公爵夫人とアリス御一行
そこに4回のノックの後、ワゴンにお茶を乗せた‘魚’執事と公爵夫人が入ってきた。
「御機嫌よう。皆さま」
先ほどと同じ、スカートの裾を持って膝を曲げる挨拶をする公爵夫人に、眠りネズミは「おう」と応え、チェシャ猫は恭しく一礼を、帽子屋に至っては煙草を吹かしながら、一瞥しただけであった。
「お掛けになって、お茶でもどうぞ」
適当にソファーへ掛けた帽子屋を除く4人。
テーブルを四方とも囲んだソファーは、帽子屋の家よりも高級な品であることが一目で分かる。
ソファーの一つに公爵夫人が、その隣のソファーにはチェシャ猫、またその隣のソファーには眠りネズミ、そして最後のソファーにはアリスと三月ウサギが腰掛けている状態だ。
そして広いテーブルに置かれた、これも高級であろうカップに香りの良い紅茶が注がれ、洋菓子やケーキ類もテーブルに切り分けられた状態で置かれている。
沈黙の中で何を思い立ったのか、眠りネズミはアリスの隣へと上半身だけ移動して、彼女へ何事が耳打ちする。
それを聞き終えたアリスは驚いたように眠りネズミをみやり、眠りネズミはウインクを一つ。
それを見た三月ウサギは隠し事をされているようで、気に食わず眉を寄せた。
「おい、帽子屋。
仮にも公爵夫人の御前だ。
せめてソファーに着くくらいしろよ」
眠りネズミの言葉に帽子屋は少し顔を顰めたが、周りに付いていた使用人に灰皿を出されると、そこに煙草を押しつけ、嫌そうな足取りで眠りネズミの隣、アリス側へと腰掛け、足を組む。
―――さっきのはアイツなりの褒め言葉だ。
落ち込むなよ。俺的にはアリスちゃんはストライクなんだし―――
眠りネズミが、アリスに囁いた言葉だ。
アリスに至っては、別に帽子屋を意識しているつもりではなかった。
ただ、眠りネズミやチェシャ猫のように面倒見がいいわけでも、自分から親しく話しかけてくれるわけでもない帽子屋にどう接していいのか分からなかったのだ。
否、別に話しかけてこないから話せないなど、ただ甘えているだけとは知ってはいたが、帽子屋の周りのオーラがどうも近づきがたいのは事実。
アリスいわく‘近づくなオーラ’が出ている、とのことだ。
しかし眠りネズミのカバーに対して、喜んでいる自分は何なのか。
アリスは緩やかに首を傾げたが、考える暇を与えられることはなく、公爵夫人が小さく咳払いをした後、彼女のはっきりとした声が響いた。
「さっそくで申し訳ないのですが、アリス様の件についてチェシャ猫から聞きました。
実は両陛下からも同じことを仰せつかっておりましたので、アリス様の新しい家が用意出来る間、私の屋敷にてお過ごしにては如何かと」
「え? でも……」
公爵夫人の気品あふれた言葉づかいと内容に、戸惑いながらもアリスは遠慮を言葉の端に見せる。
「男2人の家に、仮住まいだとしても女性が暮らすのは、私もどうかと思いますよ~?
