魂の焼却炉
ズーン
そんな効果音が、聞こえてきそうなリビングに漂う、冷たく重たい沈黙。
中央のソファーで膝に肘をつき、俯いたままの帽子屋に、眠りネズミは紅茶を出して、そっとウッドデッキへと出た。
日は温かい時間なのに、リビングは極寒のように冷え切った雰囲気だ。
アリスはそれに耐えかねたのか、何故落ち込んでいるのか分からない帽子屋を刺激しないよう、気をつける素振り見せながら、そっとウッドデッキへと出た。
2人の大きなため息が、自然とやってきては、止む気配を見せない。
眠りネズミは手すりに背を任せて、沈黙しながら煙草を吹かしている。
その表情にいつもの飄々さは感じられず、彼もどこか思いつめているようにも窺える。
アリスも沈黙してはいたが、把握出来ない状況にジッとしていられなかった。
ウッドデッキの端から端を行ったり来たり。
最初はそんなアリスを目の端に捉えていただけの眠りネズミだったが、あまりの鬱陶しさに、手の中にあった新しい煙草を一本折ってしまう。
「あ~、やめろ」
彼にしては珍しく不機嫌な声に、アリスはそっと眠りネズミを振り返る。
アリスの表情には怖気がにじみ出ていて、眠りネズミは彼女を見るなり、頭を掻きむしり舌打ちを一つ。
その舌打ちがアリスをもっと緊張させたことを知った眠りネズミは、自分を落ち着かせるように大きく深呼吸を繰り返した後、中央の円卓へと歩を進める。
「ほら、座れよ」
いつもなら椅子を引いて、アリスを誘導してくれる彼は、その余裕すらなかったのか、自分が座った前を指差した。
アリスはそんな眠りネズミを一瞬だけ一瞥して、俯いた。
「あ~、ピリピリして悪かったって。
別に怒ってねーから。つーか、お前さんに怒る理由がねーわけだし」
漸く、アリスがそっと眠りネズミが座る前へと腰掛けるが、何故か背筋は伸びたまま前の男と目を合わせようとしない。
眠りネズミは今一度、自分の態度を思い返し苦笑すると、テーブルを挟んで座るアリスの手を引いて、そっと包んだ。
「悪かったって。怖がらせたな」
殺気すら放っていたかもしれない眠りネズミの空気は、元剥奪者といっても今はただの不思議の国の住人であるアリスを恐怖させるには、十分だったに違いない。
包まれた手の温かさに、その恐怖が和らいでいくのを感じたアリスが、ゆっくりと幾度か頷いた。
「ねぇ」
「ん?」
アリスの小さく呼びかけに、眠りネズミは優しく応えた。
「何にも、起こらないよね?」
小さな希望を交えた声色に、眠りネズミはいつものように、はぐらかしはしない代わりに、顔を曇らせた。
つい先程、はぐらかしたことにより不信を呷る結果になったこともそうだが、今前にいる彼女に嘘を付きたくないという、心の表れでもあったのかもしれない。
アリスはアリスで、現実を知っていながら、前の彼であれば何もない、と笑い飛ばしてくれるだろうという希望的観測だったのだろう。
もし、眠りネズミが一時の安心を与えてしまったら、現実を目の前にした時、今の数倍の苦しみが待っている。
そうなることが知っているのなら尚更、前で弱弱しく現実を拒むアリスには、覚悟を決めてもらわなければならない。
まさかアリスが、眠りネズミの考えをそこまで分かっているとは思えないが、彼女は彼女なりに、少しずつ言葉を紡ぎだした。
「私ね、私がここにずっと大人しくいれば、皆はいつまでも変わらず幸せに笑ってくれると思ってた。
短い付き合いだし、どんな理由があったにしろ二代目剥奪者だし、出しゃばってると思われるかもしれないけど……
皆ともっとずっと、それこそ永遠に、楽しくおかしく暮らして、それで私に最期の時が来たら、皆はちょっとだけ悲しんでくれて。
そうして、このアリスのための物語は終わればいいなって。
皆もここでの役目は終わって、こんな国から解放されて、ね。
バカみたいでしょう?
そんな、夢物語を抱いてたなんて……」
今にも泣きそうな自嘲の笑みを浮かべて、眠りネズミの瞳を見詰めた。
「アリス……お前……」
眠りネズミには、何の言葉も思い浮かばない。
ただ唖然と前の壊れてしまいそうな少女を、見つめることしか出来なかった。
そして、彼女が気付いている事実を知ってしまった。
「この国のこと……」
「うん、記憶取り戻してから、分かったの。
ここは、この不思議の国は、私を閉じ込めて消滅へと導く、私だけの為に用意された魂の焼却炉。
剥奪者が作り出した世界なんだから、剥奪者が責任持ちなさいってやつだよね。多分」
そう、この国はアリスの来訪と共に、外の循環軌道から完全に閉ざされ、残った管理人は不思議の国の住人を片っ端から送っていたのだ。
そして、迷い込んだ魂も還していた。
最終的には、この国にアリスだけを残すために。
この国の人口は底知れない。随分時間がかかるだろう、と予測はされていたが、今管理人の予想とは違う方向へと、物語は進んでいることを2人は知っていた。
「受け入れたいと思うの」
言葉を失う眠りネズミにアリスは幾分、落ち着いた口調で続ける。
「今から何が起こっても、全部初代剥奪者が……
長が決めた運命だって、受け入れる」
大きな漆黒の澄んだ目がまるで聖母のようにそう語るが、次第にその瞳が酷く絶望に揺れ、涙をためて行く。
「っていうのは……ただの強がりだよ……
こんなの、受け入れられるわけないよ……
確かに私は沢山の名前を奪ったかもしれない。
でもどこから間違えたの? 私はただ、生まれて来れなかっただけなのに……
ねぇ、なんで……なんで……どうして……」
握ったアリスの手は震え、眠りネズミの手に、大粒の涙が次から次へと落ちてくる。
眠りネズミも俯いては顔を歪めた。
「お前さんは悪くないよ。
お前さんが奪った存在は、一つたりとも失われていない」
その言葉に、涙の溜まった瞳がより一層大きく開かれ、驚きを示す。
開かれた瞳からは綺麗な雫がポトリ、と一粒落ちた。
「アリス。俺の言ったこと覚えてるか?
お前さんは、自分の幸せを諦めちゃいけない」
アリスは返答が、言葉にならなかったのか、必死に応えようと一つ頷いた。
「まだ諦めるには早すぎるだろう?
お前さんは何一つ、悪くない。
アリスはただ、この悪趣味な物語の主人公として巻き込まれただけだ。だから、お前さんは何も悪くないんだよ」
本音からの言葉を紡ぐが、それは彼女にとって、何の慰めにはならないだろう。
しかし、彼は何かを言葉にしなければ、堪らないという、やるせない自分の気持ちを形にした。




