第10話 英雄と暴君
最初の矢は、トルヴの足元へ刺さった。
警告だった。
「動くな!」
建物の上から声が降る。
ダインがすぐにリゼの前へ出た。
剣は抜かない。
まだ。
周囲を見渡す。
三階建ての建物。
窓。
屋根。
路地。
人影が五つほど見えた。
保存教会の服ではない。
革鎧。
ばらばらの武器。
「同業じゃねえな」
トルヴが呟く。
「違法発掘者?」
リゼが声を落とす。
深層院の許可なく未来遺跡へ入り、遺物を持ち出して売る者はいる。
浅い層なら珍しくない。
ここまで深く来る者は少ない。
屋根の上から男が降りた。
四十歳前後。
右頬に長い傷。
手に細身の槍を持っている。
穂先より柄の方が異様だった。
黒い金属。
表面に薄い線が走っている。
「持ってる記録と遺物を置いていけ」
男が言った。
「何も持ってない」
トルヴが答える。
「その鞄が記録でいっぱいなのは見れば分かる」
「食料だ」
「石板を食うのか」
「腹が強くてな」
男が笑わなかった。
「もう一度だけ言う。置いていけ」
ダインが前へ出た。
「断る」
「護衛か」
「見れば分かるだろ」
「若いな」
「お前よりは」
男の槍が動いた。
速かった。
ダインが剣で受ける。
金属同士がぶつかる。
一撃。
男はすぐに後ろへ下がった。
ダインも追わない。
互いに距離を取る。
「それだけ?」
ダインが言った。
次の瞬間、身体が横へ飛んだ。
何も触れていない。
リゼにはそう見えた。
ダインの左肩が大きく弾かれ、壁へぶつかる。
「ダイン!」
「来るな!」
立ち上がる。
左肩を押さえている。
鎧に新しい傷。
ただし男は数歩離れた場所にいる。
槍も構えたまま。
動いていない。
「何した」
ダインが男を見る。
男は答えず、槍の石突で床を突いた。
一度。
そして横へ動く。
リゼは床に傷がついたのを見た。
トルヴが短剣を抜く。
屋根の上から矢。
マレルが柱の陰へ入った。
ダインが槍の男へ迫る。
二合。
三合。
剣と槍がぶつかる。
男は奇妙な戦い方をしていた。
ダインを狙うより、床や壁を突く回数が多い。
外しているようにも見える。
「下手なのか?」
トルヴが言った。
「違う」
リゼは答えた。
何かをしている。
男は壁を突いた。
槍が石へ当たり、欠片が散る。
すぐに離れる。
三秒ほど経った。
壁から石粉が弾けた。
同じ場所。
何も当たっていないのに。
リゼの目が止まった。
「今の」
床。
さっき男が槍の石突で突いた場所。
トルヴがそこへ踏み込もうとする。
「踏まないで!」
声が間に合った。
トルヴが足を引く。
直後。
床から衝撃が跳ね上がった。
見えない槍が石を突いたように、傷の場所から石片が飛ぶ。
トルヴが目を見開いた。
「そういうことか」
「何が?」
ダインはまだ男と戦っている。
「一度の攻撃が、後でもう一回来る!」
リゼが叫んだ。
男の口元が初めて動いた。
笑った。
「気づくのが遅い」
槍がダインの剣を叩く。
ダインは一度目を受けたあと、すぐ横へ動いた。
数秒後。
今まで盾代わりにしていた空間へ、同じ衝撃が走る。
そこにはもう誰もいない。
「なるほどな!」
ダインの顔が変わる。
仕組みが分かれば戦える。
そう思ったのだろう。
けれどリゼは引っかかった。
一度の攻撃が二度来る。
本当にそうなのか。
男が槍で床を突く。
壁を突く。
柱。
石段。
あちこちへ攻撃を残していく。
それから自分だけが、その場所を避けて動いている。
ダインが追う。
男はわざと後退する。
「追わないで!」
リゼが叫ぶ。
遅い。
ダインが一歩踏み込んだ。
その足元。
さっき槍が床を突いた場所。
衝撃。
ダインの身体が跳ねる。
そこへ男の槍。
剣で受ける。
一撃。
そして数秒後にもう一撃。
今度は後ろへ飛んでかわした。
「面倒くせえ!」
ダインが吐き捨てる。
男は余裕を取り戻している。
この遺物を何度も使ってきたのだろう。
自分だけが、どこに攻撃を置いたか知っている。
戦場そのものが彼の罠になる。
リゼは男ではなく床を見た。
傷。
壁。
柱。
全部に一度ずつ痕がある。
