Q: A: Part1
5837文字
視界に映るのは赤く染まった世界。倒れかけの木を背に見る空は深紅で、俺を見下すライオン頭の化け物も赤く見える。頭から流れ出る血が両目に入り込みそういった景色を見せているのだろう
両頬を伝う雫は、俺の涙か。それとも血か。どっちもか
血だらけの俺の上に倒れている少女を見る。随分と軽くなった彼女はとうに意識がない。小さな呼吸で胸が上下に動いていのがわかる。守ると決めた俺の意志を踏みにじるように、化物が何かを言った。聞こえないし聞きたくもない
今回ばかりは相手が悪かった。条件とか、経験の差とかではなく。単純に俺が弱かったのだ
化け物が持つ剣を振りかぶる。どうやら殺されるよりも速く。意識を失いそうだ
「すまない。アン、守れなかった」
今日は目が覚めたときから胸騒ぎがしていた。野宿の為に建てた木の小屋を消して早々に移動の準備を整える。どこか落ち着きのない俺に二人は疑問を持っただろう
「パパ? どうしたの」
〈そうですよ主。朝から様子が変です〉
そうはいわれても明確な説明なんてできない。別段、危機感知に何かが引っかかっているとかではない。単に、本当に単純に嫌な予感がするってだけだ。その事を二人にも言っては見たものの、反応は薄かった
荷物をまとめ、背負い移動を開始。今日は登りなのでソリの出番はない。アンは既に自分で歩いてもらっている。元々身体能力も高い上、回復力も十分ある。もう大丈夫だろう
アンは前日の夜に降り、積もったばかりの雪をめがけて飛び跳ねていた。今日は良く晴れた日で、背の高い木と木の間から見える雲一つない空。気持ちのいい朝
そんな清々しい一日は、一瞬にして崩れ去る
全魔眼はアンに共有眼を使っているので気がついていないが、俺の危機感知にはその異常さが直に解った。一体何が迫ってきているのかは想像もつかない。とにかく異常な数のモノが蠢いている
命の気配を感じ取っている訳でもないのに、気分が悪くなってきた。はしゃぐアンを小脇に抱え、俺はとにかくその危機からは慣れる事に専念する
「全魔眼! アンとリンクを切って、千里眼で周囲の警戒」
〈はあ、了解しました〉
何が起きているのか解らないアンが俺の顔を見つめてくる。視線を感じるが今はあわせている余裕がない。全魔眼による捜索で見つけた脅威から、最長のルートを選んで逃げなければならないからだ
とにかく遠く。追いつかれに様に、はち会わない様に。遠くなってる気配はしないが、近づいてもいないはず
「全魔眼。見つけたか?」
〈いえ、特に脅威となりそうな物はありませんが?〉
何を言っているんだこの眼球は? 明らかにヤバい何かが俺らを追ってこっちに向かってきているはずだ。後方、確実に何かがいる
後ろを振り向きながら、走る俺に全魔眼がおかしな事を言ってくる
〈あれ? 主。なんだか視界がぼやけます〉
何をバカな事を言っているのかと思った。しかし、俺にも同じような異変が生じた。急に危機感知が反応しなくなったのだ
もう既に違和感しかない。俺の危機感知が壊れたかのように作動し、全魔眼が目眩を訴える。同時に周囲の警戒できる力が使えなくなる事なんてあるか? 限りなくゼロに近い。そもそも俺たちは機械じゃない。急に壊れたりなんてしない
余りにも不思議な現象に見舞われた俺は足を止めた
天気が悪ければ朝でも雪の降るこの雪山で俺は汗を拭う。俺とアン以外の吐息が聞こえる。新雪を踏む足音も、俺らの後ろに誰かがいる
