last page「教蓮天斗」
下からバイクの振動が感じ取れる。そよ風が陽子の肌に触れ、丁度良い涼しさを与えてくれていた。
目の前で運転する愛流は、ただ無言でバイクを走らせ続けている。時々下を向く素振りを見せているが、それはホルダーに設置したスマートフォンを確認するためだろう。
陽子達は今、舞優が眠る墓地へと向かっていた。
刑事課長の安田からの報告を聞き終えた後、愛流は陽子を連れ出し、ツーリングに行くことを急きょ提案したのだ。
最初は安田から金の請求を逃れるために提案したのだと思った。実際、どこに行くか陽子に訊いてきたぐらいなのだから正直陽子は呆れた。
しかし時間が経つにつれ、どうやらそれだけではないらしいと思えるようになった。
いつもの愛流なら、こうしてバイクに乗っている時は色々と話しかけてくる。しかし今日は無口だ。その背中からは何かを考え込んでいるような雰囲気も感じられる。
おそらく、正通道のことを考えているのだろう。
過ちに対して、傷をつけることで繰り返させない――それは陽子が訊く、かつての愛流の振る舞いと一致していた。
ただ傷をつけるだけならば、まだ偶然として片づけられる。しかしその理由まで一致しているとなると、妙な胸騒ぎを覚えた。
愛流と正通道には、何らかの関係があるのではないか。そう思わずにはいられない。
愛流自身、正通道に対して何か思うことがあるのだろう。だからこそ、外に出て、気を紛らわせたいと思ったのかもしれない。
しかし具体的に何を思っているのかまでは陽子にもわからない。だからとりあえず、陽子は自分が行きたいと思っていた舞優の墓参りを提案し、現在バイクを走らせている。
陽子は後ろのリアボックスに目をやった。先ほど、墓参りに必要なものや花を買ったのだ。ただその花がリアボックスに入るギリギリのサイズであったため、揺れることで潰れはしないかと、不意に心配になった。
などと考えていると、バイクは見慣れない住宅街の中に入って行った。それから少しして、左手に墓地が見えてくる。
舞優が眠っている場所だ。
墓地の入り口付近にバイクを停め、愛流はリアボックスを開けた。嬉しいことに花は無事だった。陽子は心の中で安堵のため息を吐く。
近くにあるバケツに水を張り、墓地を一つ一つ確認していく。そしてついに「加藤家先祖代々之墓」と彫られた墓石を見つけることができた。
舞優の墓地は以前から知ってはいた。葬儀の時、加藤夫妻の好意から、この墓地の住所が書かれたメモを渡されていたのだ。住所自体は今でも覚えているのだが、そのメモはずっと机の引き出しの奥で眠っていた。いや、来ること自体を避けていた。
恐かったのだ。舞優の墓前に立つのが。自分の中で、親友の死を受け止めきれていなかったから。しかし今回の事件を機に、いつまでも逃げていてはいけないと思い、一歩踏み出す意味も込めてこうしてやって来た。
舞優の墓は綺麗に整えられていた。枯れた花こそ添えられたままだが雑草は一切生えておらず、泥などが付いている様子もない。
加藤夫妻だろうか。そう思ったが、何だか陽子には違うような気がした。
もちろん彼らも娘の死を悲しみ、頻繁に墓参りに来ていたことだろう。しかしもう一人、ここに来る可能性のある人間がいる。
黒子だ。誰よりも舞優のことを愛し、それ故に復讐へと走ってしまった男。
彼ならば毎日のようにここへ来ていたとしても、不思議ではなかった。逮捕される、その日まで。
陽子は墓に水をかけながら、改めて黒子のことを考えた。もし自分が黒子と同じように、舞優が虐められていた証拠を見せられていたら、果たしてどうしていだだろうか。黒子のように、復讐を決意していただろうか。
いくら考えても、陽子には答えを出すことができなかった。
そうかもしれないし、それ以外の道を模索していたかもしれない。
結局タラレバの話をしても、キリがないのは分かっている。それでも思わずにはいられない。
もしも、黒子も復讐以外の道を見つけることができていればと――
「陽子ちゃん?」
