丸木舟
ののめが布づくりを教わるために炉を作ってほしいというので、ほのがさ、のごのねと一緒に女小屋が集まっている村の真ん中の広場に大きめの炉を作った。
大人数が同時に作業をしたいという要望があったので、現代風システムキッチンを真似て火勢を変えることができる複式炉だ。茹でるだけでなく蒸したり燻したりすることも同時にできる煙道付炉穴付きである。川魚を燻製するのに獲得したノウハウを炉になんとか詰め込もうとしたら、のごのねが「じゃあ、ここに穴をあけたらいい。」と煙道をつけるというナイスアイディアでブラッシュアップしてくれたのだ。こういう複数人で新しい機能を実装するのはハッカソンみたいで楽しい。
出来上がったものの使用感を確かめるべく、ののめに実際に繊維を取り出す植物を見せてくれと頼んだのだが、なぜか見せてくれない。強引に見ようとしたところ、ちらりと何かアングラサイトを回っているときに見かけるようなやばい葉っぱがついた長い茎の束が見えた。そうか、麻布の原料と言えば当然といえば当然・・・あれか。
「これが臭木の実! 青い色に染められるんだって! でも、葉っぱはすごいくさいんだよ!!」
なにか得体もしれない悪臭を放つ葉っぱを突き出し、一生懸命ごまかすのでそれ以上は聞かないことにした。氏族の宗教儀式とかが絡んだ秘密だったりしたら、このような皆がいる場所で聞くべきではないのかもしれない。
この村の者は、いろいろな山の植物についてよく知っているし、木材についての知識も豊富だった。浜のものは植物については普段から素材として使うものもの以外詳しくなかったが、食べられる魚や貝については実によく教えてくれた。知識が生死を分かつのであれば、そのご当地でご当地で知識の種類が違うだろうし詳しくなるのも当然か。
船造りを教わるのは月単位で時間がかかるものと考えていたが、聞いたところ適当な倒木から丸木舟を半日もかからずに掘り出してしまった。のごのねがちょうなと呼んでいたクワのように刃をとりつけた石斧で、地面を耕すかのように木を削っていく。
「丸太からの場合は、すぐ刃石がだめになるから刃先だけ整えたやつ使うといい。」
木も削れていくが同じような勢いで石も欠け飛んでいく。
「丸太の時点で人が乗っても水に浮くんだ、粗皮とって乘りやすいように整えるだけで十分だろ!」
ほのがさはどうも言うことが荒っぽいが、その横でのごのねがもくもくと丁寧に仕事をしている。
船が水に浮くのは、水を押しのけた分の体積重量が浮力に変換されるからであるという、理科的な知識のせいで船は現代の船のような形をしていなければならないとステレオタイプに捕らわれていた。だが言われてみればそのとおりで、木の時点で浮くのだから枝や根を落とし丸太にして、あとはその丸太が水の中で回転しないように扁平にして、座りやすいようにくぼみをつけてやるだけで船としては機能するのだ。足なぞは水のなかで構わないのである。
「うん、船というよりはバナナボートだな。」
だがそれで十分なのである。上流から下流に人や獲物を運ぶ程度であれば、時間をかけて船を整形するまでもない。それでも上流から下流へは動け、大きい川でも向こう岸に渡れる。だが動力のついていない船は、下流から上流へは行くことのできない乗り物なのである。渓流の流れは早い。河口部ならともかく、ここらへんでは漕いで上流に向かうのは競技ボート部でさえ至難の技だろう。時間をかけて丁寧なものをつくっても一度川下りにつかった船を担いで持ってあるくわけにもいかない。川岸からロープを引っ張って上流に運ぶことはなくもないそうだが、基本は乗り捨てるよりないのである。ならば適当にすばやく作って用が済んだら捨てていい程度のものをつくるのが合理的だ。
削りだしの丸木舟。彼らのとっておきの磨製石器を使い、何日もかければやがて薄くて軽い船はつくれるかもしれない。だが、苦労して薄くしても節や割れ目があったらそれだけで沈むのだ。下手に薄くせず、丸太のまま船にする。まさに最適解だ。
「これに乗って浜村まで行けばきっと、乗り捨てた船の代わりに塩をもらえるよ。」
だが、こんな船でさえも、浜村のようなところには技術革新に違いない。
「また海魚食えるのか!? 狩りに出てる連中の分、ほんの少ししか残してないから恨まれるんじゃないかと心配だったんだ!」
あれだけ多くもってきた海魚の丸干しは、誰かが「狩りに行ってる連中の分は・・・。」と言い出すまで、毎日のように食されあっという間に残りわずかになってしまったのだ。
「川魚の干物に塩をかけたのを残しておけば十分じゃないか。」と言い出したのをなだめ、少量でも残しておくよう我慢させるのは大変だった。
「海の魚も、布とか、毛皮とかの山でしか手に入らないものを持っていけば交換してくれるだろうよ。あと・・・、そっちの使い捨ての石斧ですら喜ばれるかもしれない。」
こんなのでか、とほのがさは笑っていたが、人が少なく人の往来もないこの時代において、あるところでは当たり前の簡単なものですら、あるところでは望めど得難いものであったりする。山の若者の可能性を信じて交易を勧めておいた。