「おお、やっと見つけたぞ。久遠人」
声の主の方に振り返る。獅子の頭、ゴリラの様な筋肉質な身体。金色の体毛に包まれ、森にある平均的な木をも越えてしまいそうな身長を持つ。得体の知れない化け物の姿がそこにはあった
危機感知では何も感じないが、一目で分かる。先ほども引っかかっていたのはコイツだと。あまりのレベルの差に、危機感知がおかしくなってしまったのだろう
現れた化け物は俺など視界に入っていないのか。脇に抱えるあんだけを見つめていた。俺はアンを降ろして彼女を隠すように前へと出る。そこでやっと目が合った
「……ああ、えっと。どこかで会ったか?」
言ったのは俺ではない。向こうの化け物。コイツは魔獣か? 魔獣なんだろうな
しかし、俺が戦ったことのあるワーウルフとは明らかに強さが違う。ワーウルフをチェスのポーンに例えるなら、目の前のはクイーン。戦ってもいないのにそれだけ存在が違うと解る
どこか人間臭い質問に一度警戒心が緩まったが、全魔眼の言葉で考えを改める
〈主。久遠人の記憶を一度見た事があるのですが、その時ある者が久遠人はエサだと言っていました。もしこの魔獣がそういった目的で追いかけてきたのだとしたら〉
エサ? 一体なんの話高は解らない。でも考える必要はない。例え全魔眼の予想が正しかろうが、そうでなかろうが、魔獣がアンを目的に俺らを追いかけてきたって事がよく解った
だとしたら俺にできる事はもう一つしかない
逃げよう
いや、無理だって。俺この魔獣倒せる気しない。四メートル近いタッパがあるんだよ? 大陸の平均身長なんて物は知らないが、コイツはデカいって。知覚強化を使って逃げ切れるかな。逃げ切れてもらえなきゃ困るんだけどさ
目隠しをかねて地面にウォーターカッターを五発叩き付ける。積もりに積もった雪と地面が飛び散って視界が一気に悪くなった。アンの手を引く。引いた瞬間彼女から軽いうめき声が聞こえる。強く引き過ぎたかもしれない
でも、それに構っている時間はない通常の百倍遅くなった世界を全力で駆ける。逃げる方向は西。しかし最終的に向かうのは俺らが着て、魔獣が追いかけてきた方向だ。二日も移動してしまったが、副都に逃げるのが正解だろう。俺にもあの魔獣が見えなくなったが問題ない。もう見たくもないからね
「最近の若いのはどいつもイキがいいな。前にもエルフに逃げられたんだよ」
「はあ?」〈はあ?〉
一寸先は白に包まれた世界で、真横から声が聞こえる。俺と並走して魔獣が追いかけてきていた。俺らを攻撃する気配はなく、ただ追いかけてきているだけ。なんなんだコイツは
逃げても無意味と解り、走るのをやめる
「賢い選択だ。あのまま走ってたら食い殺していた所だ」
笑って物騒なことを言う魔獣。正直弄ばれているとしか思えない。舞い上がった雪が落ち着き、景色が鮮明になる。いつの間にかずいぶんと開けた場所に移動したようだ。俺のウォーターカッターも随分とえげつない威力になったもんだ
「はは、見逃してはくれませんかね?」
「別にいいぞ」
予想外の言葉の後に引けない理由がついてきた
「その娘を置いていくなら」
「それは出来ません」
魔獣は何度も頷いて納得した様な顔をする。正直、誰かの為に自分を犠牲にするなんて。俺にはできないと思っていた。いざ、それをしようと思うと案外悪い気はしない。アンの為だからだろうか?
