箸にも棒にも肉
外ではまとまった雨が降っている。昨日、ほのがさが「明日は雨が振りそうだから、茅をとりに行こう。」と言い出したときは何を言っているかと思ったが、こうやって本格的な雨音を聞いていると、小屋が雨漏りせずに済んでいるのは、彼らの準備があっての賜物である。
何故雨が降るのがわかるのか? という問いには、「雲を見ればわかる。」というほのがさに、「匂いでもわかる。」というのごのね。だいぶこの時代に適応したつもりになっていたが、まだまだであるようだ。
雨の日は狭い家の中で火を使うので、まるで燻製になったようで嫌なのだが、「たまにこれをしないと、寝床が痒くなって寝れなくなるぞ。」との脅しは、燻さなかったらどうなるかを試そうと思わないほどには有効だった。
次の新月までには帰ってくるだろうと考えられていた狩りにでていたチームは、思いがけず早めに帰ってきた。雨が降ると、水量が増え川下りができなくなってしまうのと、せっかく血抜きをして乾燥させていた獲物まで濡れてだめになってしまいかねないのだ。夜か明日の朝にも戻ってくるんじゃないかという彼らの予想はあたった。
狩った獲物を同じ川の上流まで担いで移動し、そこから丸木舟に乗って戻ってきたのだという。
久しぶりの肉に村は湧き、昨晩同様、今もこうして肉をそれぞれの小屋で分け合い、狭い竪穴式住居の中で連日の焼き肉パーティーと相成っているわけだ。
こちらに来て初めての本格的焼き肉は本当にひどいものであった。
骨のついた枝肉をそのまま火で炙って、それを各人が回し齧りするだけで料理と呼ぶには程遠い。表面は炭化しているが、中は半生で血なまぐさいし、なにより獣臭い。というか握り手の部分は、そのままヒヅメや毛皮がついたままであり、その毛皮が火に炙るたびに燃えてものすごく嫌な匂いを発する。しかも肉は、よく言えば素材そのものの味で、悪く言えば、なんの調味料もつけずただ焼いただけのワイルドさなのだ。これじゃ焼き肉ではなくただの焼けた死体である。筋だらけの肉をようやく噛みちぎってもチューインガムのようにいくら噛んでも飲み込めない。齧って血が滴ってきたら、それを二度漬けよろしく再び火にかけ焦げてきたら次の人がまた齧る。間接キッスもかくやという野人食である。ただでさえ狭い小屋に狩りから帰ってきた2人の同年代も加わって、座るのがやっとという狭いところでさらに火をつかっている。満員電車の中で焚き火をしているようなもので、山葵にとってはいろいろなものが耐え難かった。むしろ彼らはなぜ嬉しそうにこれを食べられるのかのほうが理解しがたい。
山葵は小屋の角みにあった木の実などをすりつぶす用の丸石を外に持って出て雨で洗うと、それを火に掛け石焼きを始める。狩りチームの男が腰からぶら下げていた黒曜石のナイフを拝借して、肉を薄く切り分けると、枝を少し加工して箸をつくり、唯一の調味料である塩をふりかけて食べる。ああ、焼き肉はせめてこうじゃなきゃ。
「おい! 山葵!なんだその喰いかたは!?」
ほのがさが石の上から熱がりながらも手づかみで肉を引き剥がして口に運ぶと、目を丸くしている。それを見て、俺にも俺にもとあっという間に、ちょうど食べごろに焼き上がった肉がなくなってしまった。焼いてたのに・・・。
のごのねが無言で山葵からナイフをとりあげると、より繊細に薄く肉を削ぎ落とす。山葵は無言で切り分けられる肉をただひたすら焼く。それらを無言で食べる係の連携プレーの完成である。おのれ、ただ食うだけのやつらめ・・・。この流れ作業は全員の腹が膨れるまで続いた。
流石に枝肉を一度に全部は食べきることはないそうで、残りの肉は天井からぶら下げて熟成させるそうだ。と言っても、今回は信じられないほど食べたらしく、普段の半分ほども残っていない。
黒曜石のナイフはやはり便利だ。
石斧の研いだものでは肉を削ぐように切り分けることはできないのは言うまでもなく、現代のステンレスの包丁ですら研ぎたてでもなければここまでの切れ味はないのではないかという鋭利さである。黒曜石のナイフはこの村でもやはりそれなりに貴重な物のようで、全員が持っているわけではなく、狩りに出るチームで2本、村用に1本しかないそうだ。
かつては、この村にももう一本あったのだが、ゆぐりさの花嫁道具でもって出てしまたのである。そしてゆぐりさと交換でこの村に来たのが、ただひたすら焼き肉を食ってたこの男、ミマツである。




