公爵夫人邸にて
結局、眠りネズミが止めに入ったが帽子屋の勢いは収まることを知らず、最初に湖から上がったアリスのクシャミと震える体を見て、漸く正気を取り戻したように大人しくなった。
ドードー鳥が手配した馬車で、帰る予定を組んでいたチェシャ猫であったようだが、この様子では帰るより、誰かが風邪をひく方が早いと結論を下した。
そうしてチェシャ猫のテレポート(アリスが命名)で、一気に公爵夫人の元へと送って貰うことになった。
公爵夫人の屋敷は、帽子屋の家が30個は入るだろう面積を誇っている。
だが、着いた先は応接間だったので、屋敷の外観をアリスは未だ知らない。
5人が応接間へと着くと、それを待っていたように黒の燕尾服を身にまとった、30代半ばであろう男性が入ってきた。
「おう、魚~」
どうやら面識があるらしく、眠りネズミが右手を上げる。
「魚と呼ばないでください、ロウです」
面長で頬は扱けているものの、眉毛と髭は濃く、瞳のラインも特徴的で、一度見たら忘れられない顔だ。
「とりあえず男性はこちらで、女性は別室でお着替えください」
眠りネズミが、‘魚’と呼んだ執事に先導されて隣の部屋に着くと、そのテーブルには煌びやかなドレスが沢山並んでいた。
執事は一礼して、先ほどの部屋へと帰って行く。
前の高そうなドレスを見て、どうしたものかと困り果てたアリスと三月ウサギの前の扉が開いて、入ってきたのは公爵夫人と思しき、見るからに品のある女性であった。
夫人と言っても、アリスとさほど年は変わらない10代後半と見える。
「お初にお目にかかります。
私は公爵夫人と名乗らせて頂いています。」
ドレスの裾を持ち、膝を曲げて挨拶をする姿は同年代とは思えない気品と女性らしさが滲み出ている。
「あ、えっと……初めまして。アリスです」
「ええ、存じておりますわ。
どうぞ、この先にはシャワールームがございます。
そちらで冷えたお体を温めください」
にこり、と部屋の残る最後の扉を指差した。
促されるまま2人はシャワーを浴びて、用意されていた下着を付けると、バスローブを来て、先ほどの部屋へと帰って来る。
するとそこには10人はいるだろう侍女が待ち構えていた。
「「はっ!?」」
2人の仰天の声が重なる。お互いを見合わせて、それは除々に恐怖の表情へと変わって行った。
「公爵夫人から、お二人のお着替えを手伝うようにと仰せつかりました。
どうぞ私どもが全てしますので、お掛けになって楽にして下さいまし」
それがスタートの合図であった。
半ば無理やり部屋の中央へ引っ張って行かれると、まずはウエストを締め付け、動きにくそうなドレスを着せられる。
手際はさすが、公爵夫人と侍女たちと言っていいほど、良かったものの、その迫力に圧倒され、2人は呆然としたまま着せ替え人形にさせられた。
そして侍女たちは2人を大きな鏡の前へ座らせると、化粧を施し、短い髪のアリスは簡単に整え、やや長かった三月ウサギは首元でお団子のように結われる。
ふぅ、と達成感の伝わる一息の後、隣の部屋へ放り出された2人に男性陣の視線が一気に集まる。
純白のドレスにスカートには花の模様が品よく浮き出されていて、胸を露出しすぎないAラインのドレス。
そしてボブの髪に丁度マッチしたピンクの花が彩られている、どこからどう見ても花嫁スタイルのアリス。
淡いピンクを基調として所々、赤いバラが刺繍されウエストを絞める帯には大きなバラが目立ち、白髪は旨く首元で結われて、そこには小ぶりの紫の花がブーケのようにまとまって飾られている。
普段子供っぽい姿から一変、大人のような雰囲気を醸し出す三日月ウサギ。
両者とも恥ずかしそうに視線を床に落としながら、部屋に入ってきた。
肝心の男性陣は皆、統一された白の燕尾服である。
白の燕尾服は白に仕えるある階級以上のものの制服でもあった。
燕尾服を着替えに出され、仕方なく着替えたはいいものの、その後はお茶も出ずに待機させられ、もう少しのところで帽子屋がキレるというタイミングで、2人が隣の部屋からやってきた。
勿論、三月ウサギのこんな姿は見たことはなかったし、清楚でアリスの女性らしい姿に男性陣は絶句した。
「に、あわない……よね?」
恥ずかしそうにちらりと、男性陣を見たアリスは丁度上目づかいになり、帽子屋は顔を赤くしてそっぽ向く。
「いやぁ、お似合いですよ~。お二人とも。
まさに、馬子にも衣装ですねぇ」
2人を見て、一瞬圧倒されていたチェシャ猫はすぐにいつも通りの彼を取り戻し、パチパチと適当な拍手とともに笑いながら告げる。
「いや、ほんと似合ってる。2人とも」
チェシャ猫を押しのけて、前へ出た眠りネズミの言葉に、2人は恥ずかしそうに俯いた。
「おやおや、先ほどのは半分冗談ですよ」
「半分本気なわけね」
アリスはすかさずツッコミを入れると、くつり、とチェシャ猫は喉を鳴らす。
「いえ、着飾らずともアナタのことは綺麗だと思っていましたよ? アリス。
でなければ、私はお茶に誘ったりしません」
「あれは誘うとは言わないでしょ?
攫うっていうの」
延々と続きそうな2人のやり取りを尻目に、眠りネズミはそっと三日月ウサギの前へと歩み出る。
「おーおー。良く似合ってるな。
少年っぽいのもいいけど、俺的にはこっちの方がタイプだぜ?」
眠りネズミは彼女の頭を崩れない程度に軽く撫でてやると、三月ウサギは一瞬、頬を赤く染めたが、ふんっとそっぽ向く。
「お前に褒めてもらって嬉しくない」
「素直じゃねーなぁ」
そんな彼女の本心を知ってか、妹を可愛がるように微笑む。
その隣で嫌みの言い合いを、ヒートさせていたアリスとチェシャ猫だったが、チェシャ猫の丁寧な敬語使用の罵詈雑言に帽子屋が参上し、彼へと蹴りを一発いれた後、ゆっくりとアリスを見やる。
目が合ったアリスは、何故かドキリと胸を高鳴らせる。
「まぁ、悪くないんじゃねーか」
帽子屋はそう冷静に言うと、さっさと窓際へ向かい、煙草を吸い始めた。
「あれ? アリス、もしかして帽子屋サンの言葉期待してましたぁ?」
アリスの表情を読み取り、からかいに行くチェシャ猫にアリスは睨みを利かせる。
「おや?」
その睨みはいつものとは違って、少し情募が混じり込んでいるというのも気が付いた彼は、すぐに身を引いた。
「こらこら、チェシャ。
女性は宝石のように扱わないと」
アリスに対して初めて身を引いたチェシャ猫を見て、眠りネズミがやんわりと叱る。