愛流の言葉によって、ようやく陽子は我に返った。墓石の前で呆然と立ち尽くしていたらしい。そのことに気付き、陽子は少し恥ずかしくなる。
「ごめんなさい。ちょっとボーッとしちゃって」
そう言って慌てて陽子はバケツと桶を片付けに行った。花瓶に水を入れ、さきほど買った花を挿す。
線香に火を点けて蝋燭立てに差し込み、数珠を手に取った。そして合掌し、目をつぶる。
――私、ちょっとずつでも前に進んでいこうと思う。だから、見守っていてね。
そう陽子は心の中で舞優に語りかけた。
今回の事件は、まさに目まぐるしいものだった。黒子が逮捕されたことで区切りを迎えることはできたが、だからといって失われたものが戻ってくる訳ではない。
先日、矢尾の葬儀に参列した。そこで目にしたのは、喪主という立場を忘れてその場で泣き崩れる両親の姿だった。我が子が亡くなり、それどころではなかったのだ。その場にいる誰も、矢尾の両親を責めたり奇異の目を向けたりする者はいなかった。
葵もまた、大学に休学届を出したと聞いている。かつての担任教師に殺されかけたのだ。その傷はあまりにも大きく、体調を崩してしまったとしても、無理はない。心の傷が一体どれほど大きいのか。陽子には図り知ることができなかった。
かく言う陽子も、決して後遺症がない訳ではなかった。黒子が逮捕された後、何日も眠れない日が続いた。夢の中で黒子に殺されたことなど、一度や二度ではない。現在は心療内科に通い、睡眠薬を飲んで何とか夜を過ごしている状態だ。
当然、両親からもかなり心配された。葵と同じように大学やバイトをしばらくの間休むことも提案されたが、陽子はやんわりと断った。
今は家でジッとしているよりも、外に出て体を動かしている方が、いくぶん気を紛らわせることが出来た。
このように陽子の周辺は静かに、しかし大きく変化してしまった。精神病どころか、よく正気を失わなかったものだと、自分でも思う。もし陽子が一人きりであったのならば、実際にそうなっていただろう。
しかし陽子には家族が、仲間が、そして愛流がいる。
あの火で覆われる小屋の中にいても、心の中で愛流が常に寄り添ってくれていた。もし愛流ならこの状況をどう打開するだろうと、考えることができた。
陽子の中で、愛流という存在はかなり大きくなっているのだと実感した。だからこそ自分が歯痒く、大きな不安を抱かざるを得ない。
「あの、愛流さん」
合掌を終えた陽子は立ち上がり、愛流に向き合った。愛流はキョトンとした顔で首を傾げている。
「今回の事件では、本当にすみませんでした。私、足を引っ張ってばっかりで」
陽子は深く頭を下げた。あの事件以降、愛流とちゃんと話すことができていなかったのだ。この機会に、キッチリと謝罪しなければならない。
入院中も、面会謝絶という訳ではなかった。それでも救急車で運ばれる直前、陽子が頼んだのだ。お見舞いには来ない方が良いと。
探偵の助手を務めていることは両親に一切話していない。もしも話せば猛反対し、強引にでも辞めさせようとしただろう。ましてやその探偵は、見た目が派手な若い男なのだ。特に父親がそのことを知れば、愛流の首に掴みかかってしまいかねない。
だからもしお見舞いに来た時に双方が鉢合わせになるようなことがあれば、かなりまずい状態となる。だからこそ、愛流とは入院中、下手に会わない方が良いと感じたのだ。
その事情を、陽子は話した。その時愛流はやや不満そうな顔をしながらも「わかった」と了承してくれた。
だからこうして話すのは、実に十日ぶりのことなのだ。そしてようやく、自分の失態を謝ることができた。
「いや、謝るべきなのは、俺の方だ」
そう言われて、陽子は顔を上げた。愛流は気まずそうに目を逸らしている。心なしか、頬も少し赤くなっているように見えた。
「俺が下手に隠し事をしたせいで、逆に君を危険に晒すこととなってしまった。だから、ごめん」
愛流が頭を下げた。ピンク色の髪がかすかに揺れる。よく見ると根本が黒くなりつつあった。
入院中、里奈と話す機会があった。その時に愛流が陽子のことを気遣って黒子が真犯人であるということを隠していたという事実を聞いた。
