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14.これで、すべて清算できる

 翌朝、ロデリックから話があると言われた。


 場所は昨日使った小応接室ではなく、ロデリックの執務室だった。


 扉を開けると、ロデリックは机の向こうに座っていた。

 昨日とは違い、アグネスはいない。


「座れ」

「はい」


 向かいの椅子へ腰を下ろす。


 ロデリックはすぐには話し始めなかった。

 机の上には、いつものように書類が積まれている。そのうちの一枚へ目を落としてから、ようやく口を開いた。


「お前が集めた証拠を見せろ」

「できません」


 考えるまでもなかった。


「なぜだ」

「あなたに渡して、処分されない保証がありません」

「昨日の話を聞いていなかったのか」

「聞いていました。まだ、考えさせてくれと答えただけでしょう」

「ああ」

「それと、あなたを信用することは別です」


 何を言われても、証拠の保管場所を教えるつもりはなかった。

 ここまで集めた証拠を、ロデリックの心変わりに賭ける気はない。


「証拠は、この屋敷にはありません。あなたが探しても見つかりません」

「……そうか」


 それ以上、追及はされなかった。


「なら、見せなくていい」


 あまりにもあっさり引かれて、今度はこちらがロデリックの意図を探ることになった。


「それで話は終わりですか」

「いや」


 ロデリックは机の引き出しから鍵を取り出すと、立ち上がった。


「ついてこい」


 部屋の奥にある書棚へ向かい、その下の戸棚を開ける。

 取り出した木箱を机まで運び、先ほどの鍵を差し込んだ。


 中には、何冊かの帳面と、束ねられた書類が収められていた。


「これは?」

「私が保管していたものだ」

「何の?」

「お前が探していたものだ」


 手を伸ばしかけて、やめた。


「どうして、こんなものを残してるんですか」

「すべてを記憶だけで管理できると思うか?」


 ロデリックが一冊の帳面を取り出して開く。

 頁には日付と数字、それに短い記号が並んでいた。目で追ってみても、それだけでは何を示しているのか分からない。


「金の流れも、人との取引も、一度で終わるものばかりではない。後から確認する必要があるものは残していた」

「自分がしたことの記録を?」

「記録がなければ続けられない取引もある」


 証拠を残していたのではない。

 不正を続けるために必要だったから、残っているのだ。


「不用心ですね」

「これだけ見つけても意味はない」


 確かに、数字と記号の羅列だけを持ち出したところで、何を示す帳面なのか証明することも難しいだろう。


「あなたにしか分からない?」

「私以外にも一部を知る者はいるが、すべて分かるのは私だけだ」

「だったら、なおさら俺に見せる意味はないでしょう」

「説明をつける」


 ロデリックは開いていた帳面を閉じた。


「全部だ」

「……提出するつもりですか」

「ああ」

「これを?」

「ああ」

「自分から?」

「昨日、アグネスに言われた」


 償ってほしい。

 昨日、アグネスは確かにそう言った。


「娘に言われたからですか」

「そうだ」


 あっさり認めたことのほうが意外だった。

 もっと体裁のいい理由を並べるかと思っていた。


「今になって、自分が間違っていたと気づいたわけじゃないんですね」

「そんなわけがないだろう」


 返ってきた言葉は迷いがなかった。


「自分が何をしていたのかくらい分かっていた」

「なら、どうして」

「自分のためだ」


 ロデリックは淡々と答えた。


「金が必要だったこともある。邪魔な人間を排除したこともある。取引を有利に進めるために金を渡したことも、受け取ったこともある」

「正しいと思ってやっていたわけじゃない」

「ああ」

「それでもやった」

「ああ」


 悪いことだと知らなかったわけではない。

 正しいと信じていたわけでもない。


 分かったうえで、自分の利益のために続けていた。

 そのほうが、よほどロデリックらしいと思った。


「後悔してるんですか」


 すぐには答えが返ってこなかった。


「今さら、後悔していると言ったところで何になる」

「何にもなりませんね」

「ああ」


 その返事にも、言い訳はなかった。


「だが、アグネスに知られた」


 ロデリックの目が、机の上の木箱へ落ちる。


「あの子にだけは知られたくなかった」


 昨日まで、アグネスに何を聞かれても答えようとしなかった。

 罪を認めることより、娘に知られることのほうを恐れていたらしい。


「だから償う?」

「それでは不満か」

「別に」


 立派な理由など求めていない。

 ロデリックが何を思って罪を認めようと、父の無実が明らかになればいい。この男がしてきたことが表に出ればいい。


 そのために、何年もかけてここまで来た。


「この記録は、いつ提出するんですか」

「今日から説明をまとめる。数日はかかるだろう」

「その間に、都合の悪いものだけ抜くこともできますね」

「そう思うなら、お前が見張っていればいい」

「……いいんですか」

「信用しないのだろう」

「しません」

「なら、そうしろ」


 そこまで言われれば、断る理由はなかった。

 少なくとも提出するまでは、俺自身で確認できる。


 ロデリックは帳面を木箱へ戻した。


「アシュフォードのことだが」


 その名が出た途端、意識がそちらへ向いた。


「何ですか」

「昨日、名前を聞いても、すぐには思い出せなかった」

「知っています」

「聞いていたな」

「はい」


 何を言いたいのか分からず、続きを待った。


「私にとっては、昔のことだった」

「そうでしょうね」

「……」

「俺たちにとっては、その後の人生全部でした」


 それだけは、同じにはならない。


「父は職を失った。両親は離縁した。母は俺を連れて家を出た」


