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愛流録2――過去からの種――  作者: 夢見歩人


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page42「心の内」

 ――本当に良かった。

 陽子は再び安堵のため息を吐いた。強張っていた身体から力が抜け、ようやく安心感を覚える。

 愛流は陽子のことを、強く抱きしめている。痛みを感じるぐらいに。しかしそれを不快には思わない。むしろ心地よさすら覚えていた。

 先ほどは、本当に怖かった。愛流が黒子を石で殴ろうとしている姿を目撃し、気付けば飛びついて止めていた。

 黒子が死んでしまうと思ったのも理由の一つだ。しかしその他にも、愛流自身が失われてしまいそうで怖かった。

 あの時の愛流はいつもとは違う、別の何かに変わってしまったかのように思えてならなかった。もう戻ってこられない所に行ってしまうのではないかと、恐怖した。

 しかし愛流は今、ここにいる。正気を取り戻し、陽子に涙を見せてくれている。

 それが今の陽子には、何よりも嬉しくて仕方がなかった。

 そう思っていると側で唸り声がし、陽子はそちらに目をやった。黒子が仰向けに倒れたまま、ゆっくりと目を開ける。顔面は腫れあがっており、服装が一緒でなければ誰だかわからなかったかもしれない。

「一体何があったんですか?」

 愛流から離れ、陽子は黒子に近づいた。黒子は陽子のことを見つめるが、ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、何も言おうとはしない。

「どうして、クラス全員を殺そうなんて恐ろしい発想が生まれてしまうんです? 何があなたをここまで変えてしまったんですか?」

 陽子の脳裏で、矢尾と葵の姿が浮かび上がる。

 もし愛流が来なければ、陽子も葵も今こうして生きてはいなかった。しかし矢尾は、既に殺され、その身体はあの炎によって焼かれてしまった。

 それだけではない。黒子のために、七海達は死んでしまった。彼女らのことは好きではなかったし、本当に舞優を虐めていたのだとしたら、それ相応の罰を受けて欲しかったとは思う。しかし、だからと言って死んで良いはずがない。

 許せなかった。いくら尊敬した教師でも、そのような暴挙を認めて良い道理など、存在しないのだ。

「答えてください!」

「正通道に、唆されたんだろう」

 陽子の背後から、愛流の声が飛んできた。いくらか落ち着きを取り戻したらしく、声音はいつもの調子に戻っていた。

 正通道とは、確か七海達の両親が所属していたという、新興宗教団体のはずだ。しかしそれが黒子を唆したとは、一体どういうことなのか。

 そのことを陽子は訊ねてみた。愛流は憔悴しきった表情で、推理を語って聞かせる。

 その内容は、あまりにも衝撃的なものだった。

 学校を辞めた後、黒子が正通道に入っていたこと。その正通道によって、殺人を薦められたこと。何よりも、黒子と舞優に血の繋がりがあることが、全くの予想外であった。

 愛流が自身の推理を語る間も、黒子は黙っていた。気絶した訳ではなく、ただ目を開けたまま空を眺め続けている。

 やがて、愛流が話を終え、黙って黒子を見つめる。黒子はしばらくの間何も答えなかったが、やがてゆっくりと口を開き、しわがれた声を発した。

「驚いたな」

 たった一言。しかしそれだけで、罪を認めたと判断するには十分だった。

「俺の推理は何も間違っていないと、そう認めるんだな?」

「あぁ。気持ち悪いぐらいに当たっているよ。まるで僕の記憶を見られたかのようだ。教祖様が手を貸してくれていることにまで気付くとは思わなかったよ」

「マニュアル通りのような殺し方なら、初犯じゃないか誰かに殺す流れを教えてもらったかのどちらかに限る。何よりも、陽子ちゃんを眠らせたであろうクロロホルム。そんなものダークウェブで買うかそのツテの人間からもらわないと、入手することは難しい」

