25_四十隻を招く
帝国艦隊の四十隻は、夜明けとともに帆を上げた。
沖に横一列で並んでいた船が、三つの隊へ組み替わっていく。正面に中型ガレー船、両翼に速い軽ガレー船。その後ろへ輸送船と補給船を置き、中央には金縁の帝国旗を掲げた旗艦がいる。
ダリオはアマルタの港塔から、その動きを見ていた。
港内では、大破した二隻が応急修理を終え、艤装を繰り上げた新造艦も列へ入っていた。造船所が二日二晩で動かした三隻を加え、預かった十六隻がすべて揃っている。
「封鎖陣形じゃない」
隣に立つルシオが言った。
「港へ入るつもりだ」
秋の荒天まで遠くない。四十隻へ水と食料を運び続け、敵対した五都市すべてを封鎖するには、帝国の補給線も長すぎる。五年かけて街を屈服させるのではなく、今日のうちに共同艦隊を破り、アマルタ造船所を取り戻す。
カシアンは、決戦を選んだ。
「港鎖を下ろせ」
ダリオは命じた。
アマルタの港口を塞いでいた鎖が、巻き上げ機の音とともに水中へ沈む。
昨日まで守っていた入口が開いた。
共同艦隊の十一隻が、北寄りの航路から一列に出る。三つの都市旗とレウカ旗、その上に共同信号旗。船体の違いも櫂の長さも揃っていないが、進路変更の青布は同じ瞬間に上がった。
出港前、リヴィアは盟約の写しを共同旗艦の船尾へ釘で留めた。波をかぶれば読めなくなる場所だが、誰の命令で出るのかを船員全員へ見せるためだった。
「戻る条件も裏にあります」
紙の裏には、帝国艦隊の撤退か現地休戦で指揮権が失効すると書かれている。
「勝ったあとに剥がす紙か」
「負けても剥がします。あなたが持ち帰れなければ、審査役が」
縁起のいい言葉ではない。だがダリオは、そのほうが信用できた。
十一隻から、出港確認の白布が順に上がった。遅れた船へ怒鳴る者はいない。最後尾まで数え、十一枚を見てから先頭が進む。南では、テッサも五隻すべての返答を待っているはずだった。
ドレカの五隻は港を出なかった。
夜のうちに南の小入り江へ移り、岩陰で帆を伏せている。テッサから届くはずの旗は、まだ見えない。
「十一隻だけで、四十隻を迎えるのか」
若い信号役の声が震えていた。
「迎えない。招くんだ」
ダリオは共同旗艦へ乗り移った。
リヴィアは海図と記録箱を持って船尾へ続き、ルシオもアマルタ側の連絡役として乗り込んだ。
*
帝国の先頭が北航路標識へ近づいた。
古い石柱と浮標が、深い公認航路の縁を示している。父の敗戦では、味方がこの標識を壊し、暗礁へ敵を誘い込もうとした。カシアンはそれを見抜き、標識の外へ出なかった。
ダリオは一本も壊さなかった。
十一隻は標識の内側を進み、誰が見ても安全だと分かる航路で帝国船へ矢を放った。届く寸前に帆を返し、北航路を西へ退く。
帝国の角笛が鳴った。
軽ガレー船六隻が隊列を離れ、追ってくる。だが中型船は動かない。あまりに分かりやすい退却を、罠と見ているらしい。
「速力を上げるな」
ダリオは黄色布を上げさせた。
共同艦隊なら、全力で軽ガレー船だけを誘える。だがそれをすれば、本隊との間が開きすぎる。カシアンは軽船を見捨て、港へ進むかもしれない。
十一隻は、追いつけそうで追いつけない速さを保った。
帝国軽ガレー船から矢が飛ぶ。最後尾のイスカラ船へ数本が刺さったが、艦長は独自に速度を変えず、速力維持の布を返す。
六隻だけでは罠へ入らない。
ダリオは、港塔へ緑の旗を送った。
アマルタの北岸から、ニコラが用意した大型商船が四隻現れた。帆は荷重でたわんでいるように低く張り、甲板には避難民に見せかけた布包みが積まれている。
中身は空だった。
喫水線へ黒い帯を描き、水を満載した船のように見せている。櫂も武器もなく、護衛はイスカラの小舟一隻だけだ。
帝国側から見れば、商人と資産が港を捨て、西へ逃げ出したように見える。
続いてタヴェラ河口に、エンリオの穀物船三隻が姿を見せた。甲板へ麦袋を高く積み、岸には荷運び人を走らせている。
袋の上段だけが麦で、下は砂と空樽だ。
逃げる商船を捕らえれば、イスカラの財力を奪える。穀物船を焼けば、五都市の食料を絶てる。共同艦隊を追えば、アマルタ港への道が開く。
