page4「警視庁から来た男」
「――と、言うわけで、今日から我が刑事部に新しい仲間が加わることとなりました。皆、拍手ね」
そう言って安田は瘦せこけた顔に笑みを浮かべて手を叩き出した。天馬里奈を含めた夢見署刑事課の面々はそんな刑事課長のノリにどのように答えるのが正解なのかわからず、ただ戸惑いながら拍手するしかない。
安田は刑事課長という堅苦しい肩書きに似合わず、場の空気を大事にするタイプの人間だ。しかし警察官の業務、特に事件の早期解決は何事に置いても優先している。
何せ、里奈の義弟である愛流の頭脳を買い、度々事件に駆り出している張本人であるのだから。
里奈としても、身内を利用されている点を除けば安田には好感を持っている。彼のような人間が上司であったからこそ、自分も病むことなく警察の業務を全うできていると言ってもいい。しかしたまにリアクションに困る時があるので、そこはどうしたものだろうと考えてしまう。
しかし刑事課の面々のノリがイマイチなのは、安田の妙に高いテンションのせいだけではない。
里奈は安田の隣に立つ男に目をやった。
身長はおそらく百八十センチメートルを超えている。ガタイの良さと無精ひげ、そして細められた目つきの鋭さは刑事というよりも狂犬を連想させた。愛想がないばかりか、まるで自分達を敵視しているようにも見えた。
「ほら、君も自己紹介をして」
安田が隣の男を見上げる。男は気怠そうにため息を吐いた後、首を傾けて周囲を見回した。
「九十九正義です」
「彼ね、実は元警視庁捜査一課の刑事なの。ありがたいよねぇ、そんなエリートが来てくれるなんて。まぁ、引き抜いたのは僕なんだけどさ。しかもさ、九十九くんって二十代ぐらいに見えるでしょ? でも今三十二歳なんだって! 最近の三十代って、本当に若々しいよねぇ」
「ガキっぽいってことっすか」
九十九が鼻で笑った。安田は特に動じることなく「そんなことないよ」とヘラヘラと笑う。
里奈は不快感が胸の中で暴れ出すのを感じた。
さっきからこの男は一体何なのだろう。安田のノリは、確かにこの場では外れているかもしれない。しかし配属されて早々に上司に取る態度ではない。
まるで自分こそが何者よりも上。そう言わんばかりの太々しさだ。
里奈が嫌悪を募らせていると、九十九が急に動き出した。そして里奈の前で立ち止まる。
巨漢に突然目の前に立たれて、反射的に里奈は一歩下がってしまった。
なぜ九十九は突然里奈の所に来たのか。彼への反感が、顔に出てしまっていたのだろうか。
「あの――」
しかし里奈の言葉は、それ以上は続かなかった。
いきなり九十九が里奈の左手首をつかんできた。かと思うとハンマー投げのような要領で振り回されてしまう。
咄嗟のことに里奈は対応することができず、さらには手も離されたことで、バランスを崩してその場で倒れてしまった。痛みを感じるよりも早く、背中に体重を感じた。九十九がうつ伏せになった里奈に、馬乗りしてきたのだ。そして再び右手首をつかまれ、腰の辺りで拘束される。
あまりにも突然の出来事に、里奈は声を上げることもできなかった。周囲も何も言わない。まるで時間が止まってしまったかのような感覚だ。
「こんなものか」
九十九がつまらなさそうに呟いた。その声には明白な失望の色が濃く出ている。
「お前、一体何をする!」
頭上で先輩刑事の羽曳野の声がする。その直後、里奈の身体が軽くなった。
安田に肩を貸されて里奈は何とか立ち上がる。見ると羽曳野が九十九の胸倉をつかんでいた。
二メートルの身長を誇る羽曳野にも、九十九は動じない。むしろうっとうしそうにため息を吐いて見せた。
「離してください。苦しいですって」
「黙れ! 天馬に何をするって聞いているんだ!」
「何って、試したかっただけですよ。天馬茂の娘がどれほどのものかってね。まぁ、期待外れもいい所でしたけど」
腕の痛みを我慢しながら、里奈は自身の動揺を隠すよう、必死に努めた。
九十九の口から茂の名前が出てきたことに驚いた。しかし冷静に考えるとそこまで不思議なことではない。
茂はあまり語りたがらないが、かつては警視庁に知らぬ者はいないとまで言わしめた敏腕刑事だった。父親が関わった事件で、むしろ迷宮入りした事件を挙げろと言われる方が時間がかかってしまうほどに。
問題は、どうして九十九が茂にこだわりを見せたのかということだ。その娘にいきなり襲い掛かってくるような人間なのだ。どうにも穏やかな理由とは思えない。
「つうか、いつまで掴んでるんですか。いい加減離してください」
「お前、まだ――」
しかし羽曳野の言葉は、それ以上長くは続かなかった。
九十九が羽曳野の巨大な身体を、軽々しく巴投げして見せた。それはあまりにも鮮やかで、里奈は思わず息を飲み込んでしまう。しかし咄嗟のことで受け身を取れなかった羽曳野の吐き出した息によってすぐに我に返ると、慌てて彼の元に駈けだした。
苦しそうにしてはいるが、幸いにも骨などは痛めていなさそうだった。
「皆さんにも、事前に言っておきます。本庁だ所轄だにこだわるつもりはありませんが、俺は皆さんと慣れあうつもりもつるむつもりも一切ありません」
九十九はよれたシャツの襟を正しながら周囲を見渡した。その目にはあからさまな侮蔑が籠もっている。
「俺は誰も信じていませんし、皆さんも俺を戦力にカウントしてもらわなくて結構です。必要最低限な業務以外では一切話しかけないでくださいね。俺もそうするんで。以上です」
そう言って九十九は空いている席に座った。そして安田に「ここが俺の席ってことでいいですよね?」と訊ねる。
「いいけど、九十九くんね――」
「で、仕事は何をすればいいですか? まぁ事件がないうちは書類をこなしていくんでしょうけど」
回転椅子に仰け反るように身を預けながら、九十九は欠伸をして見せる。その姿に里奈を始めとした刑事課の面々は呆れ、それ以上の言葉を吐くことはできなかった。
――何なの、こいつ!
その図々しさに里奈は内心、憤りを覚えていた。そして確信した。
この男と自分は、絶対に合わないと。
(続)




