↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『明日の遺跡を掘る者たち』  作者: asnt2026


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/17

第5話 音を食べるもの

最初に金具を落としたのは、ただの不注意だった。


墓所の北側にある細い通路を調べていたとき、リゼの腰袋から留め具が外れた。


小さな鉄片が石床を跳ねる。


からん。


高い音が通路を走った。


リゼは足元へ屈んだ。


「拾うな」


ダインが低く言った。


その声で身体が止まる。


前方。


暗い通路の奥で、何かが動いた。


最初は石が崩れたように見えた。


壁際に積もっていた灰。


折れた木片。


錆びた金属片。


それらが少しずつ引き寄せられ、一つの形を作っていく。


四本の脚。


低い胴。


頭に見える部分には目がない。


代わりに左右へ薄い骨片のようなものが広がっていた。


「層現象だ」


トルヴが工具をしまう。


声が変わっている。


「下がれ」


リゼも何度か見たことがある。


廃未来の法則がこちら側の物質へ触れたとき、ごく稀に生き物のような形を取ることがある。


本当の生物ではない。


だからといって安全でもない。


ダインが剣を抜いた。


金属音が鳴る。


四足のものは動かなかった。


リゼは眉を寄せた。


目がない。


耳らしきものはある。


なら音へ反応したはずだ。


「聞こえてない?」


思わず口にした。


「試すな」


ダインが言った直後、異形が動いた。


リゼへではない。


床。


先ほど金具を落とした場所へ飛びかかった。


前脚が石を削る。


「何だ?」


ダインが声を上げる。


異形は彼を見ない。


鼻先のような部分を床へ擦りつけている。


何かを舐め取っているようにも見えた。


「今の音に反応した?」


マレルが訊く。


「遅すぎる」


リゼは答えた。


金具を落としてから数秒は経っている。


音の届く速度が違うのか。


そんな廃未来があっても不思議ではない。


そう考えたとき、ダインが剣の腹を壁へ打ちつけた。


「おい!」


甲高い音が響く。


「何してるの!」


「音ならこっちだろ」


異形は振り向かない。


ダインがもう一度、壁を叩く。


今度はさらに大きい。


それでもすぐには反応しなかった。


「やっぱり聞こえてない」


ダインが言った。


その直後だった。


異形の頭部が跳ね上がった。


ダインが剣を構える。


しかし異形は彼ではなく、数歩横の壁へ突進した。


最初に剣を打ちつけた場所。


二度目ではない。


一度目の場所だった。


爪が壁を抉る。


「ずれてる?」


マレルが呟いた。


リゼの頭の中で何かが引っかかった。


音の伝わり方が遅い。


最初はそう思った。


でもそれなら、金具の音もダインの剣音も、発生した順番通りに届けばいい。


異形はなぜ音源ではなく、音が出た場所そのものへ行く。


「走れ」


トルヴが言った。


通路の奥から、もう一つ形が生まれている。


灰が盛り上がり、二匹目が脚を作り始める。


四人は来た道を戻った。


ダインが最後尾。


リゼの息が乱れる。


背後で爪音がする。


「追ってくる!」


マレルが叫ぶ。


曲がり角へ飛び込む。


トルヴが脇の扉を蹴り開けた。


広い部屋。


壁際に朽ちた棚が並び、中央に大きな鐘が吊られている。


リゼは足を止めかけた。


鐘の表面に文字がある。


読んでいる余裕はない。


「奥へ!」


ダインが叫ぶ。


四人が室内へ入る。


異形も続く。


トルヴが棚を倒した。


木材が大きな音を立てて床へ崩れる。


一匹が飛び越える。


もう一匹も止まらない。


「効かねえ!」


「今はね」


リゼは息を切らしながら言った。


自分でも、なぜそう言ったのか分からなかった。


床へ落ちた棚。


響いた音。


異形はまだこちらを追っている。


リゼは走りながら背後を見た。


数秒。


一匹が急に進路を変えた。


倒れた棚へ向かう。


何も動いていない。


もう音もしていない。


それなのに、異形は木材へ頭を押しつけた。


「止まって!」


リゼが叫んだ。


「何?」


「動かないで。音も出さないで」


ダインが異形を見ながら剣を握る。


「それで食われたら?」


「たぶん逆」


「たぶん?」


「いいから!」


四人が動きを止めた。


息だけが耳に残る。


リゼはできるだけ浅く呼吸した。


異形が顔を上げる。


こちらへ向かう。


ダインの指が剣柄へ食い込む。


まだ。


リゼは床を見た。


自分たちが走った足跡。


音はもう消えている。


けれど異形は足跡をなぞるように進んでくる。