もちろん、どうして教えてくれなかったのだという不満はある。しかしそれが愛流なりの優しさであることも理解できたので、怒る気など毛頭なかった。
「いや、顔を上げてください。謝るべきは私ですし」
「後、君は自分のことを足手まといと言ったけど、そんなことは一切ない。ちゃんと、助けてもらったよ」
愛流はそう言って顔を上げた。かと思うと、すぐにそっぽを向く。
陽子はポカンと呆けて口を開けるしかなかった。
愛流が言う「助け」と言うものに、全くもって心当たりがなかった。
「いや、私、何にもできていなかったような気がするんですけど」
「そんなことないって。ほら、あれ――」
そこまで言って愛流は言葉を留める。愛流は照れ臭そうに鼻の頭を掻き、恥ずかしそうにモジモジとしている。
一体どうしたのか。陽子は首を傾げ、愛流を見つめ続けた。やや躊躇った様子を見せた後、愛流は「あれだよ」と声のトーンを外して言葉を続ける。
「俺がぶち切れて、黒子を殺しそうになった時、陽子ちゃん、必死になって止めてくれただろう。だから、その、ありがとう」
そこまで言われて、陽子は「あぁ」と声を漏らした。
「いえ、あれは反射的に動いていたというか後先を全然考えられていなかったというか――」
「そういうの関係なくさ、礼を言いたいんだよ。たぶんあの時、陽子ちゃんがいてくれなかったから、俺はやばいことになっていた。だから、すごく助けになってくれている。足手まといなんて、もう二度と言わないでよね。俺の助手なんだし」
最後の方は、虫が鳴いているかのような小さな声だった。それでも聞き取ることはできる。
聞き取ることができたからこそ、陽子は一瞬その言葉の意味を考え、心臓の鼓動が早くなった。
「愛流さん。それって――」
「あぁ、もう! 何度も同じことを言わせるなよな! 俺の助手を任せられるのは、君しかいないって言ってんの! あっ、もちろん彼女としてでも良いよ」
「今の言葉で一気に台無しです。セクハラで訴えられたいんですか?」
陽子は静かに愛流を睨みつけた。しかし次の瞬間にはついおかしくなって吹き出してしまう。
愛流はいつもこれだ。素直に言えばいいのに、余計な一言を付け足して自分の気持ちを誤魔化そうとする。今後コンビを組む上では、この態度にも慣れて行かなければならない。
それが大変そうだと憂鬱にも感じるし、同時に楽しみだという気持ちも確かにある。自分でも不思議でしょうがない。
先ほどまで沈んでいた陽子の気持ちは、一瞬にして明るくなった。しかしすぐにあることに気付き、また心に影が差す。
「でも愛流さん、またすぐに旅に出ちゃうんですよね」
「あぁ、そのことなんだけどさ。しばらくは実家にいることになった」
「えっ、本当ですか!」
驚きの余り、陽子は一歩踏み出した。その勢いに負けたのか、愛流はたじろぐ様子を見せた後「お、おう」と返事をする。
「いやまぁ、さすがに旅の資金が尽きたからね。安田のおっさんから依頼料をぶん取っても十分な額じゃないし、しばらくは親父の店と探偵業、この二つで稼ごうかなって」
そう言われて、陽子は愛流が旅の資金を稼ぐために茂の店を手伝うことがあるという話を思い出した。それと同時に、さらに心が弾む。
これからは探偵業だけでなく、喫茶「私生活」のスタッフとしても、愛流と共に働けるのだ。それが今からすごく待ち遠しい。
「何ニヤついているの、陽子ちゃん。ちょっと恐いよ」
愛流が嫌そうに顔を歪めて言った。その指摘を受けて、恥ずかしいと思うと同時に、もっと言い方はないのかと不満の一つでも言いたくなる。
「愛流さんは、余計な一言を言わず女性を褒める練習をした方が良いと思いますよ」
そう言いながら陽子は手に持ち続けていた数珠をポケットに入れ、歩き出した。その隣から、愛流が「必要ない」と反論してくる。
「俺は女性を褒めることを第一に考えている。陽子ちゃんに関しては、褒めるべきところは褒めつくしたから、いじることに徹しようと思っただけだよ」
「あら、そうでしたっけ。いつも余計な一言を付け足すから、全然そんな感じはしませんでした」
