9話 同じ六百四十二年
地上へ戻れたのは、翌日の昼を過ぎてからだった。
別の層門は、記録庫から二つ先の区画に見つかった。
元の入口から大きく離れた場所へ繋がっていて、地上側で待機していた支援隊が見つけるまで数時間かかった。
帰還後、リゼたちは三日間の強制休養を命じられた。
トルヴは初日に酒場へ行った。
ダインは半日眠ったあと訓練場にいた。
マレルは休養命令を無視して研究棟へ籠もり、鐘の記録と採取物を調べていた。
リゼは自宅へ戻った。
眠れなかった。
布団へ入ると棺が浮かぶ。
目を開けると石板が浮かぶ。
死んだ自分。
生きている自分。
未来が変わった。
その考えを何度も繰り返す。
変わるなら怖くない。
決まっていないということだから。
そう自分へ言い聞かせた。
けれど心のどこかで、別の疑問が引っかかっていた。
変わる前の未来は、なぜ残っている。
答えが出ないまま四日目の朝、深層院から呼び出しが来た。
会議室にはセヴラン・エルドがいた。
王立深層院総監。
五十八歳。
リゼが直接話したことは数えるほどしかない。
背の高い男で、白髪は増えているが姿勢に衰えはない。権威を示す装飾をほとんど身につけないせいで、廊下ですれ違えば学者に見える。
「座ってください」
柔らかな声だった。
四人が席につく。
机の中央に二枚の地図があった。
一枚は例の未来都市。
もう一枚。
見覚えがない。
「帰還直後に新たな層門が発見されました」
セヴランが言う。
「同じ深度帯です」
トルヴが眉を寄せた。
「また潜れって話か」
「休養は取りましたか」
「三日」
「では十分でしょう」
「鬼かよ」
セヴランは笑わなかった。
否定もしない。
「問題は年代です」
二枚目の地図の端に数字が書かれている。
王暦千百八十二年。
リゼは身体を少し起こした。
同じだ。
「場所は?」
「最初の層門から地上換算で西へ十二キロ。ただし内部空間の位置関係は保証できません」
「同じ街?」
マレルが訊く。
「確認していただきたい」
セヴランの目がリゼへ向いた。
ほんの短い時間だった。
それでも自分の墓のことを知っているのだと分かった。
報告書は提出してある。
当然だ。
「私も行きます」
リゼが言った。
ダインが横を見た。
何も言わない。
セヴランは一度だけ頷いた。
その日の午後、一行は新しい層門へ入った。
最初の街より空気が乾いていた。
建物の形も違う。
石造りなのは同じだが、街路が狭く、窓には鉄格子が多い。
人の姿はない。
ただ、空気そのものが荒れているように見えた。
「同じ六百四十二年後には見えねえな」
トルヴが言う。
「未来が変わったなら当然じゃない?」
リゼはそう返した。
自分で言って少し安心した。
変わった未来。
この層は、墓の街とは別の結果なのかもしれない。
それなら説明できる。
広場へ出た。
中央に巨大な騎馬像が立っている。
片腕を高く上げた男。
台座に名前。
エルガン四世。
現在のルヴェル王家にも、同じ名を持つ幼い王子がいる。
年齢から考えれば別人だろう。
ただ、王家が名前を繰り返すことは珍しくない。
台座の碑文をマレルが読む。
「《七国戦乱を終結させ、北方三都を救済した王》」
「英雄か」
ダインが像を見上げる。
リゼもそう思った。
戦争を終わらせた王。
六百年先にも、そういう人間はいるらしい。
妙なところで現実味がある。
広場を抜け、行政区へ向かう。
そこでトルヴが足を止めた。
建物の壁に、何かが並んでいる。
人の頭ほどの石像。
最初は装飾に見えた。
近づくと違った。
人間の首を模した石像。
その下に罪状。
反逆。
虐殺。
都市焼却。
そして中央。
もっとも大きな像。
名前が刻まれている。
エルガン四世。
リゼは後ろを振り返った。
広場の騎馬像が、遠くに見える。
同じ顔。
同じ名前。
同じ王暦千百八十二年。
片方では戦争を終わらせた英雄。
こちらでは数万人を殺した暴君として処刑されている。
「同じ年だよな」
ダインが訊いた。
誰も答えなかった。
リゼは壁の記録を読む。
処刑年。
王暦千百六十七年。
つまりこの歴史では、十五年前に死んでいる。
それなのに別の未来では、同じ王がその後も生き、七国戦乱を終わらせたことになっている。
「未来が変わった」
リゼは小さく言った。
その言葉を自分で確かめるように。
マレルが振り返る。
「変わった未来が、どうして二つとも残っているんでしょう」
その問いに、リゼは答えられなかった。
今までなら。
古い未来が消えて、新しい未来に置き換わったと思えた。
けれど二つの都市は、どちらも目の前にある。
どちらも王暦千百八十二年。
どちらも完全な歴史を持っている。
ひとつの未来が変更されたのなら、変更前はどこへ行くのか。
残るのなら、変更されたとは何なのか。
壁の下に、小さな文字があった。
《暴王エルガンの像を再び建てることを禁ず》
リゼはもう一度、遠くの広場を見る。
そこには巨大なエルガン四世の像が立っていた。
同じ六百四十二年後。
同じ王。
二つの歴史。
未来という言葉が、少しずつ頼りなくなっていった。




