page6「愚痴」
「もう一杯!」
里奈はグラスを叩きつけるように置き、目の前に座る茂と愛流を睨みつけた。
喫茶「私生活」の二階にある居住スペース。本来家族団らんの場であるはずのリビングは、里奈の愚痴会場と化していた。
「姉貴、次で四杯目だぞ。何、ビール腹になりたいの?」
愛流が茶碗を持ちながらいつもの調子で煽ってくる。普段なら軽く文句を言う程度で済ませるのだが、今日の里奈はそうはいかない。
「あんたもあのクソ野郎に振り回されればわかるわよ! あの倫理観が欠如した、暴力男」
「まぁまぁ、警察も人間だし、色んなタイプがいるよ」
茂が苦笑しながらなだめに来る。その柔和な態度が、里奈の神経を逆なでした。
「そもそも、原因は父さんだからね!」
「えっ、僕?」
まさか自分が怒鳴られるとは思っていなかったらしい。茂が珍しくうろたえた。しかし里奈は言葉のマシンガンを緩めるつもりはない。
「そうよ! 天馬茂の娘だからって、何でいきなり襲われなきゃいけないの? というか、父さんが自分の名を売らなければこんな肩身の狭い思いをしないで済んだのよ!」
「いやぁ、そんなつもりは一切なかったんだけど――」
茂が頬を掻き、困ったと言わんばかりの表情を見せた。
「ただ手あたり次第に業務をこなしていっただけだし、全部が全部上手くいったわけでも――」
「その謙遜が逆に腹立たしい! 後、私は陽子ちゃんのことを、まだ許してないから!」
里奈は愛流が持ってきた四本目のビールを奪うように手に取ると、プルタブを開けて中のものを一気に飲み干した。爽快感などあったものではないが、今はそんなことはどうでもいい。
八つ当たりだというのは重々承知だ。二人に九十九の愚痴を言ってもどうにもならないし、陽子のことにしても今さら蒸し返すようなものだ。しかしそれが里奈の本心であることに変わりはない。
義弟の愛流は、ヘラヘラしつつも周囲の人間に対して心の壁を造っていた。それを取り除きたいという茂の気持ちは理解できる。
しかしそのために一般人を、それも自分の店にアルバイトに来てくれた女の子を強引に巻き込んで利用していることには、どうしても納得できない。
結果として陽子が茂の企みを知った上で了承し、里奈は渋々ながらも黙っていることにした。
陽子のことは好きだ。彼女の意見は尊重したいし、何度も会ううちに、どんなことにも誠実に向き合う素直な性格なのだとも感じた。それが愛流にも多少ながら影響を与えたことは、四か月前の事件を振り返っても理解はできる。
だが、陽子が探偵助手を続けることで、命の危険に関わる可能性が高まることには変わりがない。できれば彼女が傷つく姿は、里奈としても見たくなかった。
その不満が、酔った勢いで口から出てしまった。これにはさすがの茂も思うところがあるらしく、顔を下に向ける。そんな顔をされると、里奈の方が悪者になった気がして罪悪感が湧いてきてしまう。
しかし――
「つうか親父、その九十九正義って兄ちゃんに心当たりはねぇの? 例えば親父の元部下だったとか、何かの事件で一緒に協力したとか」
愛流が食器を流しに持って行きながら茂に訊ねた。茂は我に返ったように顔を上げる。
「いや、そういうので知っているなら、さすがに思い出せると思うけど――」
「人間の記憶なんて、あてにならないもんだぜ? 一回見に行けばいいじゃん。あの安田のおっちゃんなら、それぐらいのわがままは許してくれるだろ」
食器を洗いながら愛流は言った。
先ほどから背中を見せてばかりで、こちらを振り返ろうとはしない。それでも、里奈は愛流の心情を、何となく察することができた。
「つうかあんた、陽子ちゃんには会わないわけ?」
この言葉によって、さすがの愛流も動揺したのがわかった。流しに食器が落ちるけたたましい音がする。愛流は「手が滑った」などとぼやいたが、愛流にとって触れられたくないところだったのは十分にわかる。
「まさかあんたにも、会いたくない女の子がいたなんてね」
「別に、そういうんじゃ――」
「じゃあ昼間、どうして陽子ちゃんが来たときに隠れたの? 全部父さんから聞いているんだからね」
洗い物を終えた愛流が、ジト目で茂を睨みつける。茂は年甲斐もなく舌を出してごまかそうとしたが、すぐに無駄だと悟ったらしい。「洗濯物を取り込んでこようかな」と言ってベランダへと向かって行った。
「ねぇ、愛流――」
「寝るわ。長旅で疲れたし」
言うが早いか、愛流は足早にリビングを出て行ってしまった。里奈は空いた缶を握りつぶしながら、ため息を吐くしかない。先ほどまでの怒りは、いつの間にか消えていた。
今の愛流は、拗ねた子供そのものだ。陽子という、自分に何らかの影響を与えてくれる存在に、戸惑っているのかもしれない。少なくとも茂が危惧したような、陽子に会わないことを何とも思っていない、ということはなさそうだ。
ただ、これについては里奈自身、正しいかどうかわからなかった。
陽子が愛流の助手を続け、危険な目に合って欲しくないという気持ちに、嘘はない。しかしそのことと、愛流と陽子がこのまま会わないことは、同じようで別の問題に思えた。
――難儀なものねぇ。
里奈は腕を組みながら天井を見上げる。その時、外からけたたましい音が聞こえてきた。
どうやら予報のゲリラ豪雨が到来したらしい。
(続)