一歩。


また一歩。


正確には、足跡ではない。


自分たちが音を立てた場所。


異形はそこを順番に辿っている。


リゼの頭の中で、ばらばらだったものがようやく並んだ。


金具。


ダインの剣。


倒れた棚。


全部、音が鳴っている間には反応していない。


「聞いてるんじゃない」


リゼが小さく言った。


ダインだけが視線を向ける。


「何だって?」


「音が終わってから来てる」


異形がまた一歩近づく。


「こいつらが追ってるのは音じゃない。音があった場所」


「違いが分からん」


「この廃未来では、音が消えてないのかもしれない」


言葉にすると、自分でも奇妙に聞こえた。


けれど目の前の現象には合う。


音が止んでも、その場所に何かが残る。


目には見えない。


人間には感じられない。


こいつらだけが分かる。


「残った音を食ってる?」


マレルが呟いた。


異形が倒れた棚へ戻り、木材を擦った。


まるでそこに染み込んだ何かを舐めている。


トルヴの目が動く。


「なら濃いのを作ればいい」


リゼも同じことを考えていた。


部屋の中央。


巨大な鐘。


鐘を鳴らせば、どれだけの音が残る。


「でも鐘を鳴らしたら、あれが全部集まってくる」


マレルが言った。


「だから鳴らして逃げる」


ダインが答えた。


「単純でいい」


「たまには褒めろ」


トルヴが鐘の下へ走った。


異形が反応する。


今度は走る音を追っているのではない。


トルヴが通過した場所を少し遅れて辿り始める。


「やっぱりそうだ」


リゼは確信した。


トルヴが鐘の打ち棒を掴む。


「一発でいいか!」


「できるだけ大きく!」


「そういう注文は得意だ!」


全身を使って打ち棒を引いた。


鐘が鳴った。


音というより、空気そのものが押し寄せた。


胸骨が震える。


耳の奥が痛む。


巨大な響きが部屋を満たし、通路の先へ流れていく。


一匹。


二匹。


さらに外から別の影。


灰や木片が寄り集まり、新しい異形を作る。


それでも、鐘が鳴っている間は動かない。


リゼはその光景を見ていた。


「まだ!」


皆が出口へ走ろうとするのを止める。


鐘の響きが弱くなる。


やがて聞こえなくなった。


一瞬の静寂。


次の瞬間、異形たちが一斉に鐘へ飛びかかった。


「今!」


四人は反対側の扉へ走った。


鐘の周囲へ異形が集まる。


互いを押し退けるように石床を掻き、台座へ頭を擦りつける。


音はもうない。


少なくともリゼたちには聞こえない。


それなのに彼らにとっては、鐘の周囲が何かで満ちているらしい。


出口へ辿り着いたトルヴが天井を見上げる。


「リゼ!」


梁が一本、途中で折れている。


鐘を吊っている支柱へ繋がっている。


意図が分かった。


リゼは頷いた。


「落として!」


トルヴが楔を打つ。


一度。


二度。


三度目で石梁に亀裂が走った。


異形たちは振り向かない。


もう音よりも、鐘の周囲に残った何かへ夢中になっている。


梁が落ちた。


鐘が傾く。


巨大な金属塊が台座ごと崩れ、異形たちを巻き込んだ。


床が揺れる。


リゼたちは扉の外まで走った。


しばらくして戻ると、そこに生き物の死体はなかった。


灰。


木片。


骨片。


錆びた金属。


最初から床にあったものが、何事もなかったように散らばっている。


マレルがその場へしゃがんだ。


「本当に生き物じゃないんだな」


リゼは返事をせず、倒れた鐘を見た。


鐘の表面には文字が刻まれている。


埃を払う。


古い共通文字。


《残響を留める鐘》


意味を読んだ瞬間、背中が少し冷えた。


偶然ではなかった。


自分たちはたまたま怪物の習性を利用したのではない。


この場所では本当に、音が消えたあとも何かが残る。


ダインが隣へ来た。


「リゼ」


「何?」


「さっき金具を落としただろ」


「うん」


「俺たちが逃げる前、あれはまだ床にあった」


リゼは彼の視線を追った。


入口近く。


小さな鉄の留め具。


異形は最初、その場所へ飛びかかった。


けれど金具そのものには傷一つない。


狙っていたのは、物ではなかった。


リゼは静まり返った部屋を見回した。


何も聞こえない。


ただ、その静けさが本当に空っぽなのか分からなくなった。


目には見えないだけで、少し前までここにあった音が、今も床や壁に残っているのかもしれない。


出来事が終わっても、痕跡だけは消えない。


そのときのリゼはまだ知らなかった。


六百四十二年後の都市そのものについても、よく似た問いを抱くことになる。


なぜ、終わったはずのものが地下に残るのか。


そして誰が、それを残しているのか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。