「注意力は探偵に必要なものだよ、陽子ちゃん。これからはそこらへん、ビシバシ鍛えていくから、覚悟しておいてよ。あぁ、もちろん昼間だけでなく、夜のレッスンでも――」
「最低。スケベ。クズ男。それ以上余計なことは言わないでください」
「言い過ぎじゃないかな」
などと不毛な言い争いをしていると、陽子の肩に軽い衝撃が走った。ややよろけながらも、陽子はそちらに目をやる。
陽子の隣に、長身の男が立っていた。
サングラスをかけているので、明確な年齢は判別しづらい。しかし皺やシミは見受けられず、肌の白さも相まって、三十歳前後の可能性がある。茶色く染めた髪を七三にセットしており、真夏であるにも関わらずジャケットを含めた黒のスーツを着こなしている。ビジネスバッグを手に持つその姿はドラマに出てくるやり手のビジネスマンを連想させた。
どうやら話に夢中になり過ぎて、この男と肩をぶつけてしまったようだ。
「ごめんなさい。私、ちゃんと前を見てなくて――」
「いえ、私の方こそ申し訳ございません。考え事をしながら歩いておりました。それよりも、肩を痛めたりしていませんか?」
男はややハスキーな声で逆に陽子のことを心配してきた。その態度は落ち着き払っており、紳士といった調子だ。
「えぇ。私は大丈夫です」
「なら良かった。失礼ですが、墓参りの帰りですか?」
「はい」
「もしよろしければ、数珠を貸していただけないでしょうか? 実は忘れてしまいまして」
そういうことならと、陽子は先ほどポケットに入れた数珠を取りだそうとする。しかし愛流がその手を掴んで陽子の行いを制した。
ビックリして陽子は顔を上げる。愛流は鋭い目つきで、男のことを睨んでいた。
「あんた、本当にここに墓参りを来ただけなのか?」
「ええ。もちろんです」
男は愛流の凄みに対しても、一切動じた様子はない。口元に薄い笑みを浮かべたまま頷く。
「それ以外に墓地に来る理由がありますか? それとも、私が数珠を忘れてしまったことが、それほどまでにあり得ないことなのでしょうか?」
「別にそこはいいさ。ふとした思い付きで墓参りに行くってこともあるだろう。俺らもそうだ。だけど、だったら途中で数珠や線香を買わないか? 少なくとも、見ず知らずの人間に貸すよう求めるよりは、ずっと理解できる」
愛流の言葉に、しかし男は反論する様子を見せない。ただ一言「なるほど」と何度か頷いて見せるだけだ。
「つまりあなたはこう思っている訳ですね。私のことは信用ができないと」
「早い話がそういうこと。胡散臭すぎるんだよ」
愛流の言葉をどう思ったのか、男は黙って何度も頷く。やがて両手を叩き、顔を上げた。
「ならば仕方ないですね。作法には反しますが、今回は数珠なしでいきましょう」
そう言って男は陽子達の側を通り過ぎて行った。陽子と愛流は黙ってその後ろ姿を目で追う。
やがて男が一つの墓石の前で立ち止まり、しゃがみ込んだ。陽子は息が詰まりそうになる。
男が止まったのは、舞優の墓の前だった。
「ここには、わたしの友人の娘が眠っているんですよ。直接会ったことはありませんが、大変哀しいことです」
誰かに語りかけるように、男は喋った。いや、実際に陽子と愛流に対して話しているのだろう。しかし陽子にはその意図がわかりかねた。
なぜ初対面の自分達に、そのような話をするのか。
「その友人って言うのは、加藤夫妻のことか? それとも、黒子のことか?」
愛流が強張った表情で訊ねた。額から流れる汗は、おそらく暑さのせいだけではない。
男は何も言わずに合掌する。そして数秒で立ち上がり、意味深な笑みを口元に浮かべてこちらを見つめてきた。
「両方ですよ。もしかしたら、これを見たらその意味もわかるかもしれませんね」
そう言って男はビジネスバッグのファスナーを開け、中から何かを取りだした。
現れたのは、鹿の頭だった。
その異様さに陽子は思わず「ひっ」と悲鳴を上げた。しかし改めて見て、冷静さを取り戻す。
それは鹿の顔ではなく、そっくりに造られたマスクだった。そのことに気付くと同時に、あることを思い出す。
