帽子屋のブランチ 1
城から出て、しばらくの一本道の先にはすぐ三日月ウサギの家があった。
家に帰る気にはなれなかった三月ウサギは、近くの公園に自然とたどり着いた。
寂れたブランコに乗って、小さく揺れるとギイギイと耳触りな音が響く。
まだ人影は少し見えるものの、随分と静かだ。
俯き、幾度か前後に揺れる。
「でも10年だ。
アイツがここで待った長い時間を、無駄にはさせたくない」
誰にいうでもなくつぶやき、星が瞬く空を見上げた。
いつだって同じ位置に同じ星があり、それはまるで貼り付けられた絵のようで、薄っぺらく感じてしまう。
「長は一体、何を考えてるんですか?」
見えない誰かに、問いかけるように、か細く呟いた。
刹那――弾けるような音が鼓膜を響かせる。
音のした方へと顔だけ向けたが、何もなかったように三日月ウサギは、またゆっくりブランコをこぎ出した。
ギイギイーーという音が、公園を包む。
それを遮るように、土を踏む音が数回。
「何してるんだ? こんなところで……」
良く知る声、足元から頭まで真っ黒な容姿。
既に影だけで、分かるほど見慣れた姿。
ただほんの少しだけ、白い部分が夜の景色に栄えている。
「アンタこそ……派手な音、響かせてたけど、仕事?」
帽子屋は、三日月ウサギの隣のブランコに腰かけ、「ああ」と返答する。
「女王のお気に入りは大変だね」
知らずの内に皮肉が口をついて出た。
「いつになく突っかかってくるな。
白ウサギと、なんかあったのか?」
思った返答とは違い。宥めるような優しい口調に、三日月ウサギは思わず俯いてしまった。
「アンタはさ、いつまでそうしてるつもり?
今日はここにアリスが来たり、上は上で色々あったらしいよ。
名前の改ざんが見つかったとか……」
ほんの少しだけ反応を見せた帽子屋だったが、彼は前の闇を見つめて「そうか」と呟くだけだ。
「なんでか知らないが落ち込んでるなら、明日また家に来い。
旨いブランチを用意して、待っておくから」
ポンと三日月ウサギの頭を一度だけ撫でて、帽子屋は立ちあがった。
三日月ウサギは立ち去る彼の背を見て、一瞬迷ったようにした後、立ち上がる。
「ねぇ、長の手の平の上で、踊らされてると知ってても……諦めないの? 帽子屋」
澄んだ三月ウサギの声が、虚空の闇に吸い込まれていく。
帽子屋は帽子を抑えて、少しだけ振り返るが、何も言わずにまた踵を返した。
振り返る時の彼が微笑んだ気がした。
三月ウサギは、それ以上何も言えずに、ただその背が闇に見なくなった後も、そこにたたずんでいた。
翌朝。
アリスは、随分と日が昇った時間に起床した。
昨日はあの後、帰って来た帽子屋と眠りネズミが作った晩御飯を頂き、すぐに眠ってしまったのだった。
10時間は寝ただろう――彼女だが、まだ寝たりなかったし、誰も咎める者もいない。
再び浅い眠りに入ろうとした時、乱暴に扉が開かれた。
ちなみに彼女が宛がわれた部屋は、二階の日差しが程良く入る広い部屋。
一階には応接間とリビング、キッチン以外には風呂とトイレがある。
玄関から入って、右側の扉は鍵が掛かっていた。
そして二階は広い部屋が4つ。
階段から一番近い部屋に帽子屋、その隣に眠りネズミ、一室の空き部屋を挟んだ一番奥がアリスの部屋として貸し出された。
「おい、こら起きろ!
いつまで寝りゃあ気が済むんだ」
入って来るなり、大きな声を張り上げる帽子屋。
「あ~、朝からうるさいなぁ。
もうちょっと静かに起こせないの?」
ボブの髪を、寝癖で所々跳ねさせているアリスは、掛け布団を深く被りながら、目だけ帽子屋に向ける。
「もう11時だ! さっさと起きて、顔洗え」
「あれ? 帽子屋は、いつでも6時じゃなかったっけ?」
「知るか!
早く来ないと、夜まで飯抜きになるぞ」
それだけ言い残して、帽子屋は部屋の扉を開けたまま、部屋を出て行ってしまった。
「というか、今考えたらノックもなかったような……」
朝から元気な帽子屋とは裏腹に、アリスはダルそうに起きあがり、のそのそと準備を始めた。
彼女は寝間着の白いワンピースのまま、一階のバスの前に設けられた洗面台へ行くと顔を洗い、歯を磨く。
鏡の隣には、洗濯機と洗面台――その間に、丁度フィットするようにダークブランの細長い棚がある。
そこにはクシや、ピン、ヘアゴム、ドライヤー、寝癖直しのスプレーなど色々揃っていた。
丁度、短い髪の毛先が跳ねていたので寝癖スプレー(おそらく帽子屋が使っているのだろう)で直し、クシで整えて洗面台を出た。
今日も、日差しは温かくて柔らかい。
どこからか良い匂いが漂ってきて、当然のようにキッチンへ赴くが、誰もいない。
彼女は首を傾げ、再びホールへと出たところ、玄関から入って来た、眠りネズミと鉢合わせた。
「お~、おはよ。アリスちゃん」
「おはようございます。帽子屋さんは?」
「あいつ、言わなかったのか?
天気も良いし、ブランチは庭でするんだ。
もう用意出来てるから行こう?」
キッチンに皿などを取りに言っていたらしい眠りネズミを手伝い、庭へと出るとそこには昨日とは違い長方形のテーブルが用意されていた。
純白のテーブルクロスが敷かれ、沢山の料理が並んでいる。
「わぁ」
それほどお腹が空いていなかった彼女であったが、その料理を見た瞬間一気に食欲がわき出す。
「お前はここだ」
トン、と後ろから肩を押されたのを振り返ると、癖っ毛な黒髪をブルーのリボンで一つに結んでいる帽子屋がいた。




