第14話 空へ落ちる剣
山岳地帯の層門は、崖の途中にあった。
地上からそこまで登るだけで半日かかる。
トルヴは到着するなり岩へ腰を下ろし、もう今日は帰ろうと言った。
「まだ入ってもない」
リゼが呆れる。
「だからだ。入らなきゃ帰れる」
「名案ですね」
ネマが真顔で答えた。
トルヴが彼女を見る。
「お前、たまに冗談か本気か分からねえな」
「本気です」
「もっと分からなくなった」
ダインは崖際で装備を確認している。
胸甲。
剣。
腕当て。
今回は狭い遺跡になる可能性が高いため、いつもより軽装だった。
層門の向こうは採掘場のような場所だった。
黒い岩肌。
途中で放棄された坑道。
未来遺跡というより、現在の鉱山に近い。
年代標識によれば王暦七百二十一年。
百八十年ほど先。
これまで見た未来よりかなり近い。
「鉄鉱山だったみたい」
リゼは壁の黒い筋へ触れた。
天然鉄を多く含んだ鉱脈。
グラン=ヴェインは現在でも良質な鉄で有名だ。
百八十年後も変わらないらしい。
「人がいる」
ダインが突然言った。
全員が止まる。
坑道の奥。
ランタンの光。
一つ。
二つ。
向こうも気づいた。
男が三人現れた。
装備に統一性がない。
深層院でも教会でもない。
そのうち中央の男だけ、異様な剣を持っていた。
黒い刀身。
幅広。
何より奇妙なのは、腰へ下げていないことだった。
剣が肩の横に浮いている。
紐もない。
男が手を伸ばすと、柄が掌へ吸い寄せられた。
ダインが剣を抜く。
「また違法発掘か」
「そっちも発掘だろ」
男が笑う。
三十代半ば。
顔半分を布で覆っている。
「国の札が付けば正義になるのか?」
「少なくとも盗品を売るよりはな」
「真面目だ」
男が黒い剣を持ち上げた。
その瞬間、ダインの身体がわずかに浮いた。
本人が一番驚いたらしい。
「何だ?」
胸甲が上へ引かれている。
足が床から離れる。
剣も。
腰の金具も。
金属部分だけが天井方向へ引っ張られる。
「ダイン!」
リゼが手を伸ばす。
ダインは壁を蹴り、どうにか岩の出っ張りを掴んだ。
「重力か!」
トルヴが叫ぶ。
男は笑った。
自分の鎧も浮いている。
けれど身体には革帯で固定されているらしく、その浮力を使って軽々と地面を蹴った。
一跳びで数メートル。
壁へ足をつき、方向を変える。
「面倒なのばっかり出てくるな!」
ダインが叫んだ。
敵が空中から斬り込む。
ダインは胸甲を引かれたまま剣で受ける。
身体が安定しない。
刃が擦れ、火花が飛ぶ。
リゼは壁際へ退きながら相手を見る。
重力をなくす遺物。
最初はそう思った。
けれど違和感がある。
男自身は浮かない。
服も。
革の靴も。
「金属だけ?」
リゼは腰袋から銅貨を一枚取り出した。
「何してる!」
トルヴが叫ぶ。
「確認!」
投げる。
銅貨は普通に床へ落ちた。
澄んだ音が坑道へ響く。
男が一瞬こちらを見た。
「違う」
金属全部ではない。
ダインの剣。
胸甲。
敵の剣。
どれも鉄だ。
「鉄!」
リゼが言う。
トルヴが壁際に積まれていた黒い鉱石を拾った。
「じゃあこれは?」
天然の鉄鉱石。
手を離す。
床へ落ちた。
リゼは息を止めた。
鉄なのに浮かない。
「何で」
敵がもう一度ダインへ突っ込む。
ダインは壁へ背をつけて受ける。
敵は浮力を利用している。
体重がほとんどない。
前後だけでなく上からも来る。
「考えるなら早くしてくれ!」
「分かってる!」
銅は落ちる。
天然鉄も落ちる。
剣は浮く。
鎧も浮く。
何が違う。
材料。
形。
重さ。
男の腰から小さな革袋が落ちた。
中身が散らばる。
食料。
火打ち石。
小さな鉄釘。
釘だけが途中で止まり、ゆっくり天井へ上がった。
リゼの視線がそこへ吸い寄せられる。
鉄釘。
天然のものではない。
人が作った。