「アン。逃げるんだ。できるだけ時間を稼いでみよう」
俺の言葉をどう理解したのか。アンが俺を強く睨む。初めて会った時以来で睨まれた
「いや! 私はどんな事をしてもパパといるって決めたの!」
「それは嬉しいな。でもゴメン。『命令』だ。俺が見えなくなるまで全力で走れ。できれば副都まで逃げてウィルを呼んできてくれると助かるね」
命令。彼女の首にはいまだに奴隷化の首輪がついている。というより外し方が解らないのだ。壊してアンに何かあったら大変だからそのままにしていたのが今回は吉と出た
命令を受けて嫌がるアンはこの場から消えた。目で追っていた魔獣は後を追いかけようとはしない
「どうしたんだ? こっちは助かるが、お前の目的はアンだろ。追いかけないのか?」
「何を言っている。命を掛けて誰かを逃がそうとしている者の、最後の覚悟を踏みにじってはいけないだろう」
俺は背後に魔力のみで作り出した水球を四つ作り、その中に眼球を一つずつ入れる。足下の地面から植物と土の刺、氷の刃を代理魔法で作り出す。両手にはアダフさんの剣を二振り、片方の切っ先を魔獣に向ける
俺が作り出す魔法を見て魔獣は興味深そうに声を漏らした
カッコいいことを言う魔獣だ。だが俺だって死にたくない。やるからには全力だ。俺のできる事全てでコイツの動きを止め、必ず生き残る
腕を組んで俺を見つめる魔獣が一言
「三十秒やろう。好きにしなさい。私は一切君に攻撃しない事にしよう」
はっ! なら最初の一秒で終わりだよ。全魔眼、固定眼と麻痺眼でアイツの動きを止めろ
〈既に!〉
これでヤツは動けない。雪を被った茶色い地面と地面で挟み込んで押しつぶす。せり上がる地面が壁となり、魔獣に迫る
「む? 視線が動かせない?」
今更魔眼に気がついてももう遅い。そう思い、力一杯ヤツを挟み込む。今使っている魔眼の組み合わせで動きを止められない者はいない
もしいるとしたら、固定眼か麻痺眼のどちらかを持っているというのが必要条件だ
視界に映ったのは、摩周が迫り来る壁に挟み込まれる瞬間高く飛翔した光景だった。ヤツは視線が動かせないといった。ならば、アイツは麻痺眼を持っている
魔眼の弱点の内の一つに、同じ魔眼を持つ者同士にその効果は発揮されないというものがある。魔眼どうしが反発し合い。効果が打ち消されるのだとか
「ははは! 君。もしかしてこのはずれ魔眼の持ち主か? 奇遇だな」
「最悪だよ! チクショウが!」
二枚の壁が重なり合った場所から今度は植物の蔦を伸ばして魔獣を追う。二本の蔦をヤツの左右同時に責める。麻痺は駄目でも固定の方は生きている。ならば、今現在目線だけ動かして周りを見る事ができない。相当視野が制限される
一本を見れば一本が確実に見えない。二本の蔦が魔獣を襲う
視界は十分に悪くなっているはず、それなのに魔獣は体を捻って着ように空中で避けきった。蔦から蔦を生やし更なる追撃を目指すが、避けた蔦を足場に魔獣はこれでもかというほど華麗に避けていく
足場にした蔦から捕らえられたら良かったのだが、設置している時間が短過ぎて捕らえられない
作戦変更だ。蔦を全て消し去り、何もなくなった空中を狙う。ヤツが足場にできないよう、限界まで薄く、鋭くしたウォーターカッターを十発放つ。水は凍り、目で確認するのも難しいほどの薄い氷の刃は、自然落下してくる魔獣を完全に捕らえる事ができるだろう
「ああ、君だったか。その魔法は私もできるぞ」
確かに聞こえた魔獣の声。ヤツの宣言通り。ヤツの目の前から同じ魔法が放たれ、俺の氷の刃を相殺した
なんで使えるんだ? 似た魔法があってもおかしくはない。それなのに、なんでこんなにもーー
全魔眼。魔力眼であの魔法を見ていろ
魔力眼は使った魔法の残痕が視界に映ると言う。なんとも意味のない魔眼だ。しかし、隠れている者が使用した魔法がどこから来ているか。とか、発動した魔法の癖とかがよく解る魔眼だ
俺は落ちて来る魔獣に向かって、もう一発だけ凍りの刃を飛ばす。魔獣が同じようにそれを氷の刃で防いだ
〈……まず間違いありません。主と同じ方法です。あの魔獣も、水の構成物質を理解し、高速で打ち出しています〉
俺はそれ以上何もできなかった。ただ単に魔獣が地面に着地するのを待つ。異変に気がついたのか着地した魔獣から声をかけて来た
「どうかしたか?」
「なんでその魔法を、その方法で使えるんだ? 構成知識と構造知識で魔力の消費を抑える方法は、俺しか知らないはずだ! 例え解って居る者が居てもおかしくはないが、魔法の出し方まで。まるで、まるで……」
なんで今思い出す? なんで今なんだ?