正通道の教祖も、信者の前では鹿のマスクを付けているという話だったはずだ。
「おそらく黒子さんからこのマスクのことを聞いているでしょう。復讐が成し遂げられない以上、彼がこのことを隠す必要性もありませんもんね」
そう言いながら男はサングラスの上から鹿のマスクを付けて見せた。たちまち謎の男は異様な鹿人間となってしまう。何も事情を知らない人間が見れば滑稽に見えるかもしれないが、陽子は恐怖でその場を動くことができなかった。そして愛流が、庇うように陽子の前に立つ。
「まさかあんたが、その教祖様だったとはな。教蓮天斗、つったか?」
「えぇ。初めましてですね。天馬愛流さんに、伊勢陽子さん。特に伊勢さん、この度の事件では、大変な目に合いましたね。先生だけでなく、同級生や親友の両親が亡くなって。お悔やみを申し上げます」
鹿人間こと教蓮は両手を掲げ、物静かに語りかけた。マスクを付けているというのに、それを感じさせない、よく通る声だ。だからこそ陽子の恐怖心はさらに増し、背筋が震えた。
こちらの名前を、教蓮は把握している。陽子と事件の被害者、加害者との人間関係まで。それは黒子にさらわれた時以上の生々しい恐怖を、陽子の心にもたらした。
しかしそれとは別に、陽子には気になることがある。
「あの、どうして舞優のご両親のことを?」
「悪い、また言うのをためらった。たぶん舞優ちゃんの両親は、正通道の信者だ」
突然の愛流の発言に、陽子は息を呑みこんだ。対して鹿人間は、取り乱した様子を見せない。
「なぜそう思ったのですか?」
「あんたらは、舞優ちゃんと黒子の人生をぶち壊した。なら舞優ちゃんの両親を巻き込まないはずはないだろう。大方、何か使い道があると思って、自分達の団体に引き込んだんじゃないか? そして今回の事件に利用した」
「利用ってーー」
「舞優ちゃんの両親を、あんたらが殺したんだろ」
墓地に時が止まったのかと疑いたくなるような静寂が流れた。陽子は息が詰まりそうになる。教蓮は何か答える様子はない
「あんたらに合わせた言い方に変えようか? 舞優ちゃんの虐めに気付けなかった自分達の罰を、あんたらは与えた。過ちを犯したなら、傷を付けて忘れさせないって言うのが教えなんだしな。ただ、今回は傷を付けて終わりにさせる訳にはいかなかった」
「まさか」
「舞優ちゃんへの罰としてお互いに刺すよう、誘導したんだ。それを黒子に見つけさせ、そしてその死体の使い道を助言した。一時的な偽装工作に利用しようとしたがーー」
「見事にあなたが見抜いてしまった」
愛流の言葉を、教蓮が引き継いだ。言葉には見抜かれたことへの動揺は一切感じられない。それに反し、陽子の心はざわついた。
「いやぁ、まさにその通りです。彼らはずっと、娘さんを死なせてしまったことに、罪悪感を抱いていましたからね。それでどうしたら救えるかと考えている時に、黒子さんが動き出した。ならばこのまま、彼らには役立ってもらった方が良いと思いましてね」
「人をーー」
気付けば陽子は、口を開いていた。喉からは本当に自分の声なのかと疑いたくなるような、憎しみと怒りが込められている。
「人の命を、一体なんだと思っているんですか?」
「もちろん、尊いものです。だから彼らに敬意を評し、こうしてやって来たのです」
そう言って教蓮は墓石を眺めた。鹿のマスク越しではあるのだが、本当に加藤夫妻をーーこの事件で死んだ人々の死を、憂いているように見える。
だからこそ、陽子は恐ろしかった。憎しみと怒り、悲しみ。そういったものが、一瞬で自分の中から消え去ってしまうほどに。
この男には何を言っても通じない。そう感じざるを得なかった。
「それはそれとして、愛流さん。あなたには大変興味がある。あなたのお姉様、お父様の情報は把握できたのに、あなたの経歴だけが一切不明だ。正確には、天馬家の養子になる以前のことが、ですが」
「ストーカーかよ。女の子ならまだしも、男に追っかけられても何も嬉しくねぇ。そもそも、それで脅したつもりか?」
愛流はドスの利いた声で言い返した。それでも教蓮は一切動じない。笑い声を上げながら手を振って見せる。