壁の鉱石は浮かない。
鉱石を溶かし、叩き、形を与えた剣は浮く。
胸甲も。
釘も。
「加工した鉄」
言葉が口から出た。
ネマが振り向く。
「何です?」
「鉄じゃない。人が形を作った鉄だけ!」
敵の目がこちらへ向いた。
答えだった。
「ダイン、鎧を脱いで!」
「戦ってるの見えるか!」
「見えるから言ってる!」
「今脱げるか!」
トルヴが坑道脇の支柱へ斧を振り下ろした。
木材が割れ、敵の進路へ倒れる。
一瞬だけ距離が開いた。
「今だ!」
ダインが胸甲の留め具を外す。
金属鎧が身体から離れた瞬間、天井へ向かって飛んだ。
鈍い音を立てて張りつく。
腕当ても。
剣は手から離せない。
ダインは迷ったあと、それも放した。
剣が上へ消える。
「素手でやれって?」
「待って!」
リゼが周囲を見る。
鉄鉱石。
床に転がる黒い塊。
一つ拾う。
重い。
両手で持つ。
「これ!」
ダインへ投げるには重すぎた。
途中で落ちた。
「役に立たねえ!」
「拾って!」
敵が笑いながら迫る。
「石ころで何を――」
言葉が途中で切れた。
ダインが鉄鉱石を両手で掴み、振り抜いた。
黒い塊が敵の剣とぶつかる。
無骨な音。
敵の剣は浮く。
鉱石は浮かない。
質量の差で敵の手首が大きく弾かれた。
「なるほどな」
ダインの口元が上がる。
「そういう喧嘩なら嫌いじゃない」
敵は空中へ逃げる。
軽い。
速い。
まだ圧倒的に有利だ。
その動きを見ていたリゼは、もう一つ気づいた。
敵の鎧も浮いている。
なのに本人と離れない。
革の帯。
胸から腰へ何本も回して固定している。
「ダイン! 革!」
「どれ!」
「鎧を身体に留めてる帯!」
ダインは敵の動きを見る。
一度。
二度。
三度目の接近。
避ける。
鉱石で剣を逸らす。
空いた左手が敵の胸元へ伸びた。
革帯を掴む。
引く。
切れない。
「硬いぞ!」
「革なんだから切って!」
「剣がない!」
トルヴが短刀を投げた。
「使え!」
短刀は鉄製だった。
空中へ浮き上がる。
ダインの頭上を通過した。
「おい!」
「悪い!」
「何してるの!」
リゼまで叫んだ。
マレルが腰から小さな解剖刀を出しかけて止まる。
「これも鉄です」
「今言うな!」
ネマが足元の壊れた木箱を蹴った。
板が外れる。
その端に鋭く割れた石片が挟まっていた。
ダインが掴む。
敵が離れようとする。
一瞬遅い。
石片が革帯へ食い込んだ。
一本。
二本。
切れる。
男の顔から笑みが消えた。
鎧だけが上へ飛んだ。
本人の身体が床へ落ちる。
高さは二メートルほど。
受け身を取ろうとしたところへダインが乗りかかった。
鉄鉱石を頭の横へ落とす。
床が割れた。
「次は頭だ」
男が動きを止めた。
残り二人はすでに逃げていた。
坑道に静けさが戻る。
天井には剣、胸甲、釘。
加工された鉄だけが張りついている。
リゼはそれを見上げた。
「同じ鉄なのに」
ネマが隣に立つ。
「違いましたね」
「成分じゃない」
リゼは床の鉄鉱石を見る。
「自然にある鉄と、人が作った鉄を、この未来は別のものとして扱ってる」
言ってから奇妙な感じがした。
世界が物を分ける。
鉄かどうかではなく、どういう過程を通ってそこにあるかで。
「世界が扱ってる、ですか」
ネマがその言葉を繰り返した。
リゼを見る。
ほんの少しだけ、何かを確かめる目だった。
「何?」
「いえ。悪くない言い方だと思っただけです」
ネマはそれ以上言わない。
リゼは天井に浮かぶ剣を見上げた。
同じ物でも、世界が違えば同じとは限らない。
当たり前のようで、今まで考えたこともなかった。
そして、なぜか自分の墓を思い出した。
地上にいるリゼ。
地下に眠るリゼ。
見た目も身体の傷も同じ。
それでも。
世界の方が二人を違うものとして扱っているのだとしたら。
何を基準に。




