獣の気配
不慣れな地で闇から獣が迫る怖さに二人はろくに眠れもせず朝を迎えた。なにやら騒いでいた獣の群れの気配は夜半すぎには遠のいていったのだが、それでも遠からぬ山中からその後も騒ぎ声が聞こえていた。
「わさび! ここはすぐ出よう!!」
夜明けと共に、いつもの習慣で近くにまで朝食をとりにいったののめが青い顔をして駆け戻ってきた。出立するにも朝食ぐらいはせめて食べてからと考えていたのだが、山葵もその考えを今しがた捨てたところであった。
キャンプの時などはテントに熊が入ってこないように、匂いがする食べ物は外におけというのをなにかで読んだのを思い出して、宿泊した建物のすぐ裏の森側、近くの木に登って持ってきた荷物をぶら下げておいたのだ。
その荷物を取りにいこうとしたところ、木の周りには昨晩までなかった獣の足跡がびっしりあったのだ。夜通し警戒していたのに、こんな側まで近寄られていたことに焦りを覚えていた。魚の乾物を入れたバッグは無事だったかが、ゴミ捨て場をほじくり返えされた跡や、不自然に押し分けられたままの草の茂みなど、いたるところに動物が迫ってきた痕跡がある。
ののめはと言うと森に入ったすぐのところで、まだ乾いていない血に濡れる草むらと、昨晩犠牲になったであろう鹿のような動物の抜け散らかした毛を見たのだという。捉えた獲物を引きずったであろう痕跡が森の奥へと続いており、慌ててて逃げ帰ってきたそうだ。もし彼らが、昨晩その獲物を獲ることができていなければ、その哀れな犠牲者は我々だったかもしれない。
荷物を木から手早く下ろすと二人は無言で川の方へ早足であるき出し、そしていつの間にか駆け出していた。ゆぐりさの「大咬が来たら川を渡れ」の警告が短視聴動画のように頭の中でループする。
大きな飛び石があり、ここなら酷くは濡れずに渡れそうなところを探して川を渡る。ほとんど無言で早足で歩く二人の道中は昼近く暖かな食事を取るまで続いた。
「怖かったね・・・。」
沢の石をひっくり返してサワガニを取り出しては黙々と葉に包みながら叩き潰していたののめがしみじみと言う。食材の調達と同時に料理をつくっていく川の幸、沢蟹の香草入り木の葉包み焼きである。暖かな季節の焚き火なぞ、暑いだけだというのに火に向かい温かいものを食べると心の奥底で凍ってしまっていた何かが溶け出すようだ。
ののめの育った地域は、南北を大きな川に囲まれ東を海、西を台地の坂と池に囲まれているので、そもそも大型の草食動物は迷い込んでくることが少ない。そのためそれを追って大型の肉食動物が迷いこんでくることもほとんどないそうだ。改めて、山側に川を渡ったところの怖さを知ったそうである。
二人は落ち着くまで暖かな軽食を取ると、そのままさらにもう一食分の食材を確保しようと魚の漁に入る。昨晩もろくに食べれなかったので、ちょっと本気の漁だ。
山葵も「おりゃぁぁあああ!」などと無意味に叫び勇んで、魚をつくった浅瀬に追い込んでいる。空元気に近い。しかし、そのかいがあったのか、それとも誰も漁をしない川に魚があふれるほど居たからかわからないが、夜食にまで十分なほどのお弁当を持って旅立つことができた。
結び縄の読み方が正しいなら、目的地はここからさらに渓流を2つ渡ったところにある。二人は安全をとり、川沿いにこまめに拠点をつくっては焚き火を多めに炊き漁をしながら進んだ。
「おめえらどこからきなすった?」
昼下がり、川でいつものように魚を獲っていると、焚き火の煙をみたという人が現れた。ようやく人に逢えたのは奥沢の留守村を出てから5日も後の事だった。