そのうち一つ。
さっきダインの肩を弾いた場所。
最初に槍と剣がぶつかった位置。
リゼは思い出す。
一撃目はダインの剣で受けた。
二撃目。
ダインの肩へ当たった。
なぜ。
剣は動いていたから。
その瞬間、意味が変わった。
攻撃を複製しているのではない。
「ダイン!」
「今忙しい!」
「二回攻撃してるんじゃない!」
「十分二回来てる!」
「場所!」
男の表情が変わった。
ほんのわずか。
それで確信した。
リゼは続ける。
「攻撃を覚えてるんじゃない。場所が覚えてる!」
ダインの動きが変わる。
男が柱を突く。
ダインはその柱から大きく離れた。
数秒後、同じ場所へ同じ角度で衝撃が走る。
「力の向きも同じ」
リゼは言った。
「槍そのものが二回出てくるんじゃない。そこに加えた衝撃が、後でもう一度起きる!」
男が舌打ちした。
屋根の仲間へ合図する。
矢が飛ぶ。
トルヴがリゼを柱の裏へ押し込む。
ただし、その柱には槍の傷があった。
リゼの背中が冷える。
「ここ駄目!」
二人が横へ飛ぶ。
直後、柱から横向きの衝撃。
石片が頬を掠める。
痛み。
温かいものが流れた。
リゼは手の甲で拭った。
血を見る余裕はない。
男の動きを見る。
彼は自分が攻撃した場所へ絶対に入らない。
当然だ。
自分の能力に巻き込まれる。
けれど攻撃を置きすぎたせいで、自分の動ける場所も減っている。
「ダイン!」
今度は返事を待たなかった。
「左へ追って!」
「理由!」
「後で!」
ダインが男の右側へ斬り込む。
男が左へ避ける。
そちらには床の傷がない。
さらに一歩。
「もっと左!」
ダインは何かに気づいたらしい。
男を倒そうとせず、進路だけを制限する。
槍を剣で払い、右側を塞ぐ。
男が後ろへ下がる。
そこにも傷がある。
避ける。
左。
また左。
男の顔から余裕が消えた。
「何を」
言いかけて足が止まる。
リゼはその場所を見ていた。
最初に彼が石突で突いた床。
戦闘が始まってからかなり時間が経っている。
一度目の再発は、もう終わっている。
だから男自身も安全だと思ったはずだ。
ただし。
最初のときだけ、男は同じ場所を二回突いていた。
軽く。
その後、もう一度強く。
リゼはそれを見ていた。
二つの衝撃が一つの傷に重なっていた。
男も忘れていた。
床が爆ぜた。
二回目の強い衝撃が斜めに走る。
男の足が払われた。
身体が傾く。
ダインが槍を弾き飛ばし、そのまま男を床へ押さえ込んだ。
剣の刃を首には当てない。
代わりに手首を踏む。
「終わりだ」
屋根の上の者たちが動きを止めた。
トルヴが短剣を構えたまま睨む。
数秒。
一人が後退した。
続いて他の者も姿を消す。
仲間を置いて逃げる判断は早かった。
「薄情だな」
ダインが言う。
床に押さえられた男は笑った。
「捕まった奴を助けるほど仲良くねえ」
「仕事仲間ってそんなもんか」
「お前らだって似たようなもんだろ」
ダインの足に少し力が入った。
「一緒にするな」
リゼは落ちた槍へ近づいた。
トルヴに止められる前に、今回は触らなかった。
柄の文字を読む。
短い。
《反響》
それだけ。
「反響槍」
男が言った。
「大層な名前だろ」
リゼは槍より床を見ていた。
傷。
そこに攻撃した者はもう何もしていない。
それでも少し遅れて、力だけが戻ってくる。
音が終わったあとに残ったものを食べる現象。
衝撃が終わったあとに、その場所へ残る力。
似ている。
別の未来なのに。
「どうした?」
マレルが訊く。
リゼは首を振った。
まだ言葉にするほどではない。
偶然かもしれない。
未来には理解できない法則がいくらでもある。
それでも、妙な感じがした。
出来事が終わっても何かが残る。
音も。
力も。
そして、もしかすると。
歴史も。
リゼは遠くに見える英雄王の像を見た。
同じ年の別の街では、その王の首が晒されている。
未来が変わった。
そう考えていた。
けれど本当にそうなのだろうか。
変わったのなら、片方はなぜ消えない。
二つとも残っているのなら。
そもそも自分たちは、何を未来と呼んでいるのだろう。




