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灰になった十字架

 



 アリスが残した声の余韻に聞き入るかのように、2人の沈黙は続いた。

 帽子屋は帽子を眼深に被り直して、ゆっくりと剥奪者の方へと向き直り、小さなため息を吐き出す。



「良かったなぁ? 一応は、育ての親だもんな?」



 帽子屋のその言葉には、ねっとりとした嫌みが含められていて、剥奪者は思わず苦笑した。

 苦笑交じりで俯いて、顔に手を充てた剥奪者は、自嘲にも似た笑みを口元に浮かべ、帽子屋はその表情を訝しむ。

 そして開き直ったように手を降ろしては、そっと空を仰いだ後、帽子屋を視界にとらえた。

 その瞳には一瞬前とは違って、感情の色を帯びていて、どこか晴れ晴れしたようにも見える。



「なんだ、嬉しいものだな。

 もう忘れていたと思っていたあやつを、久方に見てやろうと気まぐれで思ったが……

 我も人間らしい感情が残っていたとは、な」



 微妙な論調の変化に、帽子屋は吐き捨てるような笑いを飛ばした。



「ばかばかしい。お前が勝手に拾い上げては、育てたやつだろう。

 あの時の俺を唆して、な。いいや……」



 帽子屋は自分の言葉を否定するように、目を伏せてゆっくりと首を左右に振る。



「そんなことはどうでもいい。俺に何のようだ」


「ああ、忘れるところじゃったぞ。

 じゃが、我はまだ聞きたいことがある」


「あ?」



 話を逸らされ、怪訝そうに眉を寄せた帽子屋。



「汝はあの娘に何も教えておらんのじゃな?

 我がせっかく導いてやったというのに……」


「導いてやった? 仕組んだ、の間違いだろう?

