涙の池で釣りをしよう
心地よい風が、体を撫でる。
まるで、空を飛んでいるように気持ちいい。
ゆっくり意識が覚醒していくのを感じて、そっと目を開けた。
空が、揺れている。
木々の間から差す木漏れ日が、とても幻想的で綺麗だ。
―――ん?
おかしい……確か、家のリビング眠った筈だった。
危機感を覚えて起きあがると、大きく世界が揺らいだ。
「わぁぁああっ!」
どうやら眠っていた所は、とても不安定な場所―――ハンモックであったらしい。
その事実を、目の端に捕らえた時には、もう既に遅かった。
足が地面に着くよりも、背中から落ちる方が早い。
来る痛みを覚悟して目を閉じたその時、ふわり、とまるで風に抱きあげられるように体が浮いた。
「随分、激しいお目覚めですねぇ」
抱きあげられたのは、昨日の内に目に焼き付いた顔であった。
その瞳は、楽しそうに弧を描いている。
「アナタがここに連れて来たの? チェシャさん」
「ええ、お姫様が退屈していらっしゃったようなので」
そのまま所謂、お姫様抱っこで近くの椅子まで連れて行かれ、やっと降ろされた。
「ここは……?」
昨日とは違う景色であったが、目の前には昨日見た‘涙の池’が見える。
スッと無駄のない動きで、チェシャ猫はアリスが見る方向、池の方を差した。
池と言っても湖ほどの広さがあり、それなりに深いであろうことが窺える。
「池の向こう側、見えますかねぇ?」
「あ! コテージ」
小さい茶色の家が見えた。
今、居る場所は昨日とは真逆の方のようだ。
アリスは今いる辺りを見渡す。そこはどうやら丘陵のようであった。
そこから滑るようにして、傾斜のある平地が池まで続いている。
「ねぇねぇ、池って入れるの?」
「そうですねぇ、入れないこともないと思いますよ~?
実際とても綺麗な湖なので……」
「じゃあ、行こ! チェシャさん」
「えっ? ア、アリス君!?」
傾斜をゆっくり下りだしたアリス。
それに目を丸くしたチェシャ猫であったが、彼女の可愛らしい背に、一度微笑むとその後を追った。
「アリス! 仕方ないから、街案内してあげても……あれ?」
一旦、二階に上がった後、すぐに降りて来た三月ウサギはリビングを開ける。
同時に、そう言い放ったが、そこには先ほどまでいた筈のアリスがいない。
「せっかく、付き合ってやろうと思ったのに……どこ行ったんだ?」
眉を寄せて首を傾げた後、ゆっくりと扉を閉めた三月ウサギは二階へと上がり、眠りネズミの部屋をノックした。
しかし、返答はない。
「アイツ、本当に寝てるのかよ」
承諾を待たずに、三月ウサギは眠りネズミの部屋の扉を開ける。
部屋の右側に設けられたデスクに、突っ伏して眠っている眠りネズミが目に入ってきた。
しかし、そこにもアリスはいない。
「部屋に戻ったのか?」
疑問を解決するために、アリスの部屋へと向かいノックをするが、こちらも返答がない。
少し迷って末にそっと扉を開けると、朝起きて整えられていないままのベッドがやけに目についたが、アリスらしき姿は見当たらない。
「アイツ、まさか一人で外に出てったんじゃないだろな!?」
一度、引率の元、街へ出て行っただけである彼女が、町はずれにあるこの家から街へ向かうなど、迷子になりに行くようなものだ、
そんな無謀な真似はしないだろう――と、思っていた三月ウサギは最悪の事態を想像して、眠りネズミの部屋に飛び込んだ。
「おい、眠りネズミ!」
「んん~? な……んだよ……?」
珍しく、一度の呼びかけで目を覚ました彼は、大きな欠伸と涙を浮かべながら伸びをする。
「大変なんだ!
あいつが、一人で街に行ったかも知れない!」
寝ぼけている眠りネズミは、半目のまま沈黙。
遅れて三月ウサギの言葉を理解し思わず立ち上がったが、椅子が上手く後ろに下がらず、足をデスクの足に打ってしまった。
「いっ……」
「なんだと!?」
そこに、乱暴に開けられ、大きな声が飛び込んできた。
今、帰って来た所の帽子屋だ。
「ほら、パパ。
お転婆なお譲ちゃん、迎えにいってやりな」
痛みに涙目になりながら、眠りネズミは虫を追い払うように、帽子屋へと手を振る。
「お前、どこ行ったのか知ってるのか?」
「ん? ああ。さっきチェシャの姿見かけたから、また連れてってたんじゃねぇか?」
当たり前のように眠りネズミが答えた。
「あんの、バカ猫……で、どこだ?」
「ん~? 昨日は涙の池に行ったって言ってたから……」
そこまで聞くと、帽子屋は「行くぞ」と2人に呼びかける。
三月ウサギは付いて行くようではあったが、「え? 俺も?」と眠りネズミは面倒くさそうに尋ねた。
「いいから、来い!」
帽子屋は彼の首根っこを捕まえて、強制的に部屋を出る。
「釣りに行くぞ。
餌は猫だけどな」
「あ~、それ絶対釣れねーわ」
帽子屋と眠りネズミのやり取りを見ながら、三月ウサギはアリスとの会話を思い出した。
―――だからお茶をしても楽しくないし、話す内容もない……―――
「いや、まだ楽しいかもな」
「どうかしたか?」
苦笑しながら呟いた三月ウサギに、帽子屋が尋ねる。
「珍しいなぁ。お前がそんな笑い方するなんて……」
眠りネズミは三月ウサギの髪の毛を乱しながら、顔を覗きこむ。
近づいた眠りネズミの顔に、三月ウサギはギョッとして、2人の先を歩いた。
「近いんだよ!バカネズミ!」
「あらあら……家のウサギさんは、お年頃なのかねぇ」
顔を真っ赤にして、先を走って行ってしまった三月ウサギに、眠りネズミは呆気に取られて肩をすくめた。
「あいつもアリスに感化されてるのかもな」
「女として?」
「さぁ?」