 昨日、アグネスには話した。

 けれど、その原因を作った本人に言うのは初めてだった。


「母は毎日働きました。夜遅くまで針仕事をして、身体を壊してからもやめられなかった。薬を十分に買う金もなかった」


 ロデリックから言葉は返ってこない。


「あなたは覚えてもいなかった」

「ああ」


 否定しなかった。


 腹が立たないわけではない。

 けれど、昨日あの男が父の名を思い出せなかったときほどのものは湧いてこなかった。


「父が死んだことも知らなかったでしょう」

「知らなかった」

「母のことも」

「ああ」

「俺がどうなったかも」

「知らなかった」


 全部、予想していた答えだった。

 ロデリックにとっては、父を追い落としたところで終わった話だったのだ。そのあと俺たちがどう生き、どう死んだかなど、知る必要すらなかった。


「……そうですか」


 もう、それ以上聞くことはなかった。


「すまなかった」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 父の無実を認める言葉とは違う。

 これも、いつか聞きたいと思っていたのかもしれない。


 けれど、実際に聞いてみれば、それで何かが変わったようには思えなかった。


「許しませんよ」

「ああ」


 それだけは、考える必要もなかった。


「許してもらおうとは思っていない」


 それでいい。


 謝られたからといって、許す必要はない。

 これからロデリックが罪を償ったとしても、それまでのことがなくなるわけでもない。


 父の人生も、母の人生も、俺の人生も、やり直せるわけではないのだから。


「話はそれだけですか」

「もう一つある」

「何ですか」

「アグネスをどうするつもりだ」


 すぐには答えられなかった。


「昨日、お前はあの子にもう何もしないと言った」

「はい」

「なら、これからどうする」

「……」

「私への復讐のために結婚したのだろう」

「そうです」

「私が罪を認めれば、その理由はなくなる」


 その通りだった。


 ロデリックに近づくために騎士として功績を上げ、爵位を得た。そうしてアグネスに近づき、結婚して、この家へ入った。


 すべて、復讐のためだった。

 その復讐が終われば、俺がアグネスの夫でいる理由もなくなる。


 なら、終わらせるべきだ。


「離縁します」


 口にした途端、胸の奥に重いものが残った。

 それでも、間違っているとは思わなかった。


「そうしろ」


 ロデリックにとっては、迷う余地などないらしい。


「お前がアグネスに何をしたのか、私はまだ聞いていない」

「……」

「あの子が話したくないと言ったから、昨日はそれ以上聞かなかった。だが、何もなかったとは思っていない」

「そうでしょうね」

「父親としては、二度とあの子に近づいてほしくない」


 言い返せることは何もなかった。


 俺はアグネスを利用した。

 何度も殺そうとした。

 つい一昨夜も、アグネスの薬に毒を混ぜ、それを飲ませようとした。


 ロデリックに責められるまでもない。


「分かりました」


 これ以上話すこともない。

 椅子から立ち上がった。


「記録の整理を始めるときは呼んでください」

「ああ」


 扉へ向かう。


「ルーファス」


 背後から呼び止められ、足を止めた。


「アグネスには、自分で話せ」

「そのつもりです」


 それだけ答えて、執務室を出た。


◇


 午後になって、アグネスの部屋を訪ねた。


「ルーファス」


 俺を見ると、アグネスは読んでいた本を閉じた。


「お父様とお話をされたのですか?」

「うん」

「どうでした?」

「ロデリックも記録を持ってた」


 アグネスの手が、本の上で止まる。


「記録?」

「今までの取引とか、金の流れとか。本人にしか分からない書き方みたいだけど」

「それを、どうするのですか?」

「説明をつけて提出するって」


 アグネスはしばらく何も言わなかった。


「そう……ですか」

「数日はかかるみたいだから、俺も一緒に確認する」

「はい」


 そこで、アグネスの表情が少しだけ緩んだ。


「お父様も、それを許してくださったのですね」

「信用してないから見張るって言ったら、好きにしろって」

「お父様らしいです」


 その言い方には、まだ娘として父を知っている響きがあった。


「本当に、償ってくださるのですね」

「少なくとも、記録は提出するつもりみたいだよ」

「……よかった」


 小さな声だった。


 父親が罪を犯していたことを喜んでいるわけではない。

 それでも、知ってしまったことから父親が逃げなかったことには、安堵しているのだろう。


「それから」


 アグネスが顔を上げる。


「ロデリックから、謝られた」

「……お父様が?」

「うん」

「何と?」

「すまなかったって」


 アグネスはすぐには何も言わなかった。


「ルーファスは、何とお答えになったのですか?」

「許さないって言った」

「……はい」


 それだけだった。


 許してほしいとも、父を許してやってほしいとも言わない。

 そのことが、ありがたかった。


「アグネス」

「はい」

「もう一つ、話がある」


 本の頁に添えられていた指が止まった。


「何でしょう」


 ここへ来るまでに、何度も考えた。


 これでいい。

 アグネスのためにも、そうするべきだ。


 俺は復讐のために彼女と結婚した。

 その復讐も、もうすぐ終わる。


 結婚した理由がなくなるのなら、夫婦でいることも終わらせるべきだ。


「俺たち」


 一度、言葉が止まった。


 言わなければならないことは、決めてきたはずなのに。


 アグネスは何も言わず、続きを待っている。


「離縁しよう」


 アグネスは答えなかった。


 ただ、俺を見ていた。


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