11_三つの旗の初陣
初夏の風に、三つの旗がはためいていた。
命令は、三つとも違った。
アマルタの武装荷船は鐘。タヴェラの小型ガレー船は太鼓。ドレカの高速船は短い笛と氏族ごとの手旗を使う。
河口の外で隊形を組むだけで、船同士が二度ぶつかりかけた。
「鐘を二回鳴らしたら、右へ寄る合図じゃないのか!」
タヴェラ船の舵手が怒鳴る。
「アマルタでは停船だ!」
「ドレカでは鐘なんか聞かない」
テッサが高速船から言った。
「前の船が曲がれば曲がる。それで十分だ」
「霧の中で前が見えなかったら?」
「見えるところまで近づく」
「それで今、ぶつかりかけたんだろう」
ダリオが言うと、テッサは不満そうに舵を戻した。
タヴェラで作った三枚の信号布を全船へ配ったが、戦いの最中に見慣れない合図だけを頼るのは難しい。そこで進め、止まれ、集合だけは共通布を使い、それ以外は各隊の船長が同じ都市の船へ伝えることにした。
信号役を交換しようと提案すると、今度は言葉が通じないと反対された。同じ海峡の住民でも、櫂を入れる号令、帆を落とす掛け声、左右を呼ぶ言い回しが少しずつ違う。
ダリオは各隊に一人ずつ、他都市の合図を見て自隊の命令へ直す者を置いた。だが半日の練習では、布を見てから自隊の合図へ置き換えるまでに遅れが出る。
今回の九隻も、出航前に一航海限りの別の運航契約へ署名していた。各船の船長、船主か出航の委任を受けた者、船員代表が名を置き、ダリオは命令と帰港後の審査、責任の条項へ、テッサはドレカ四隻をまとめる戦時船団長の条項へ署名した。
進路、隊形、停船、救助、損害の記録、捕獲物の仮配分までは、一枚の文書へ入っていた。
「本当に今日やるのか」
リヴィアが尋ねた。
「補給船団は今日通る。待てば、帝国兵の食料になる」
「味方同士の練習が足りないことも、帝国側は待ってくれないわね」
準備不足のまま出るのは、父の艦隊と同じだった。それでも、三都市が一度も共に戦わなければ、何が足りないかさえ分からない。
「複雑な命令は出すなということだな」
エンリオが言った。
「最初からそのつもりだ」
「砂盤に矢印を十二本も引いた男の言葉とは思えない」
作戦は単純なはずだった。
帝国の補給小船団が、アマルタ沖の艦隊へ水と乾燥食を運んでいる。護衛の軽ガレー船一隻、輸送船三隻、伝令用の小型帆船一隻。
カシアンが率いる四十隻の編成には含まれず、本土の沿岸補給所との間を往復する小船団だった。
ドレカ船が外海側を塞ぎ、タヴェラ船が浅瀬側から押す。アマルタの荷船は退路に網と浮材を流し、敵船の櫂を止める。
沈める必要はない。補給物資と文書を奪い、乗員を捕らえればよい。
問題は、五隻の敵より、同じ側にいる九隻だった。
*
昼前、帝国船団が岬を回った。
ダリオの案内船は中央にいた。左にタヴェラの小型ガレー二隻、右にテッサ率いるドレカの高速船四隻。後方にはアマルタの武装荷船二隻が、網と浮材を積んで待っている。
「進め!」
共通の布が上がる。
ドレカ船は合図と同時に飛び出した。タヴェラ船は太鼓で漕ぎ手の拍子を揃えてから動き、船半分ほど遅れる。
帝国の護衛船がこちらへ船首を向けた。輸送船は密集し、伝令船だけが帆を返して北へ逃げようとする。
「テッサ、外へ回れ! 輸送船を逃がすな!」
ダリオが手旗を送る。
テッサは伝令船を指し、笛を三度鳴らした。ドレカ船二隻が隊列を離れ、追跡へ向かう。
