アリス様は暇を持て余す
「暇。暇……ひ、ま」
宛がわれたのは、どこを見渡しても、淡いピンクで統一された部屋だ。
おまけに、ベッドは天蓋付き、何故か大きなクマのぬいぐるみが、枕の隣を陣取っている。
アリスは誰もいない空間に向かって、そう訴えてみるが、勿論返答など帰って来るわけでもなく、声が響くことすらく、空しい独り言に終わった。
1日目は、大人しく宛がわれた自室で静かに過ごし、2日目は置かれていた本棚の本を読んで過ごした。
しかし、彼女にとって自室から出ない生活というのは、2日が限界であった。
本を読むことにも飽きて、そっと部屋を出て見るが、通りかかる使用人にどこへ行くのかと聞きたてられ、結局自室へと送り返される。
そもそも公爵夫人邸は広すぎて、一つ間違えれば、すぐに迷子になる迷路だ。
大きなため息をついて、ベッドへとダイブする。
そこに、そろそろ癇癪でも起こしそうな彼女を訪ねる一つのノック。
「どうぞ」
一言掛けると、黒の燕尾服を纏ったアリスよりも2、3歳上だと思える青年が恭しく一礼して入ってきた。
この青年はアリスが屋敷に滞在する期間、彼女に宛がわれた執事である。
名前は‘フロッグ’
黒の燕尾服とは相反して、陽に照らされキラキラ輝く銀髪は、そこらの女性よりもさらさらしているように見えるし、整った顔は彼女の知る誰よりも美少年だった。
けれど、どこか無機質にも感じさせるほど、感情が表情に出ない。
一方で、サファイアの瞳から彼の純粋さをしばしば垣間見せる。
「失礼します」
「フロッグ~」
入るなり、名前を呼ばれた彼はキョトンとして「はい?」と応える。
「ひま」
一瞬の沈黙の後に、青年はにこやかにほほ笑んだ。
「ええ。そう思いまして、私が参りました。
奥様には、アリス様を出来るだけ、部屋から出さないようにと仰せつかっておりますので、せめて暇をつぶせる相手になれば、と思いまして」
フロッグの後ろにあったワゴンの一番上には既に見慣れた紅茶一式があり、2段目、3段目には見慣れないものが目に入った。
彼も侍女たちと同じで、さすが公爵家に仕えているだけあり、無駄のない動作でテーブルにお茶の準備を済ませ、「どうぞ」と一言椅子を引いて、彼女を促した。
促されるまま、椅子へと腰を降ろしたアリスは、前から香り漂う紅茶に口を付ける。
「部屋で出来る暇つぶしを考慮した末、思いついたのが、幾つしかありませんでしたが。
チェスは嗜まれますか?」
2段目から比較的大きなチェス盤を取り出し、青年は微笑む。
「したことないんだけど、良かったら教えてくれる?」
そうして3日目の彼女の退屈は、どうにか凌がれた。
夕食を済ませて、使用人に促されるまま、公爵夫人専用の大浴場で風呂に入り、再び自室へと逆戻り。
何もしていない筈のなのだが、多分慣れない環境で気を使っているためか、いくら風呂や部屋で寛いでも疲労感は拭えない。
否、ここでなくても彼女にとってはどこも‘慣れない環境’であることは、変わらないのだが。
「これなら帽子屋さんの家の方が良かったかも……」
一日だけ過ごしただけであったが、あの家は温かい感じがした、と彼女は思う。
それに比べ、この屋敷は窮屈で、どこか無機質にも思える時があったのだ。
使用人が乾かしてくれた髪からは、フローラルな香りが漂い、飛び込んだベッドからは新品の布団の匂いがする。
ため息をともにベッドの天蓋を少し見つめて、目を閉じた。
「どーしたんですかぁ?」
「あ~、幻聴が聞こえる」
すでに突然の登場にも動じなくなったアリスは、目は開けずに幻聴だと自分に言い聞かせて、寝がえりを打つ。
「幻聴ではありませんよ~?」
無視だ、無視。アリスは呪文を唱えるように心の中で呟く。
チェシャ猫に関わると、ろくなことにならない。
この数日で嫌でも思い知ったことの一つである。
「無視はいけませんねぇ。
襲いますよ?」
耳元でそう囁かれ、アリスは飛び起きて枕もとへ避難する。その顔は真っ赤だ。
「かわいーですねぇ」
「思ってもみないことは口にしない!」
棒読みに対して、アリスはチェシャ猫を指差しながら指摘する。
「おやおや、それにしても相変わらず……」
チェシャ猫はアリスをマジマジ見る。アリスは掛け布団を抱きしめて、身を隠すとチェシャ猫を怪訝そうに睨んだ。
「何の用?」
「用がなければ来てはいけないのですかぁ?」
「うん」
「傷つくますねぇ」
「嘘ばっかり」
「良くご存じで」
短いやり取りの後、ベッドの脇に立っていたチェシャ猫は断りもなく、ベッドの端に座った。
「疲れているようなので、子守唄でも歌って差し上げようかと……」
二コリと微笑んだチェシャ猫に一層、怪訝そうに眉を寄せるアリス。
「結構です。逆に眠りの妨げになるから、帰ってください」
余所余所しく投げられた言葉と同時に、彼女は素早く扉の方を指さした。
「ふむ。では、‘不思議の国のアリス’でも、お聞かせいたしましょうか?」
顎を撫でて、考えるようにしたチェシャ猫がそういうと、アリスはキョトンとして小さく頷いた。
彼女は元々、この世界の舞台となったお伽噺が気になっていたのだ。
チェシャ猫は枕をポンポンと叩くと、彼女に眠るように促す。
「眠たくなったら、いつでも寝て下さい。
続きはまた今度、お聞かせしますよ?」
促されるままアリスは横になり、鼻まで掛け布団をかけると、語り出したチェシャ猫の声を子守唄に、除々に眠りの淵へと落ちて行った。
話の序盤で眠ってしまった彼女を見て、「おや?」と一言チェシャ猫は、そっとアリスの頭を撫でて微笑んだ。
「おやすみさない、アリス」