帝国艦隊の前に、三つの獲物が同時に現れた。
「どれを選ぶ」
ルシオが旗艦の船尾でつぶやいた。
「全部だ」
ダリオは帝国旗艦を見た。
カシアンなら、一つを諦めて残りを確実に取る。だが四十隻を率いる者には、全部取れる兵力がある。
帝国旗艦から三種類の旗が上がった。
最初の旗が途中で下がり、別の組み合わせへ変わった。イスカラ商船を追う軽船の数が二隻減り、中央へ戻る。旗の変化から、獲物を見ても戦列の継ぎ目を残そうとしていると読めた。
ニコラの商船はそこで一隻だけ帆を張り、残る三隻を曳き始めた。全船で逃げられないほど人と財貨を積んでいるように見せる。帝国軽船は再び西へ向きを変えた。
タヴェラ河口では、荷運び人が麦袋を海へ投げた。袋が裂け、表面だけに詰めた麦が水へ広がる。遠目には、避難を諦めて積荷を捨てたとしか見えない。
五都市は船だけでなく、商人の演技と農民の積み荷まで作戦へ差し出していた。
右翼の軽ガレー船は、イスカラ商船へ向かう。左翼の一部がタヴェラ河口へ進む。中央の中型船は、退く共同艦隊を追って北航路へ入った。
「来た」
だが、まだ四十隻ではない。
帝国輸送船と補給船は後方に残り、旗艦も合流点の手前で速度を落としていた。
*
午前の潮が満ち始めた。
共同艦隊は、昨日測った北の線を後ろ向きにたどる。先頭艦が進路を変えるたび、後ろの船が同じ場所で続いた。壊していない航路標識が、帝国船にも味方船にも正しい深みを教えている。
帝国旗艦は、罠を探る軽ガレー船を先へ出した。
六隻が共同艦隊の側面へ回り、矢と投石を浴びせる。ダリオは応射させたが、追い払うために隊列を崩さなかった。
「右舷、接近!」
一隻が速度を上げ、最後尾のアマルタ艦へ衝角を向けた。
「最後尾、左へ半船! 前二隻は間を開けるな!」
共通信号が上がる。
アマルタ艦は衝撃を斜めに逃がした。船腹の板が割れたが、沈まない。隣のレウカ巡回船が救難へ寄ろうとする。
「位置を保て! まだ救難旗は出していない!」
ダリオの命令が届き、巡回船は戻った。
昨日なら、各艦が自分の判断で助けに走り、列に穴が開いた。今は、損傷を見ても同じ線を守っている。
共同艦隊の投石が、追ってきた帝国軽ガレー船の櫂台へ当たった。
木組みが割れ、三人の漕ぎ手が櫂ごと海へ落ちる。軽ガレー船は速度を失ったが、後続の帝国中型船は救助のため止まらない。海中の兵を避けるだけで、その脇を通り過ぎた。
レウカ巡回船から救難旗が上がる。
「拾えば列に穴が開きます」
信号役が言った。
救難を後方の非戦闘船へ任せれば、帝国中型船が来るまでに三人が浮いていられる保証はない。水を吸った鎖帷子は、一人をもう肩まで沈めていた。
「レウカとイスカラ一隻を救難へ。残る艦は間隔を詰めろ」
救難旗と進路変更旗が同時に上がった。
レウカ巡回船が列を離れ、イスカラ船が外側へつく。帝国漕ぎ手へ浮輪を投げ、船腹を後続艦から守るためだった。
隊列の右後方に、船二隻ぶんの空白ができた。
タヴェラ艦が半船ぶん下がり、穴を埋めようとする。だが小型船一隻では、二隻の働きまでは置き換えられない。
帝国中型船の第一列が、軽船を追って深く入ってきた。
後方では、イスカラ商船が帆を落とした。逃げ遅れたように見せ、帝国右翼をさらに西へ引く。タヴェラの穀物船は一隻が座礁したふりをして、河口近くで船首を砂州へ向けた。
帝国の隊列が横へ伸びる。
中央の中型船は共同艦隊を追い、軽船はその前で戦い、輸送船は後ろに残る。旗艦から前衛への距離が、少しずつ開いた。
「南の時刻です」
信号役が言った。
満ち始めから半刻。
テッサの五隻が、岩列へ入れる時間だった。
だが南の崖に完了旗はない。アマルタ港塔の白い昼火も上がらない。
「進入旗を催促しますか」
「しない」
「このままでは、先頭の帝国船が合流点を抜けます」
「全信号が揃うまで待つ」
帝国中型船の一隻が、その空白を見つけた。
救難中のレウカ船へは向かわず、穴を塞ごうとしたタヴェラ艦へ斜めに船首を振る。タヴェラ艦は前船との間隔を守るため、避ける幅を失っていた。
