page44「仲間として」
「過ちを忘れないために、傷を刻み付ける――」
九十九の報告を聞き終え、里奈は愕然とした。それ以上の言葉が出てこず、ベッドのシーツを掴むことしかできない。
さきほど市内にある病院の病室で天井を眺めていると、配慮の欠片もなく九十九が荒々しくドアを開けて入ってきた。片手には署の刑事達からのお見舞いということで果物数種類を入れたビニール袋を掲げており、いかにも押し付けられた感を出していて苛立ちを露わにしている。
――そのうち血管が破裂して失血死するんじゃない?
喉まで出かかった言葉を、何とか里奈は飲み込んだ。今下手に喧嘩を売っても、負ける未来しか見えない。何より九十九がケガ人相手に加減などするはずがないのだ。
これ以上入院期間を長引かせるのはごめんだった。
九十九は安田に事件のその後について里奈にも話すよう命じられて来たらしい。それもあって九十九はさらに苛立っているのだろう。
もっとも、九十九がどのような機嫌であろうと、もはや里奈の知ったことではない。誰に対してもこういう態度ならば、九十九自身の問題だ。
そうやって心の中では軽口を叩いていたが、いざその報告を聞くと、里奈の心は一瞬にして重くなった。
ベッドの側にあるパイプ椅子に座る九十九は、怪訝な表情を浮かべていた。
「課長もあんたと同じような顔をしていたな。いかれた人間の言葉に、そこまで驚くことか?」
里奈はチラリと九十九に目をやった。そしてため息を吐き、黙り込む。
安田も愛流の過去を知っていたはずだ。やはり彼もこの事実を知り、何らかの繋がりを感じたのだろう。
果たしてこれは偶然なのか。偶々昔の愛流の行動と正通道の教えが一致していただけなのか、それとも愛流と正通道には何らかの関係があるのか。
愛流は里奈達に会う前の記憶がないと言っていたが、これはいつか、聞き出す必要が出てくるのかもしれない。
黒子は逮捕されたはずなのに、この事件はまだ終わりを迎えそうに見えない。そんな暗い予感がしてならなかった。
「まぁ、いい。俺は仕事を終えたから、帰るぞ」
そう言って九十九は席から立ち上がった。病室のドアノブに手を触れようとする瞬間、反射的に里奈は呼び止める。
九十九にもまた、話しておかなければならないことがあるのだ。
「私、九十九さんの過去を聞きました。トリオを組んでいた同期の方々のこと」
「宗方か。あいつ、余計なことを」
大きく舌打ちをした後に九十九が呟いた。本当にただ苛立っているだけなのか、それとも照れ隠しも含まれているのか、里奈には判断が難しい。おそらく前者だろう。
いずれにしても、里奈は一言言っておかなければならなかった。
「九十九さんが他人を信用できなくなった経緯も、連携を取りたくない理由も理解できました。その上で言わせてもらいますが、あまり勝手な行動はしないでください」
「うるさい。お前に指図をされる覚えはない」
苛立ちを露わにし、九十九が言った。もうこの態度に慣れてしまった里奈は、この程度では怯まない。
「どんなに相性が最悪でも、私達は仲間で、コンビなんです。多少の暴走は何を言っても無駄だと諦めますが、一般人に対して暴力を振るったり、この前みたいに逃げる犯人に銃を向けたりするような真似は辞めてください」
「知るか。犯罪者の逮捕を第一に考えるのが、俺達警察だろ」
「違います。少しでも市民の安全を優先するのが私達警察官です。犯人逮捕は、それに繋がる手段の一つに過ぎません」
数メートルの距離で、九十九と里奈は睨みあう。沈黙の中、病室の外から流れるアナウンスだけが鼓膜を揺らした。
里奈は決して九十九の顔から目を逸らさなかった。もし逸らしてしまえば、自分は九十九に今後も負け続けることとなる。そんな思いがしてならなかった。
一体何分の間、お互いに黙って睨み続けていただろう。
先に視線を逸らしたのは、九十九の方だった。
舌打ちを鳴らし、荒々しくドアを開ける。そのままドアを閉めることもせず、足音を大きくして歩き去って行った。
スライド式のドアが、自動的に閉まっていく。その様を眺めながら、里奈は大きく息を吸った。今まで無意識の内に息を止めていたのではないかと疑いたくなるほど、息苦しかった。
ようやく、九十九に勝てた気がした。向こうはそう思っていないかもしれない。しかし、例え自己満足だとしても、そう思えるやり取りだった。それだけで里奈は十分だ。
――まずは、仲間としての第一歩って所なのかな。
窓から差し込む日差しを見つめ、里奈はベッドに横になった。数週間ぶりに、グッスリと眠れるような気がした。
(続)