 愛流は淡々とした調子で語る。しかしその眼付は鋭く、今にもまた黒子に飛び掛からんばかりの敵意をむき出しにしていた。

 さきほどのような暴走こそ収まったものの、心が乱れているのは明らかだった。

 陽子自身、黒子への怒りがまだ残っている。しかし今は、それ以上に彼のことを哀れに思えてならなかった。

 なぜ正通道などという得体の知れない団体に頼ってしまったのか。どうして自分達生徒に、少しでもいいから話をしてくれなかったのか。

 それでこの現状が変わったかはわからない。しかしそうして欲しかったと、陽子は心の底から悔やまれてならない。

「教祖様に再会したのは、ちょうどこの辺りだったな」

 そう言って黒子は仰向けになりながら周囲を見回した。その細められた目には、昔を懐かしむかのような気配が感じられる。

「先月、僕はここで首を括って自殺しようとしていたんだ。その時、教祖様がどこからともなく現れた。そして僕に、残る命の使い道を教えてくれたんだ」

「残る命って――」

「癌、なんだろ」

 答えたのは、愛流だった。その想定外の言葉に陽子は目を大きくし、愛流と黒子の顔を見比べる。

「そこまで知っているのか」

「警察が少し調べればわかるような情報さ。あんたは大腸癌を患っている。しかも末期症状が出ていて、余命は残り三か月ぐらいってことだ」

「あぁ、そうだ。病気で死ぬぐらいなら自分で自分を殺してやろうと思った。舞優を死なせておいて、病気で死ぬなんてそんな死に方、許せないって思ったんだ。けど、教祖様から真実を聞いて、罰を与えることに残りの命を使うことにした」

 黒子の言葉に、陽子の思考は停止した。そして次に、感情の大きな波が押し寄せてくる。

 しかしそれは、決して黒子への憐れみだけではない。

 やはり、怒りだった。

「先生のバカ!」

 感情に身を任せ、陽子は叫んだ。黒子が、愛流が、呆気に取られた表情でこちらを見つめてくる。

 いつもの陽子なら恥ずかしさを覚えていたかもしれない。しかし今は、怒りが上書きしてそのような羞恥心を感じることはない。

「何でそんな怪しい団体の言葉を鵜呑みにしちゃったんですか。なんで加入する前に誰かに相談しなかったんですか。そもそも舞優が死んだあの時に、どうして一言も私達に自分の気持ちを吐き出してくれなかったんですか!」

 自分でもボリュームが大きくなっていくことがわかる。それでも陽子は止まらない。止めることができない。

「私だって、そうです。舞優が死んだのは、私のせいだ。私が彼女の悩みを気付こうとしなかったからだって、この事件が起こるまでずっと、誰にも話せずにいました。でも、あなたを見て、それが間違いだったんだって、今はハッキリと言えます」

 気付けば陽子の頬から涙がこぼれ落ちていた。むずがゆく感じられるが、不快には思わない。

 むしろ今は、人前で堂々と泣ける自分に、誇らしさすら覚える。

「私も、先生も、そして舞優も、自分の心の内を話さないって言う、間違いを犯しました。だから皆苦しみ、壊れていって、大きく間違えてしまったんです」

 舞優は自分の苦しみを話さなかったことで、自殺するに至った。黒子は誰にも頼ることができなかったために、理不尽な復讐を実行するに至った。

 そして陽子は、自分の心の内を隠す癖を持ってしまったがために、自分を責めて苦しめてしまうことが増えた。しかしそんな陽子の気持ちを、引き出してくれる人物が現れた。

 愛流だ。愛流と話している時だけは、陽子は自分の怒り、悲しみ、そして喜びを、無意識の内に表に出せるようになっていた。

 ほんの数か月前の出会い。しかしその短い期間の中で、陽子の心は今までにないぐらい救われたような気分になった。それは誰が何と言おうとも、間違いのない事実なのだ。

「先生が人を殺しているって知って、舞優が喜ぶはずがないでしょう。ましてや自分のために復讐に走ったのなら、胸が張り裂けそうなくらい苦しいですし、辞めて欲しいって願うに決まっています」

 先ほどの自分が感じた恐怖を舞優に置き換え、陽子は語った。

 もしも愛流が、あのまま黒子を殺していたら。ましてや自分が誘拐され、傷つけられたことが原因だったとしたらと思うと、恐ろしさを覚えずにはいられない。

「先生が人を殺すことで苦しむのは、七海さん達や先生だけじゃありません。誰よりも、舞優自身が一番苦しむことになるんですよ」

 その言葉を皮切りに、黒子が涙を流した。獣のように吠え、空を仰ぎながら泣き続ける。

 近くの雑草が、黒子の涙に触れ、滴が草を伝って地面に落ちた。その様は、まるで舞優が草に憑依して、黒子の涙を拭ったように見えてならなかった。


(続)


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