帝国中型船の衝角が、タヴェラ艦の横腹をまともに捉えた。
鈍い破裂音が海上へ響く。
船体が折れ、中央の櫂列が水へ沈んだ。乗員が傾いた甲板へしがみつく。
「救難旗!」
ダリオは命じた。
残る八隻は速度を落とさず、その前を通過した。
新造艦で十六隻へ戻してから、決戦当日に失った最初の一隻だった。
レウカ巡回船とイスカラ船は、帝国漕ぎ手三人を引き上げたあと、そのままタヴェラ艦の乗員救助へ回った。助けた敵兵自身も綱を取り、海へ落ちたタヴェラの漕ぎ手を引いた。
「敵兵の救難を止めますか」
信号役の問いは、責める声ではなかった。次も列を割るのか、指揮官の命令を確かめている。
ダリオは沈むタヴェラ艦を見た。救難へ二隻を出さなければ、あの空白はできなかった。人を先に拾うという原則の代価が、初めて船一隻になった。
「止めない。次も救難船を指定して拾う。ただし、空いた場所を埋める艦まで同時に命じる」
失った船は戻らない。それでも、見捨てる命令へ書き換えることはしなかった。
助けるために全艦を止めれば、後ろから帝国中型船が重なる。見捨てれば、共同盟約を守る理由がなくなる。
決めた二隻だけが救難し、終われば退却線へ戻る。その約束どおりに動くしかない。
海へ落ちた漕ぎ手が引き上げられる間にも、帝国船は迫った。アマルタ艦が投石で牽制し、救難船の外側を守る。
「南から煙!」
見張りが叫んだ。
岩陰の上へ、細い煙が一本立った。テッサの進入準備ではない。南の見張りが、帝国軽船二隻の接近を知らせている。
カシアンは先に斥候を送っていた。
テッサは、その二隻をやり過ごさなければ南航路へ入れない。
「あと四分の一刻で、安全な時間が閉じます」
「分かってる」
ダリオは南を見なかった。
自分の焦りで旗を上げれば、五隻は岩と敵船の間へ出る。南隊の判断はテッサへ預けてある。
帝国旗艦が動いた。
共同艦隊の一隻が沈み、北隊が崩れかけたと見たのか。金縁の旗が中型船の後ろを進み、残っていた予備隊にも前進旗を送る。
帝国戦闘艦の主力が、次々に北航路へ入った。
旗艦の船首が、古い記録の合流点を越える。
帝国旗艦の動きは、最後まで慎重だった。
ただ、帝国海図に記された合流点は、今年の海にはなかった。
「旗艦、測深図の第一線を通過!」
ダリオは剣の柄へ手を置いた。
まだだ。
南の崖に、完了旗はまだない。
帝国の前衛が共同艦隊へ追いつき、鉤縄を投げる。旗艦の甲板へ一本がかかり、兵が綱を引いた。味方の船員が斧で切る。
舷側へ触れたダリオの掌に、冷たい筋が走った。
二つの潮が近い。昨日なら、その感触だけで反転を命じたかもしれない。だが見張りの報告では、帝国旗艦は第一線を越えたばかりで、後続二隻はまだ合流点の外にいる。
ダリオは手を離し、測深図の印と浮標の角度を見た。
「旗艦の後ろ、あと二隻を入れろ」
「南の時間がなくなります」
「テッサの旗が南の崖を経て港塔へ届けば、昼火が上がる。届かないなら、俺たちだけで反転しない」
共同旗艦は、鉤縄を切りながらさらに西へ下がった。帝国側には、恐怖で逃げ続けているように見えるはずだった。
「追撃中止旗を下ろすな! 西へ退け!」
ダリオは、すぐそこにいる帝国兵へ背を向けさせた。
南の崖に、完了旗が上がった。
「南崖、中継!」
信号役が叫んだ。
見張りがあの旗を上げるのは、五隻目の通過と、テッサ船から送られた完了旗の全形をともに確かめた時だけだ。
信号役がアマルタ港塔を指さした。
港塔の覆いが開き、白い昼火が燃え上がる。
「一度!」
火は消えた。
もう一度、覆いが開く。
「二度とも確認!」
北隊の信号役が報告した。
テッサの五隻は南航路へ入り終え、完了の知らせは南の崖から港塔を経て北隊へ届いた。
南航路進入完了。
退却線の後方では、救難を終えたレウカ巡回船とイスカラ船が、拾った者を甲板へ伏せさせたまま列へ戻ってくる。北隊は、沈んだ一隻を除く十隻に戻った。
すべての信号が揃った。
「共同攻撃旗を上げろ」
ダリオは命じた。
「全艦、反転。四十隻をここで止める」




