ののめ
「お願いだから、これを着てくれ!」
山葵は脱いだシャツを試合後のサッカー選手のユニフォーム交換のように差し出していた。
簡単に経緯を説明する。
あれから池から流れ出る川沿いを下って行った。川を下るついでに、慣れないものを食べたせいか腹も下った。流れ出ること水の如しである。
出るものもなくなり動けるようになったので、なんとか下流に移動しようとした結果、昼頃にはとうとう熱も酷く出てきて、立ちくらみ、座り込んで動けなくなってしまった。なんとか木陰まで移動して半ば意識を飛ばして行き倒れていたところを野性味あふれる格好をした娘に「大丈夫か?」と声を掛けられたのである。
それで、何を頼みこんでいるかというと、自分の来ていたシャツを一枚脱いで、なんとか彼女に着てもらおうとしているわけである。
何故か?
彼女の服装が原因なのだが肩や腰に獣の皮を羽織る程度でなにせ乳やらなにやらがあれこれ丸出しなのである。現代先進国に育ったジェントルマンとしては、うら若き乙女にそのような格好をさせておくのは忍びなく、発熱で朦朧とする意識のなか取り敢えず着ていたシャツを脱いででも何か着てもらおうとしていたというわけである。
「私達逢ったばかりで、長の許しももらってないのに・・・。こ、こまったな。」
シャツを手にしばらく考え込んでいたが、やがて意を決したようにそれを悪戦苦闘しながらも、なんとか被るようにそれを着ると、今度は顔を赤らめながらそれまで彼女が手首に巻いていたブレスレットを差し出した。
シャツのお礼ということなのかもしれない。彼女の好意は受け取っておくべきだ。それを手首に巻くと、微笑みを交わす。
だが、そんな光景も、無理に動いたために、胃の奥からこみ上げてきたものによって一瞬で打ち破られた。山葵はゲロを派手にぶちまけながら無抵抗な子羊のように意識を手放したのだった。
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池の水は一番低いところから溢れ出しやがて川の源流となる。井の頭公園の湧き水の場合は神田川と呼ばれる河川の源泉となっている。神田川とは東京都を東西に横断し隅田川と河口付近で合流し東京湾に至る川だ。川の水はいずれ海に辿りつくという原則は時代は違えどもそう変わるものでもあるまい。食物も海を目指したほうが得やすいだろうし、途中で人に合う確率やどこかで人が住む集落に出会う確率も高くなる・・・はずだった。
あまりに早く動き回る魚を諦め、貝に挑んだのが昨日。その後、川に出てサワガニぐらいなら取れるだろうとカニを何匹かとって再び灰まみれにしながら食べたり、辺りを徹底的に散策したあと再び池の集落地に戻ってきて夜を明かした。
その散策で川沿いに見つけた獣の道を意を決して進み、人に逢えたという点では、目論見どおりだったのだが、わずか2夜ベットと冷蔵庫という現代文明から離れた生活をしただけでこのように前後もままならない状態になっているとは考えてもいなかった。
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目を覚ますと可愛らしい白い5枚の花びらをつけた草花が数束、胸元に供えられていた。まだ、死んではいないはず。弔われるにはまだ早い。緩慢に動き始めた意識のもと、あたりを見回す。少し先の河原で火が焚かれ、あのシャツ姿の彼女が川の浅瀬で銛を突いていた。すでに何匹か魚を獲っているようだ。あのすばしっこい魚をとるなんてなんて凄腕なんだ。のそりと立ち上がり、花を持って火の側に寄っていくと彼女も気がついて川からあがってきた。
「気がついた?ゲンノショウコ詰んでおいたから飲みなよ。」
彼女は花を指差す。はて、これはなにかの薬草かなにかなのだろうか? このまま噛みながら飲めばいいのだろうか? 訝しげにしていると、呆れたとばかりに手にもっていた花を取り上げられた。
近くに生えていた大きな桐の葉を折りたたみコップ状のものを2つ作り重ね、川で水を汲む。
焚き火の中から焼けた小石を小枝でつかみコップの中に入れ、浮き上がった灰を零す。
花束をくしくしと片手で揉み潰し入れる。小石の熱で暖められお湯になってきた。
おお、これはまさかお茶か? なんとも手際がいい。
そそっと手渡してくる。
「飲んでいいの?」
「腹下しとかに効くから飲むといいよ。」
恐る恐る口にすると、恐ろしく苦いけれど確かになんか効きそうな気がするのでちびちびと飲むことにした。
彼女の手は止まらない。捕まえた魚を指先だけで裂き内蔵を取ると、どくだみやらの葉っぱを何枚かちぎってまぶし、桐の大きな葉に何重かにくるんで、そのまま直火にぽいっと投げ込む。なるほどそうやれば灰だらけにもならずに蒸し焼きにできるのかと関心していると、葉と魚が香ばしく匂いだってくる。
塩も振られていないし、なんの味付けもされていない。
だが、わけてもらった魚の香草焼きは、今まで生きてきた人生のなかで一番美味しいものだった。
「わたしの名前は鯨水の夏ノ野芽だ!末永くよろしくな!」