「失礼しました。あなた達を手に掛けようなどと考えている訳ではありません。ただ黒子さんが起こした事件で色々と動くあなた方のことが気になり、興味を覚えただけですよ」
「どこからだ?」
さらに声を低くして、愛流が訊ねた。質問の意図がわからなかったらしく、男は「何がです?」と首を傾げる。
「あんたは黒子のサポートは必要最低限に留めていた。その癖、俺達のことは把握している。だったら、どこかで俺達を見ていたはずだろう。一体いつ、どこで俺達を見たんだって訊いているんだ」
最後の方は声音が荒くなっていた。教蓮は何度も頷きながら、マスクをずらして薄い笑みを見せてくる。
「最初は、黒子さんの家でです。今後のことについて話している時にあなた方が来たので、咄嗟に私は隣の部屋に隠れて様子を眺めていました」
またしても陽子の背筋に、強い寒気が走った。胃が一瞬で荒れたような気分になる。
黒子の家を訪れたあの時、この男もいたのだ。それも隣の部屋という、すぐ側で。その事が何よりも恐ろしく、陽子の身体を震え上がらせた。
「いやぁ、端から見ていて大変面白かったですよ。特に愛流さん。あなたはあの時、口数こそ少なかったですが、だからこそ黒子さんの言葉一つ一つを聞き漏らさず、想像力を発揮して、その裏を読み解いた。そして実際に彼を怪しみ、自力で事実を導き出した。しかも、それだけじゃない!」
教蓮の声がかなり大きくなった。拳を強く握り、目を輝かせているのがサングラス越しでも伝わってくる。
「黒子さんが捕まる瞬間も、私は見ていました。何があったかは知りませんがあなたは冷徹に黒子さんを痛めつけ、殺す直前までいった。そこのお嬢さんが割って入ったのでかないませんでしたが、私はあの姿を見て喜びを感じました。あぁ、法律や倫理観に囚われないその姿こそ、あなたなのだと。なんて爽快で、美しいのだろうと。いやぁ、本当に。素晴らしいの一言に尽きますね」
そう言って教蓮は拍手をする。興奮が静まる様子はなく、口が裂けるのではないかと疑いたくなるほどの笑みを浮かべている姿を想像できた。
感情が抑えきれていないのだと、陽子は直感的に悟った。
理由はわからないが、教蓮は愛流に対して、並々ならぬ興味を持っている。それ故の興奮が、先ほどまで冷静だった彼を変えていっている。
「買い被り過ぎだ。冷静に考えれば、誰だって気付く」
「そうでしょうか? 警察が一度は解決済と断定した事件を掘り起こすような真似をするとは思えませんが。仮に気付いたとしても、黒子さんの生徒全員、あるいは黒子さん自身のいずれかが亡くなっていたことでしょう」
「察しが悪いな。あんたに付き纏われたくないから謙虚に言っているんだよ。それぐらい気付け、バカ」
苛立ちを隠さずに愛流は髪を掻き回した。男は顎を擦ると、何に納得をしたのか途端に冷静さを取り戻して頷いて見せる。
「どうやらフラれてしまったようですね。残念。あなたとは色々と話をしたいのに」
「俺にそんなつもりはねぇ。何なら今から警察を呼んでも良いんだぞ」
「ふむ。それは厄介ですね。では、仕方ありません。今回はここまでと致しましょうか」
そう言って教蓮は鹿のマスクを取り、カバンに直した。かなり冷静さを取り戻せたらしく、最初に会った頃の紳士的な態度に戻っている。
だからこそ、陽子は恐かった。得体の知れなさから、本当に同じ人間なのかと疑いたくなる。しかし陽子が恐れる理由は、もう一つあった。
この男は、どことなく愛流に似ているのだ。
見た目も、口調も、明らかに二人は違うはずだ。しかし雰囲気と言うのだろうか。そう言った目には見えないものがこの二人には共通しているように思える。だからこそ恐いのだ。
まるで愛流と教蓮が同類であると、自分の心が認めてしまっているように思えて。
「それでは、またいつか」
そう言って教蓮は歩き出した。愛流と陽子は何も言わず、追うこともせず、ただ背中を見つめ続けていた。
風が、拭いた。熱を身体にまとわりつかせるような、嫌な風。
それは密かに、教蓮とまた再会することを伝えているように陽子には思えてならなかった。
(了)