帽子屋サンや眠りネズミにとってアリス君が住んでも、可も不可もなく……
けれどアリス君からすれば男の家では気を使うだけでなく、色々不便かと。
その分公爵夫人のお屋敷では、全て使用人に任せておけば安心。
ね? 公爵夫人は陛下からの命を全う出来て、アリス君も安心した生活が送れる。
いやぁ、利害の一致とはすばらしい」
チェシャ猫は考えの読めない弧を描いた瞳で一気に喋り切り、アリスが反駁する暇を与えなかった。
「あの~……」
「ではアリス様、三月ウサギ様。以下男性陣の方々も、それでよろしいでしょうか?」
まるで最初から決められていた台詞のように、チェシャ猫と公爵夫人の言葉でことが決定され、呆気にとられるアリスと以下、沈黙する3人。
「お夕食は当屋敷でお召し上がりください。
時刻と場所はチェシャ猫と眠りネズミがご存じの筈なので。
では、私は失礼させていただきます。
皆さま、御機嫌よう」
公爵夫人はそのまま軽やかに立ちあがり、スカートの裾を持って後ろへと振り返る姿も踏み出す足も全てが最高の教育が行き届いた貴族のような振る舞いで、部屋を後にした。
その背を見送るように、放心しているアリスの視点は合っていない。
「大丈夫か?」
心配して顔を覗きこむ三月ウサギにも、気が付かないほど動転しているようだ。
「お前・・・・・謀ったな?チェシャ」
眠りネズミは呆れて言いながら、帽子屋の前へ手を出す。
帽子屋はそれが何の要求なのか迷うこともなく、内ポケットから煙草を取り出すと彼に渡し、更に彼の銜えた煙草にライターで火を付けてやった。
そして自分も煙草を吹かし始める。
「何のことでしょう?」
「利害の一致って言ってる時点で謀ったのと同じじゃねーか、全く……」
帽子屋が珍しく冷静に呟くと、「おや」とチェシャ猫は首を傾げた。
「に、しても……
相変わらず公爵夫人は男嫌いだよなぁ。
アリス様、三日月ウサギ様。以下男性の方々って、何その扱いの差」
あ~あ、と眠りネズミはソファーの背に両手を伸ばしてかけると深く凭れかかる。
「俺、公爵夫人結構タイプなんだけどなぁ」
「お前は女なら誰でもいいんだろ、実際」
自分の頭の後ろまで延ばされた眠りネズミの腕を鬱陶しそうにしながら、帽子屋が言う。
「まさか。俺みたいな素晴らしい男の前には、素晴らしい女性が集まって来る。
これ、世界の道理だろ?」
「ああ。わかったから、ちょっと黙れ」
眠りネズミの冗談を一蹴した帽子屋は、隣のアリスを横目にチェシャ猫を見る。
「まぁ、公爵夫人邸の方が暮らしに不自由しないだろう。
着替えも生活品も、全て夫人が用意してくれる。
良かったじゃねぇか?アリス」
「う、うん。
でも、新しい家、とか言ってなかった?」
やっと正気を取り戻したアリスは、勝手に決められた意向が納得出来ないように、俯きながら答える。
「なんか言ってたような……」
アリス同様、少し混乱している三月ウサギが返す。
「それなら、陛下から直々にアリス君の新居を用意させたようです」
さらり、と当たり前のようにチェシャ猫がアリスの方へと歩みよりながら付け足した。
「うん。なんか……なんでもアリなような気がしてきた……」
アリスは、動く全てがあまりに自分とは似つかわしくなく、その壮大さに、すでに言葉をなくしていた。
「まっ、とりあえず世話してくれるなら、世話になっとけ」
しょぼん、と俯いたままのアリスの頭を帽子屋は崩れない程度に撫でると、驚いたアリスは初めて顔を上げた。
そこには今までで一番優しそうな表情をした帽子屋。
「さて、ことは収まったようですねぇ」
「お前が乱したんだけどな」
チェシャ猫はやれやれ、とでもいうように肩を竦めたが、呆れた眠りネズミがツッコミを入れる。
「では、私はこれで」
それだけ言うと、チェシャ猫はいつものように跡形もなく消えて行った。
今回の全てがアリス拉致から今に至るまで、全てチェシャ猫によって仕組まれたことだという事実を、アリスが理解出来る余裕を取り戻したのはもう少し後。
せっかくの誘いだからと6時からの夕食を頂いた一行はその後、アリスを残して屋敷を後にした。
帽子屋が買った(実は城から降りる経費)服3着は不要だと彼は言い、そのまま帽子屋の家で保管しておくことになった。
そして不思議の国に迷い込んで5日。公爵邸にお世話になって3日が経った……




