19話 聖女の狂騒曲(きょうそうきょく)
――ドンッ!!
私は勢いよく壁に叩きつけられた。
「っ!!」
そのあとすぐに私の髪を引っ張り床に引き倒したのは血走った目で髪を振り乱したクレア様。
その顔はとても愉悦に歪んだものだった。
「うふふふ、いい気味ねぇイレーネェェ!!」
狂気すら感じさせるクレア様の姿に私は後ずさる。
何故こんなことになっているのか。
それは数分前にさかのぼる。
私はお手洗いに向かった後、何か大きな物音がして慌てて飛び出した。
そして目に入ってきたのは床に散らばったガラスの破片とそこに沈むカリンの姿。
「か、カリン!! しっかりして!!」
駆けよればカリンの後頭部からは血が流れ出ている。
恐らく後頭部をビンで殴りつけられたのだろう。
目は閉じられ、呼んでも起きない。
「ふふ、うふふふ」
笑い声に目線を上げれば肩で息をして楽しそうに笑うクレア様の姿があった。
赤いドレスには液体が浸みており色が濃くなっているところがある。
「さあ、これで邪魔者はいなくなったわぁ? 行きましょうか白鼠」
クレア様は私の髪を掴んで強引に引きずる。
そうして連れてこられたのは人通りのない倉庫だった。
そして今に至る。
私は迫りくるクレア様から距離をとるために立ち上がった。
肩がズキズキと痛む。
強く打ち付けてしまったようだ。
「ねえ、わたくしが一体何をしたというの? わたくしはただあなたに自分の立ち位置を思い知らせてあげようとしただけ」
クレア様はまるで私が見えていないように空に向ってうわごとを吐き続けている。
はっきり言ってあまりにも異様な光景だった。
「く、クレア様」
「……」
ぴくっと反応を示す。
やがてゆっくりとこちらに向き直った。
その瞳は一目で敵意しかないと分かる程暗く澱んでいた。
「あなたもそんな目でわたくしを見るのね。白鼠の分際でっ!! 何様のつもりよ!!」
ヒステリックに叫ぶクレア様。
「なんであなたはそんなにピンピンしているのかしら? おかしいじゃない。わたくしあなたに沢山の贈り物をしたのよ? 毒の入った奴をねぇ? でもそれは全部あなたを思ってのこと。身分に合わない居場所にいるあなたを解放して上げようとしただけなのに……」
その手には割れたビンの破片が握られている。
「な、なんの話でしょう? 私に贈り物など届いておりませんが……」
「嘘をいうんじゃないわよ!!」
ものすごい剣幕で怒鳴られる。
「だいたいねぇ! ひと様のパーティーにメイドを引き連れてくるなんて!! 権力をひけらかしたかったのでしょう!? 下品にも程があるわ」
確かに私がパーティーで口にした料理は全てカリンのチェックが済んだものだけだった。
セイア王国に来る前にルドニーク様と約束をしたからだ。
恐らく毒か何かが仕込まれる可能性があるからと。
だから別に権力をひけらかしたいとかそう言うわけではない。
「それに大公! あの男も噂にたがわぬ野蛮な男だったわ!! あれが君主じゃあ国の奴らもたかが知れているわね!」
嘲笑うクレア様。
私はその言葉に反応した。
「……撤回してください。公国は……野蛮な国なんかじゃない。何も知りもしないあなたがそんなことを言う資格はありません!!」
私を悪く言うのはいい。
いつものことだから。もう慣れてしまったから。
でも、グレノス公国の皆を悪く言うのは許さない。
強い意志を込めてクレア様を睨む。
私はもう、虐げられてばかりいたあの頃とは違うのだから。
「……なによその目は!! あなたなんか……あなたなんか死んでしまえばいいのだわ!!」
クレア様は激高し、ビンを振り上げる。
振り下ろされる手が、スローモーションのようにゆっくりと見えた。
当たったら痛いだろうか。
痛いだろうな。
でも公国を馬鹿にされるのは我慢できなかった。
公国を馬鹿にされて黙っていられるほど、おとなしくもない。
私は変われたのだ。
来るはずの痛みに備えて目を瞑る。
だが痛みはいつまでたっても襲ってこなかった。
「そこまでだ」
「なっ!?」
クレア様の腕が不自然に止まる。
まるで見えない何かに動きを遮られたかのような動き方だった。
それは先ほどのガイア様の時と同じ現象。
いいえ、それよりも今の声は……。
私は声のした扉の方を見る。
固く閉ざされていた扉が次の瞬間には木っ端みじんに砕け散った。
倉庫に強風が吹き荒れる。
「な、何!?」
クレア様が困惑したような声を上げた。
暗闇から現れたのは予想通り、ルドニーク様だった。
だけど、いつも見ているような柔らかい表情はどこにもない。
真顔で紫色の魔力を暴発させている。
その魔力からはとめどのない怒りが伝わってくる。
「よくもやってくれたな」
彼が一歩近づく度にピリピリとした紫電が部屋を満たす。
「誰に向って死ねばいいと?」
ルドニーク様は私の肩に羽織を着せるとクレア様をにらみつける。
「っひ!!」
たったそれだけでクレア様は腰が抜けたのか床にへたり込んでしまった。
倉庫の外がざわざわとしている。
おそらく警備兵やパーティーの招待客が集まってきているのだろう。
見ればガイア様が息を切らして立っているのが見えた。
肩を押さえてボロボロな私と欠けたビンをもって腰をぬかすクレア様。
集まりだした彼らの眼にどう映るのかは明白だった。
「ガイア第一王子、ここにいる昼の聖女が我が妻、夜の聖女に危害を加えたうえ殺害しようとした。これはどう弁明するつもりだ」
ルドニーク様は魔力を絶やさずドスの利いた声でこの場の主導権を握る。
「そ、それは……一体どういうことだ!? クレア! 答えろ!!」
ルドニーク様に気圧されたガイア様はしどろもどろになりクレア様をにらみつける。
「ぁ……わ、わたくし……」
答えようにもがたがたと震えているクレア様には答えようがない。
「この状況を見てわかるだろう。本当はこの場でこの者の首を刎ねてしまいたいが……」
ルドニーク様の言葉に一層ざわめき立つ。
「る、ルドニーク様! それはなりません! 聖女を害すのは法律で禁止されています! 私なら大丈夫ですから!」
私も慌てて声を上げる。
証拠がなければ裁くことはできないが、今この場では多くの証言者がいる。
聖女に手をだせばルドニーク様と言えどただでは済まないだろう。
「ね。私なら大丈夫です。こんな傷今までのものに比べれば何ともありません!」
「イレーネ、君は優しすぎる。君に傷を負わせたものをオレは許すことができそうにない。それは今も……」
ルドニーク様はそう言うと入口にいる貴族たちを無表情で見つめた。
「……過去のことも、全て、な」
ざわついていた周囲がその言葉で静まり返る。
シィンっと重たい沈黙が流れた。
「っ! クレアを捕え拘束しておけ! 今すぐに!!」
我に返ったガイア様が兵に告げ、一気に慌ただしくなる。
そんな中ルドニーク様は私を立たせると出口に向かう。
ガイア様とすれ違う時、「今回の件、我が国は真っ向から非難する」と言い残してその場を離れた。
私たちは走り回る兵たちを尻目に馬車に乗り込んだのだった。
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