「追うな! 外側を塞げ!」
聞こえているはずだが、戻らない。
「あれを逃がせば、帝国本隊へ知らせが行く!」
テッサの声が海上を飛ぶ。
正しい。だが、外側が空けば輸送船も逃げる。
タヴェラ船が空いた場所を埋めようと進路を変えた。太鼓が速まり、二隻がドレカ船の後ろへ入る。
帝国護衛船は、その継ぎ目を見逃さなかった。
衝角をタヴェラ船へ向け、全速で突っ込んでくる。
「左へ避けろ!」
タヴェラの太鼓が鳴る。同時に、輸送船を追い込んでいたドレカ船が右へ曲がった。
二隻の進路が交差する。
「止まれ!」
ダリオは共通信号を上げさせた。
タヴェラ船は太鼓の命令を優先して漕ぎ続け、ドレカ船は目の前の敵だけを見ている。
船腹同士がぶつかった。
大破する衝突ではなかったが、ドレカ船の櫂が数本折れ、タヴェラ船の舷側板が割れた。乗員が甲板へ投げ出される。
一人が二隻の間へ落ちた。波で船腹が寄るたび、頭を挟まれそうになる。
ダリオは案内船を間へ入れ、綱を投げた。
「つかめ!」
男の手が一度滑る。帝国護衛船の船首が近づき、衝角の上に弩兵が並んだ。
案内船の船員が舷側から身を乗り出し、男の腕を取った。引き上げた直後、帝国の矢が船縁へ刺さる。
救助に留まれば、こちらも衝角を受ける。だが離れれば、損傷船の乗員が残る。
帝国護衛船が迫る。
このままなら、動けない二隻をまとめて衝角に貫かれる。
「アマルタ船、浮材を出せ!」
「まだ輸送船が罠へ入ってない!」
「味方を守る。今すぐ流せ!」
後方の荷船から、綱で束ねた丸太と古い網が海へ落とされた。潮に押され、帝国護衛船の前へ広がる。
敵船は櫂を止め、衝突を避けた。
罠を早く使ったため、輸送船二隻が外側へ逃げる道が開いた。テッサなら追いつける。
「追うぞ!」
彼女が叫ぶ。
「戻れ! 損傷船を囲め!」
「敵はもう崩れてる!」
「こっちもだ!」
ダリオは集合の布を上げた。
一度目、テッサは進み続けた。
二度目の合図で、ドレカ船団長は舵を叩き、船首を戻した。
その間に、逃げかけた伝令船を追っていた二隻が左右から挟み、鉤縄をかける。伝令船は帆を落とし、降伏した。
輸送船二隻と護衛船は逃げた。残る輸送船一隻はアマルタの網へ櫂を取られ、動けなくなっている。
完全な勝利には程遠い。
だが、損傷した二隻は沈まず、海へ落ちた乗員も全員引き上げられた。
捕らえた輸送船には、水樽と乾燥豆、兵の矢、交換用の帆布が積まれていた。今回の運航契約に従い、食料は三都市の共同船団へ、修理材は損傷した二隻へ先に回し、使った価額を帰港後の戦利品精算へ記録する。
帝国側の捕虜にも水を渡し、負傷者を同じ輸送船へ寝かせた。都市ごとの最終的な取り分を争う声は出たが、今回の運航契約と、それが参照する私掠条項を開くと止まった。
戦果は輸送船一隻と伝令船一隻。敵三隻を逃し、味方二隻を傷つけた。それでも失った船と死者はゼロだった。
ダリオは、勝利と呼ぶにも敗北と呼ぶにも中途半端な数字を記録させた。都合よく言い換えれば、次も同じ衝突を起こす。
*
「あのまま追えば、輸送船を全部取れた」
戦いが終わると、テッサは真っ先に言った。
「追えば、タヴェラ船が沈んだ」
「浅瀬まで曳けば助かった」
エンリオが割って入る。
「曳く船が戻る前に、帝国の衝角を受けていた。隊列を離れたのはそっちだ」
「伝令船を逃がせば、次は帝国艦隊全部が来る」
