湧き水のほとりに
早く寝たためか、意外と緊張していたのか、はたまた野鳥が煩かったからか、日が登るのと同じごろに目が覚めた。日が登りはじめの早朝が放射冷却により一日のなかで寒さが一番厳しく、実際のところは寒さで目が覚めただけなのだが、はじめての野宿者がそれに気がつくことはない。
ペットボトルの水は昨日500mlを1本、飲んだり乾燥米を戻すのに使ってしまったので、既にあともう1本しかない。だが、だからといって食わないわけにも飲まないわけにもいかず、ボトルをあけ一口飲むと昨晩同様に乾燥米にも入れる。これが朝食として食べられるようになるまで、あと一時間も掛かるのだ。
飲料水の問題は早くも深刻だ。寝覚めに顔も洗えなければ、大自然のなかでトイレをいたしても手を洗うことすらできない。この森の中から、この小さなペットボトルが無くなるまえに、なんとかして水場にたどり着かねば今晩にも飲むものもなくなってしまう。人間は食事をとらなくても2週間程度は生存できるが、まったく水分補給ができない環境ではわずか75時間程度で死に至る。
だが、焦りはない。昨日確認した山並みと富士山の方向から、時間軸こそ違えどここが自分が住んでいた東京で、関東平野であることにはおそらくは違いはあるまい。だとすれば、ここから数キロ圏内には武蔵野の三大湧水池があるはずである。井の頭公園は普段ではれば30分も歩けばたどり着けるところにあった。それがどんなに原生林に沈んでいたとしても3時間もあればたどり着けるだろう。「水が美味い、井戸の頭だな」と徳川の将軍に名付けられた湧き水ならこの時代でも飲めるに違いない。
夜中、毛布がわりに羽織っていたブランケットを畳んでしまうと、焚き火の痕跡を丁寧に消し、歩き出した。
結論から報告すると、迷うこともなくあっさりついた。方角だけを見定めて進んだのだが、ある程度進むと途中で幾筋もの獣道が水場に続いていたのだ。途中で食事の休憩をいれたが、2時間もかからなかった。
そして今、池を前に二択で揺れていた。
湧き水が出ているところで空になったペットボトルに水を汲むか、それとも、対岸の崖に見える人工物、屋根のようなものの正体を近くまで確認しにいくかである。
脳内会議を開催する。湧き水は逃げない。しかし、あれが建造物であった場合、人がいる可能性がある。その人物が友好的か敵対的かで状況は変わるか? 変わる。ならば不確定要素は先に潰しておくべきだな。ほい、結論は出た。
池を大きく回り込むとそこには明らかに人の手によって作られたと思われる建物が立っていた。拾ってきたような木をそのまま土に埋めて立て、周りをカヤのような水辺に生える茎状の植物で覆ったものだ。簡素というか、子供が作った秘密基地のようなものであるが、それは確かに建物であった。
だが、建物のまわりには膝丈ほどの草が多い茂り、蔦植物が建物を覆っている様をみると、とても今現在誰かが住んでいるようには見えない。しかし、かといって朽ちて崩れていて放棄されているわけでもないといった状況だ。小屋は大人が2人もはいったら満杯になる程度の多きさで、似たような状況の建物が4軒、雑多に並び立っている。
この建物、入り口がないな?
いや、正確には入り口おぼしきところはある。しかし、壁と同じような素材で塞がれていた。ここを最後まで使っていた人は意図してここを塞いで立ち去ったのだろう。誰かに入られないように、いやこの場合は誰かではなく獣などに荒らされないようにだろうか?このようにわざわざ蓋をして立ち去るということは、再びここに戻ってきてこの建物を利用する意志があるということかもしれない。
建物に近寄り、入り口のような場所をこじ開けて中を覗き込んでみる。煙で燻したような強烈な匂いがまだ残っていた。草がものすごい勢いで茂っているので錯覚したが、もしかしたらここを人が離れてからまだそれほど時間は経っていないのかもしれない。
こんな小さな小屋で火なんか焚いたら小屋ごと丸焼けになっちゃうのにという疑問はすぐに解決した。どの建物からも近い広場の中心に窯場とおもわしき痕跡があったのだ。そこにだけ灰が積もっているせいか、草が茂っていなかった。
「ここで生活・・・、してたのかな?」
足先で灰をガツガツとほじくると、いろいろな生ゴミの燃えさしが出てくる。それはここで食事をつくっていましたという証拠のようにも思えた。
池の周りを回った結果、同じような建物群を他に6ヶ所みつけた。どれも池まですぐ降りられる池の北西側の斜面にあり、いずれの湧き水のポイントからも2〜300メートル程度の圏内にあった。人影はどこにも見当たらなかったが、ここの人たちは陽当りのよい南側物件をご所望だということには親近感を覚えた。
建物群の規模は、1軒だけがぽつんと離れて建っているものもあれば、一番多いところで7軒が密集して立ち並ぶものもあった。建物が多いエリアは湧き水地点にも降りやすく、平坦な空間が比較的大きく開けたところである。これら一群を集落と呼ぶなら間違いなくここが中心地であろう。そして他の箇所には見られなかった大きな特徴は、「建造物」、そう建造物と呼ぶにふさわしい建物がここには建っていたのである。
この集落でみかける建物はわずか一本の掘っ建ての柱に壁となる箕を立てかけただけの簡素なものであるが、このうちのひとつだけが、なんと、高床式の建物だったのである。6本以上の柱を立て、蔦などを巧みにつかい構造をつくり、長めでまっすぐな枝をいくつも渡し屋根や床をつくっている。これはどんなに屈強な男でも独りで建てることはできないだろう。複数の大人がコミュニケーションをとり協力しあわないとなし得ない成果が確かにそこにはあったのだ。
残念なことに高度な木材加工をした痕跡はないが、木を切りそろえた痕跡は見て取れた。原生林に放り出されたときは、人類が生息もしていない時代すら覚悟した。竪穴式住居しか見当たらなかったときは、原始時代に来てしまったのかと考えもした。だが、協力共生しあう小さなコミュニティが、これだけ密集しているってことは、この時代にもそう遠くないどこかに文明に近いものがあるかもしれない。
さて、ここに、いかにも大切にされていそうな建物がある。
未知のものが目の前にあって、それをあければ情報がたくさん手に入る。
となれば、ハッカーがやることはひとつ。さ、レッツ侵入!




