第8話 二人目のリゼ
教会との追走は長く続かなかった。
理由は簡単だった。
街が先に壊れた。
正確には、壊れたという言い方も違う。
通路が横へ折れ、建物が重なり、さっきまであった場所へ別の道が差し込んでくる。
追う側も逃げる側も関係ない。
足場そのものが信用できなくなった。
トルヴは鐘の舌を置く判断をした。
反対したのはリゼだけだった。
最後まで言い切る前に、ダインが包みを床へ置いた。
「嫌なら後で取りに来い」
「後で来られる保証が」
「今死んだら後もない」
それで終わった。
悔しかったが、正しかった。
鐘の舌を置いてから街の変形は少しずつ弱くなり、四人は墓所とは反対側の区画へ逃げ込んだ。
教会兵の姿は途中で見えなくなった。
追ってこなかったのか。
追えなかったのか。
それも分からない。
「出口は?」
マレルが壁にもたれた。
「元の層門はもう道が繋がってねえ」
トルヴが地図を広げる。
歩いてきた経路へ線を引いてある。
ただし今は、その線の意味が薄くなっていた。
都市の方が形を変えてしまった。
「別の層門を探すしかない」
「そんな簡単に見つかる?」
リゼが訊く。
「簡単じゃねえから、お前らも働け」
疲れているはずなのに、いつもの言い方だった。
少し安心する。
四人は周囲を調べ始めた。
避難した建物は、役所のような場所だった。
窓口に似た石台。
壁一面の棚。
紙類はほとんど残っていないが、薄い石板が何十枚も差し込まれている。
マレルの目が変わった。
「記録庫かもしれない」
「出口を先に探せ」
ダインが言う。
「探しながら読めます」
「お前、歩きながら本読む奴か」
「できますよ」
「褒めてない」
リゼも棚へ近づいた。
未来遺跡の記録は、時として遺物より価値がある。
とくにこの街は自分の墓まである。
どんな小さな情報も無視できなかった。
石板の多くは行政記録だった。
物資。
移住。
建築。
地名。
知らない言葉も多い。
その中に、人名一覧らしきものがあった。
リゼは上から追っていく。
目が止まった。
見覚えのある名前ではない。
見覚えしかない名前だった。
リゼ・アシュレイ。
指先が止まる。
「マレル」
呼んだ声が、自分でも少し高く聞こえた。
彼が寄ってくる。
ダインも気づいた。
「またか」
「待って」
リゼは周囲の文字を読む。
これは墓の記録ではない。
どうやら到着者の一覧。
人が街へ入った日付と目的が書かれている。
リゼ・アシュレイ。
年齢。
三十一。
「三十一歳」
ダインが読んだ。
誰も続けない。
墓にあった骨は二十代から三十代前半。
範囲としては一致する。
だから最初、リゼも同じ人物だと思った。
けれど日付を見て違和感が生まれた。
「年を見て」
マレルが先に気づく。
王暦千百八十二年。
墓碑の都市年代と同じ。
「この年に生きてる」
リゼが言った。
「墓に入った時期がもっと後なら問題ないだろ」
ダインが言う。
「違う」
マレルが首を振る。
「墓碑の追悼文を覚えてますか」
リゼは思い出す。
詳しく読んでいなかった。
自分の名前に気を取られていたからだ。
マレルは紙へ写していた文面を取り出した。
そこには死亡年がある。
王暦千百八十二年。
同じ年。
ダインが紙と石板を見比べる。
「年の途中で死んだんじゃないか」
「墓碑に死亡月もあった」
「じゃあ、この記録がその前」
「逆です」
マレルが指を置く。
墓碑に刻まれた死亡月。
第三月。
街への到着記録。
第九月。
半年後。
ダインが黙った。
トルヴも地図から顔を上げている。
リゼは石板を手にしたまま、その二つの日付を何度も見た。
死んだあと。
半年後。
三十一歳の自分が、この都市へ来ている。
「記録ミスじゃないの」
口にしてから、頼りないと思った。
六百年以上先の記録にも間違いはある。
それを否定する理由はない。
ただ、それなら自分の墓そのものも記録ミスで済ませられる。
左肩の骨まで同じだったことも。
都合よく疑えば何でも疑える。
だから苦しい。
「同じ人間じゃないのかもしれない」
マレルが言った。
「同姓同名で、同じ仕事?」
ダインが返す。
「可能性はあります」
「お前、本気で言ってる?」
「本気かどうかではなく可能性の話です」
二人の声が遠く感じた。
リゼは別の文字を見ていた。
到着理由。
《王都西域の深層調査より帰還》
帰還。
このリゼは、どこかへ行って戻ってきた。
墓の自分と違う人生を生きていたのか。
それとも同じ人生の、違う記録なのか。
石板の下部にもう一つ項目がある。
同行者。
四人。
知らない名前。
その最後に、小さな追記。
《本人照合済》
リゼは指でそこをなぞった。
未来の誰かも、この人物がリゼ・アシュレイ本人であることを確かめたらしい。
それが何を意味するかは分からない。
ただ一つ、これまで握っていた考えが崩れた。
未来は一本の道ではない。
少なくとも、目の前の記録だけを見るなら。
墓の中で死んだ自分と、半年後に街を歩いていた自分。
二人とも、この都市には記録されている。
リゼは石板を棚へ戻さなかった。
手に持ったまま、外の暗い街を見た。
未来が変わったのだろうか。
そう考えれば、まだ理解できる。
何かが起きて自分の死ぬ未来が消え、生きる未来へ変わった。
そのときは、それが一番ましな答えに思えた。