「だからといって、味方の船へぶつかっていいのか」
二人の言い分は、どちらも自分の都市では正しかった。
ダリオは折れた櫂と割れた舷側を見た。
「俺の命令が届かなかった」
「聞こえていた」
テッサが言う。
「なら、なぜ従わなかった」
「伝令船を取るほうが重要だと判断した」
「海の上で九人が別々に重要さを決めれば、敵より先に味方とぶつかる」
「お前の判断だけが正しい保証は?」
答えられなかった。
今回の運航契約には、進路、隊形、停船、救助は運航指揮者へ従うとある。だが、ドレカとの加入契約は、私掠対象を追う判断を戦時船団長に残していた。追撃が隊形維持や停船とぶつかったとき、どちらの命令を先にするかまで、二つの文書は揃えていなかった。
別々の約束を一枚の運航契約で包めば、海へ出れば自然に一つになると思っていた。ダリオ自身の見通しが甘かったのだ。
船長たちは、一つの約束だけを無視したのではない。タヴェラは隊形を、ドレカは戦時船団長の追撃判断を優先した。重なった権限の順序を決めないまま、同時に従えと命じたのはダリオだった。
敵を一隻も取れないより、危険な食い違いだった。
「次までに決める」
ダリオは言った。
「重なった命令権の順序と、命令を拒める条件を、三都市で同じ文書にする」
「また紙か」
テッサが言う。
「今日ぶつかった船板より安い」
エンリオが返した。
*
捕らえた伝令船には、帝国艦隊の命令書が積まれていた。
リヴィアが封印と宛先を確認する。
「レウカ首席盟約官宛てよ」
内容は三つ。
レウカが保管する公式海図を帝国艦隊へ提供すること。過去の潮流記録と最新の潮流暦を提出すること。武装巡回船と救難船の指揮権を、帝国海軍へ一時移管すること。
「『一時』ばかりだな」
ダリオが言う。
「造船所も、職人も、今度は救難船も」
リヴィアは文書から目を上げなかった。
「レウカが海図を渡せば、帝国艦隊は海峡の暗礁を避けられる。救難船まで従えば、帝国が止めた船をレウカの旗で曳くことになる」
「断るだろう」
「分からない。神殿は、中立を守るためなら双方へ同じ情報を出すことがある。帝国だけへ渡すのは別だけど、要求を拒んで戦争へ巻き込まれることも恐れるはずよ」
「救難船まで軍の命令へ入ったら、中立ではないだろ」
「帝国は『海峡の安全を一元的に守るだけだ』と言うでしょう。レウカの旗と制度を残したまま、動かす手だけ帝国のものにする。外から見れば中立が続いているように見えるから、神殿の中にも受け入れる者が出るかもしれない」
灯台、海図、救難船、事故記録。レウカは軍船の数では弱いが、帝国艦隊が安全に動くために必要なものを持っている。
三都市を一度に破るより、レウカの中立を利用するほうが早い。要求書と艦隊の動きを重ねれば、カシアンが海戦だけでなく制度の継ぎ目も見ていることは明らかだった。
ドレカの偵察船が、帆をいっぱいに張って戻ってきた。
「帝国本隊が動いた!」
船員が叫ぶ。
「アマルタ沖から東へ。レウカの大灯台へ向かってる!」
この戦いの報告で、三都市の船が同じ海面へ集まったことはカシアンにも伝わる。
そして同時に、共通の命令で動けていないことも、逃げた護衛船から聞くだろう。
ダリオは三つの旗を見た。
同じ風にはためく三つの旗は、まだ一つの艦隊になっていなかった。
帝国は、その弱点を抱えたままの三都市より先に、レウカを押さえようとしていた。




