磯の家
シュロはヤシ科の植物である。シュロの繊維は太く固いため、葉っぱは箒やうちわとして加工されたり、幹のまわりに生えるケバケバはたわしの原料となる。昭和以前までは洗い物をするために住宅のそばに一本は必ず植えるぐらいには生活に密着した植物であった。
村の人達はこの硬い繊維を編むことで、水はけもいいサンダルのような履物をいつの間にか発明していた。
靴はいずれ自分が発明する予定だったのに、村の人に作ってもらったサンダルをわけてもらっている有様である。
「それだと濡れると乾かないから、こっちのほうがいいんじゃないか?」って。ありがとうございます。うん、たしかに海に出るのにこんなのが欲しかったんだ。よく知ってたね。すごいね。「鼻緒はここにしたらどうだろう。」って、それぐらいしか言えなかった。
村には皮製のサンダルのようなものを履いている人は少ないながらもいままでも居た。ののめも持っている。なんでも森の奥にある狩猟を得意とした村の技術で、革製品でもあることから、浜の全員がもつまでは出回ってこないのだ。浜辺で履いていても海水に濡れることですぐだめになってしまうので、革サンダルを持っていても森の採集のときとか、池の村に帰るときに履く程度だったそうだ。
波打ち際までみな裸足で出るのが常だった。そのため牡蠣殻などを踏みつけて足の裏をざっくり切ってしまうのを嫌がって磯には行くものがいなかったのだが、美味い貝もカニやタコ、美味い魚も多く居ることはわかっていたので、手軽につくられるサンダルが発明されたことにより磯への大進出が始まった。
木の枝を貝で削って銛にしたり、その先に尖った巻き貝を挿して銛にしたり、それぞれがおのおのの創意工夫を発揮して独自の道具をつくっている。ひとつの発明が玉突き的に次の発明を生み出す連鎖がおきていて文明開花が著しい。なんかお前ら輝いているぜ!
山葵はというと、そんな進歩を横目に元気に石を積んでいた。こんどは腰まで海水に使って大きな石を積み上げている。磯場には引き潮のときに潮溜まりとして残るポイントがあり、取り残された魚たちがまるで落とし物を拾うように簡単に採ることができた。だが、ちゃんと考えて石を積めば、大きな魚まで逃げ損なうもっと大きな潮溜まりの罠が作れるのだ。潮の引きかたによって多段階で、漁ができるようになるはずだ。
木の枝を縄で束ね岩をくくりつけ沈める。魚が産卵したり隠れやすい漁礁をつくっておけば、居残りしやすい環境となる。小さな魚は沖に逃げられるよう水路は残す。こうしておけば捕りすぎて資源が枯渇することもあるまい。SDGs、持続可能な開発目標である。国連が2030年を目標にやろうとしていることを縄文時代で実現しようじゃないか。
「わさびー、そんないっぱい取れるようにしても食べきれないよ?」
一人岩を積んでいると、ののめが割りたての大きな岩牡蠣を持ってきてくれた。海水でちゃちゃっと洗ってそのまま食う。ほんとうに美味い。つくづく美味しい。しょっぱ味、甘さを感じるほどねっとりした旨み、海藻のようなほのかな苦味、すべての味覚が刺激される。柔らかさ、コリコリした硬さ、弾力、サクッとほぐれるような貝柱、あらゆる食感も詰まっている。そこらの岩についた岩牡蠣を石で叩き割って、海水で洗っただけなのに、なんでこんなに美味いんだろう。
「ほんと美味しい。」
「だからって、よくばっちゃだめだよ。食べる分だけにしておかないと腐って、初めて逢ったときみたいにお腹くだすよ。」
嫌なことを思い出させてくれる。牡蠣にアタるのに実は鮮度とかは関係ないらしいが、冷蔵庫もないこの時代、鮮度が悪いものを食べれば確実に食中毒になるのは間違いない。
いつでもどこでも豊富に身近な自然から採集ができるのであれば、そのような考えになるのもやむないことだ。だが、サンダルの発明から磯場への進出が相成ったように、細かな改善は、大いなる進歩につながるはずだ!
「そういうわけで地道に石を積んでいるのだよ。」
「・・・どういうわけだかわからないぞ??」
ののめは今日も呆れ顔である。




