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仲良きことは美しきかな

 


「わぁ、ほんとに綺麗……」


 湖の近くに行くのに遮るものはなく、ギリギリまで近寄ったアリスは湖を覗きこんだ。

 その池は澄み切っていて、中まで透けて見えた先には小さな魚たちが沢山泳いでいる。


「まぁ、涙の池とは言われていますが~、実は山頂から流れる綺麗な水が、ここに溜まって出来るそうです~」

「へぇ、だからこんなに透き通ってるんだ~」

「こらこら、あまり覗きこむと……落ちますよ?」


 ニヤリと笑ったチェシャ猫と、まるで引きずり込まれるように湖へと落ちたアリス。


「ちょっ……!」


 言葉は続かずにバシャン!と水が弾ける音がした。


「ぷはっ!」

「おやおや、お転婆さんですねぇ」

「今、アンタが押しんでしょ!」

「いえいえ、まさか私がそんなことする筈ないじゃあありませんかぁ」

「いいから手貸して!」

「どうしましょー?」


 腰を屈めてアリスを見下ろすチェシャ猫。

 どうやら湖の外周りは比較的に浅いらしく、深さはアリスの胸の辺りまでしかなかった。

 そこへ幾つかの足音。


「おや?」


 チェシャ猫が、気が付いて振り返った時には靴の裏が彼の目の前にあった。

 それを左肩に食らい、チェシャ猫は抵抗する暇もなく湖の中へ。


「おい!バカ猫!

 お前は、どれだけ人を振り回せば気が済むんだ!」


 もう聞きなれた罵声は勿論、帽子屋のものである。

 湖に落されても、何もなかったようにチェシャ猫の目は弧を描いた。


「おや? 私がいつ帽子屋サンを?」

「お前は……」


 怒り狂う帽子屋の隣で、眠りネズミは彼の肩を人差し指でつつき、振り返った彼に湖を差す。


「喧嘩も良いけど、あれ……」


 あれ、とはアリスのことだ。


「バカ猫。お前、後で魚の餌行きだから、覚悟しておけよ」

「えー、ヤですよぉ」


 冗談混じりの猫なで声で受け流しながら簡単に湖から出て来たチェシャ猫と、帽子屋の手を借りて、どうにか出てこられたアリス。


「お前な……どうしたら、湖なんかに……」


 呆れて頭を抱えた帽子屋にアリスはチェシャ猫を指差す。


「押された」


 アリスの言葉に、何かが切れる音がした。

 それは帽子屋の頭の神経が切れる音だったに違いない。


「ほらほら。まぁ、落ち着けって……

 温かくてもこのままじゃあ、アリスが風邪ひくだろ?

 それに……」


 ちらりと眠りネズミがアリスを見やって、すぐに目を逸らした。

 アリスは首を傾げ、帽子屋も怪訝に思って、アリスを見ると真っ赤になりながら後ろを向いてしまった。


「おや~、これはこれは……とても扇情的で、素敵ですねぇ」

「せん、じょうてき?」


 聞き慣れない言葉に、アリスは自分の体を見下ろす。


「人は見かけによらない、とは言いますがぁ……」


 アリスは一瞬固まった後、山全体に響くような悲鳴を上げた。

 白いワンピースが水にぬれて、下着が透けていたのだ。

 しかも、ピンクの花がついた可愛らしいものが。


「おい、三月ウサギ! さっさとアリスをどっか連れて行け!」


 目のやり場のない帽子屋はそう叫ぶと、三月ウサギはアリスを彼らの目の届かない所へ連れて行こうと彼女の手を取った――が。


 それを阻むようにチェシャ猫が割って入って、2人の背を押した。

 その先には湖。

 再び、水の弾ける音と帽子屋が驚いてそちらへと見たのと、「はぁ」と深いため息を眠りネズミが吐いたのが同時であった。


「殺す」


 帽子屋はその一言で、檻から放たれた獣のようにチェシャ猫に飛びかかり、2人諸共湖の中へ。


「あ~あ」


 事を見守っていた眠りネズミは、ため息を付きながら、その場にしゃがみこんだ。

 もみ合う男2人の傍で、アリスと三月ウサギは何故か水の掛け合いっこへと発展していた。


「三月ウサギさんが女の子だったなんて、知らなかった!」


 キャッキャッと騒ぎながらアリスが、三月ウサギへと水をかける。

 一緒に湖へと落ちた後、今日、三月ウサギが着ていた白いブラウスに黒のベストは体に張り付き、それはまだまだ発達していない体ではあったが、どうみても女性のラインであった。