 まぁ、根掘り葉掘り聞かれたさ、管理人のことやらな。

 記憶も取り戻したし、もしかするとお前の正体まで、気が付いてるかもな」


「ほう、なのに汝の正体には気が付かぬ、と?」


「さぁな。御託はもういい。さっさと用件を言え」



 その催促に、剥奪者はやれやれと言う感じで、帽子屋を強く見つめ、一瞬の沈黙を置いた後に続けた。



「汝に一つ、選択を与えようという、長からの慈悲深き‘’伝言’’じゃ」



 帽子屋は一層、眉間に皺を寄せて、呆れかえった様子で深いため息をついて、わざとらしく鸚鵡返しする。



「で? その慈悲深き伝言、とは……?」



 何かを続けようとした帽子屋は、考え直したように口を閉じた。



不思議の国の住人(せかい)か、アリスか。

 どちらか、好きな方を選ぶが良い」



 清々しいほど淡々と言い放った剥奪者の言葉は、異常なほどまでに帽子屋の鼓膜に響き、その言葉を反響させた。


 信じられない。帽子屋の目には、その言葉がにじみ出ている。



「俺にとってそれは、選択肢なんかじゃあねぇな」



 俯いて、小さく呟きながら、帽子屋は片方から垂れているピアスに手を伸ばした。

 そっと触れると、ピアスは呆気なく、外れて地面へと落ちてしまう。


 次にコートの内ポケットから取り出した懐中時計を剥奪者の方へ投げると、素早く取り出した漆黒の銃で撃ち抜く。

 バラバラに砕け散った懐中時計が、剥奪者の前で灰になって、風に攫われていった。



「これが、俺の答えだ。と伝えておけ。長に」


「まったく……相も変わらず、言葉の通じぬ男よ」



 失笑した剥奪者に構わず、背を向けた帽子屋は、思い出したように半身だけ振り返った。



「一つだけ、俺がてめぇらに、教えてやれることがある」



 唐突に吐き出された言葉に、剥奪者の瞳が関心の色を示した。

 それを知ってか知らずか、帽子屋は続ける。



「てめぇが……いや、てめぇらが何が目的で、こんな悪趣味なゲームを始めたのかは知らねぇ。知ったこっちゃねぇがな……

 てめぇらが作り上げた玩具は、てめぇらみたいに無機的じゃねぇんだよ。

 ちゃんと感情を持った人間(やつ)らなんだ。

 自分が作り出したからって、なんでも思い通りの駒になると思うなよ。

 俺達の感情まで、お前らの遊び道具にはさせない」



 帽子屋は相変わらずの剣幕で、剥奪者を見据えて言い放ち、踵を返すとゆっくり歩を進めながら少しだけ続けた。



「ああ、そうだ。

 アリスがな、俺のことを神様なのかって聞いてきたけどな。

 良かったよ、お前らみたいな救いようのない存在に生まれなくて、な」



 言い終わると共に、迎えに来たのだろうチェシャ猫の姿がちらりと、剥奪者の目に映ったあと、すぐに帽子屋はその場から消え去った。

 剥奪者は大樹に凭れるようにして、その場へと腰を降ろし、ゆっくりとその大樹を見上げ、大きく一息を吐き出す。




 すると――その場は一瞬にして様変わりし、腰かけた地面が玉座に、見上げた大樹が、高い白亜になる。



「長!」



 赤く続く、遥か下のカーペットには、白いスータンのような長いジャケットを身にまとった一人の男。



「困りますよ。謁見の間に結界まで張られた上、また下界に遊びに行かれるなんて……」


「すまないすまない」


「思っていないでしょう?」


「そなた、もし人間に神に生まれなくてよかった、と言われたらどうする?」


「は?」


「いや、良い。下がれ」



 男は、四方白に囲まれた謁見の間に栄える、真っ赤なカーペットを見下ろして、そっと眉を寄せた。



「まことに……愚かな男じゃのぅ」



 誰もいない謁見の間に、その声は小さな波紋のように響いては、余韻も残さずに消えて行った。










 招集がかかったのは、すぐであった。

 思いつめた顔をしている帽子屋の雰囲気は、いつもとどこか違っていて、招集の合図にも気が付いていない様子である。



「チェシャ猫。俺はこいつと残るわ。

 他の管理人に言っておいてくれ」



 その言葉に帽子屋は初めて、招集がかかっていることに知ったようだ。

 チェシャ猫は怪訝そうな表情の後、眠りネズミはジッと見つめた。



「帽子屋サンのこと、お任せしても、よろしいのですね?」



 何かを確認するような意味が含まれている。

 それをはぐらかすように、眠りネズミは笑って見せたが、それが逆効果だったらしい。

 チェシャ猫は、残念そうに首を左右に振り、眠りネズミから帽子屋を遠ざける。



「残念ですが……その言葉には応じられそうにありませんねぇ。

 私は、アナタを信用していませんので」



 はっきりとした声は、明らかに疑いの色があり、その場にいた帽子屋と三月ウサギ、アリスはチェシャ猫の言葉に耳を疑った。



「その言葉、そっくりそのまま返すぜ、バカ猫」



 眠りネズミは、チェシャ猫の手を引っ張り、自分に近づけさせると、周りに聞こえないように耳打ちした。



「こいつ、ピアスを取ってやがる。

 信用しろ、俺は帽子屋に危害は加えない」



 それで意味を理解したのか、ゆっくり眠りネズミから自発的に離れたチェシャ猫の目が、酷く揺れていた。



「俺とお前の利害は一致している。

 だから、行け」



 犬でも追い払うように、三月ウサギとチェシャ猫に手を振る。



「ちょっ、僕にも分かるように話せ!

 このままで仕事になんか行けるか!」



 状況を理解出来ていない三月ウサギは全身で訴えるが、チェシャ猫はそんな彼女の手を取った。



「帰ってきたら教えてやるよ。気を付けてな」



 眠りネズミの言葉とチェシャ猫のテレポートが同時であった。







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