混乱気味の頭で確かに魔獣の声が聞こえた
「まるで、ビオの様にか?」
「なんで、お前がその名前を」
三十秒なんてとっくに過ぎているが、魔獣は俺に手を出そうとしないで長い話を始めた
「私は魂を操る力がある。その力を応用し、動物どうしを繋げ、改造する事ができるんだ。その改造した動物は、少しばかり強くてな。『キメラ』なんて呼ばれていたよ
いつだったか。七年前か、八年前だったか。セーフフィールドがない、とある村の話を聞いてな。キメラで襲わせた事がある。警護も十分に堅く、ほぼ全てのキメラが殺されてしまったがな
しかし、ただ一匹生き残ったキメラが私の元に帰ってきた。一匹で三人分の魂と身体を保管できるのに、たった一人しか入ってなかったんだ
まあ、腹も減ってたし。キメラもろとも、美味しく頂いた。そして私には、食べた魂の記憶や力と言った物を自身の力とする事ができる
さあ、話は終わりだ。なあ、キリル」
目の前にいる魔獣は、俺の旅の目的でもある。ビオを殺し、俺を谷底に落とした元凶。コイツから逃げる必要なんてない。逃げる方がおかしい。わき上がる感情はたった一つ
「殺す」
「それは楽しみだ」
視界がぶれる。全魔眼の予知眼だ。移る光景は赤く染まり、目の前に入間中の足が俺の腹を貫く映像
二本の剣腹を俺の腹部の前でクロスさせる。そこから少しでもケリの威力を殺す為に後ろへ飛ぶ。さらにいつ攻撃を食らってもいいように既に腹部の治療を開始する
また視界がぶれた。今度は予知眼ではない。腹を蹴られた衝撃で意識すらも吹き飛びそうになったのだ。剣は折れ、内臓にも深刻なダメージを受けた。既に回復を始めていなかったら危なかったかもしれない
俺自身の防御力はそこまで高くない。それだというのに背中で木を二、三本倒して更に飛ぶ。四本目にして俺を受け止めた木に頭をぶつけ、吹き出る血で視界が赤く染まる
体中の傷は癒えてもダメージは治せない。手足は痙攣して動かす事もままならない。意識すら、混濁し全魔眼の声も聞こえない
解るのは俺の目の前にデカい足があるという事、魔獣の足だ。全魔眼の声か、魔獣の声かなにかが聞こえ。目の前に見覚えのない燃え盛る炎を模した剣があった
錆び付いた歯車の様に軋む首に鞭を入れ、顔を上へと向ける。魔獣が剣を高らかと空へと掲げていた。どこまでも手を抜いていたのか
たった一撃で俺はもう動く事もできない
剣を持つ手が動くと同時に、俺の身体が左へと移動する。右から誰かに押されたのだ。剣が俺の右側を通り抜け、地面を砕く。衝撃だけで俺が更に別の木へと打ち付けられた
飛びそうな意識の中で少女の叫び声が聞こえる。アンの声だ。なんで、戻ってきたんだ? 命令で逃げたはずだろ?
『俺が見えなくなるまで全力で走れ』
先ほど俺の言った言葉がよみがえる。そうか。俺が見えなくなって、命令の効果が切れたんだ。今解っても遅い。身体の力が完全に抜け、うつ伏せに倒れた俺には何も見えないし、何も聞こえない
三話構成です