 それに加え、恥ずかしそうに両腕を抱えて隠したことが何よりの証拠となった。


「やっぱり可愛い~」

「可愛いって言うな!」

「なんでそんな喋り方してるの~?」

「どうでもいいだろ! そんなの!」

「だって、もっと女の子らしく喋れば、凄くモテる筈なのに」

「モテなくていい!」


 結局、三月ウサギはアリスから逃げる光景へとなる。

 その隣では、帽子屋がチェシャ猫を湖の底へと沈めていた。


「お~い、帽子屋~

 それ以上したら、チェシャ死ぬから」


 緊張感のない声が、湖の外から帽子屋へと忠告する。

 帽子屋が綺麗に仰向けに沈めているチェシャ猫は、息が出来ない筈の水の中でも人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。


「てめぇ、その顔どうにかしろ!」


 胸倉を掴んで、湖から引っ張り上げたチェシャ猫にそう喚くが、チェシャ猫は口に溜めていた水を帽子屋の顔に吹きかける。

 そこからまた、帽子屋が一方的に怒っている喧嘩が、オーバーヒートし始めた。


「ああ~、これいつになったら終わるのかね~。

 まるでコーカスレースだ。

 俺は早く帰って寝たいんだけど……」


 欠伸を一つ、その場に胡坐を掻いて座り込んだ眠りネズミの背へと投げかける声があった。


「仲良きことは……美しきかな」

「いつからそこに? 先生?」


 声だけで誰だか分かったのか、振りかえらなかった眠りネズミの隣に、その人は年掛けた。

 杖をついた老人は、昨日馬車の前を通って行ったあの老人であった。


「さっきじゃよ」

「さっきっていつだよ」


 すかさずツッコミを入れた眠りネズミに老人は「ほっほっほ」と奇妙な笑い声を上げる。


「それよか、さっきのは?」

「仲良きことは美しきかな」

「そう、それ」

「アジアの小さな島国に伝わる言葉じゃ……」

「へぇ、さすが先生。物知りで」


 まるで老人2人が、若者を見守るような温かい光景のようである。


「で、先生にはアレが仲良く映るわけだ?」


 老人は答えず、再び「ほっほっほ」と笑い声を上げる。


「そらぁ、女同士の水掛け合いっこは見てて、微笑ましいし……

 つか、混ぜて欲しいけど……

 あっちはどう見ても命がけの喧嘩だろ?」

「喧嘩はお互いを認めたくて、やるものじゃよ」

「へぇ~。じゃあ、帽子屋は認めたいやつが、沢山いるんだなぁ」


 眠りネズミの返答は誰が聞いても分かるほど、棒読みである。


「そこはどう思う? 先生」


 すると先生と呼ばれる老人は一瞬だけ黙ってしまう。


「はて、帽子屋とは?」

「全く……アンタもその設定が好きだな。

 ドードー鳥には帽子屋が見えない。

 それとも存在を認めたくないってか?」


 答えない老人に「さて」と一言、眠りネズミは立ち上がった。


「公爵夫人の元への案内。

 任せても? 先生」

「勿論じゃ。

 前もって、チェシャ猫に頼まれておったのじゃ」

「チェシャが?」

「アリスが男だけの家に住みにくいようなら、公爵夫人に引き取ってもらえる手配をしてくれ、とな」

「へぇ~。ほんと、チェシャも帽子屋も似たもの同士だな」


 眠りネズミは前方で喧嘩を繰り広げる男2人を見て、微笑んだ。





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