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愛流録2――過去からの種――  作者: 夢見歩人


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page37「焦燥」

「クソッ!」

 愛流が署の壁を力強く殴って毒づいた。震える背中を、里奈はただ見つめることしかできない。

 愛流と陽子の通話内容は聞き取れなかったが、この様子から手遅れであったことがわかった。愛流の気遣いが裏目に出てしまったことに、同情とも怒りとも言えない、複雑な感情が生まれる。

 しかし今は、ここで立ち止まっている訳にはいかない。

「陽子ちゃんは無事なの?」

「少なくとも後ろから刺された、なんてことはないはずだ。唸り声と、かすかにだが衣が擦れる音が聞こえた。おそらくクロロホルムを浸したハンカチで眠らされたんだ。俺の見通しが甘かった」

「とにかく、行きましょう。今からなら、まだ間に合うかもしれない」

「一体、どこに行くって言うんだ?」

 背後から声をかけられ、里奈は驚いて勢いよく振り返った。

 いつも通り、仏頂面の九十九の顔が、そこにはあった。

「九十九さん。一体、いつからそこに?」

「さっきからずっとだ。今まで全く気付かなかったのか?」

 恥ずかしながら、気配すら感じとることができなかった。愛流の言葉に、自分でも思っている以上に集中していたらしい。

 しかし今は九十九に関わっている余裕はない。セダンに向かおうと、一歩踏み出す。

 ――いや、待てよ。

 踏みとどまって里奈は自分の考えを修正する。今は人手が一つでも多いに越したことはない緊急事態だ。互いの信頼などあったものではないが、少なくとも実力としては九十九は申し分がないはずだ。

「車内で話します。とにかく、九十九さんも来てください」

「はぁ? お前、何を言って――」

「いいから早く!」

 そう言って里奈は九十九の手を引っ張った。そしてセダンへと向かい、歩き出す。振り返ると戸惑う九十九と、険しい表情でついて来る愛流の姿が目に映った。

 さすがの愛流だ。例え失策をしたとしても、そこでただ立ち止まっているだけの男ではない。

 セダンの前に立ち、運転席に乗り込もうとした。その時だった。

「いや、運転は九十九の兄ちゃんにやらせてくれ」

 愛流が顔を上げて言った。余裕のない表情であることに変わりはないのだが、心なしか、その顔には先ほどよりも理性が戻ってきているように見えた。

 しかし里奈としては納得できない。

「どうして?」

「今は一刻も早く黒子の所に行きたい。姉貴なら、例え急いでいてサイレン鳴らしながら走らせたとしても、どうしても型通りの運転になるだろ? その点、あんたならそこらへんのブレーキは壊れているみたいだ。今はその方がありがたい。ルートは俺が助手席から指示を出す」

「ケンカを売っているのか?」

 九十九が後ろから睨みつける。不本意だが里奈としても同じ気持ちだった。

 いつものようにふざけて言っている訳ではないのだろうが、自然とけなされたように思えてならなかった。

 しかし反論できないのも事実だ。里奈自身、周囲を気にして、例え急いでいたとしても十分なスピードは出せないかもしれない。対して九十九は愛流が言う通り、周りを一切気にしない自己中心的な面が強い。

 納得はできないが、確かに適任ではあるのかもしれない。

 里奈は渋々、車のキーを九十九に渡した。九十九はまだ何か言いたそうにしていたが諦めたのか、ため息を吐いて運転席に乗り込んだ。

「それで、どこに行けばいい? 一応聞いておくが、ちゃんと状況を説明してくれるんだろうな」

 助手席に愛流、後部座席に里奈が乗り込んだことを確認すると、九十九はそう言ってエンジンを鳴らした。セダンは里奈が愛流から受け取ったパトランプを設置する前に署の駐車場をものすごい勢いで飛び出した。

 ――ちょっとは待ちなさいよ。

 里奈は不満を心の中で呟きながら、窓から手を出して疾走するセダンの上にパトランプを置いた。周囲にやかましいほどのサイレンが鳴り響く。

「とりあえず、七女市に向かってくれ。黒子の家だ。どうせ警察は、事件関係者の住所を全員把握しているんだろ?」

「確か、被害者達の先公だったな? それは良いが、住所なんて俺は一々覚えていない」

 九十九は何の申し訳なさも感じさせずに言い切った。里奈はその開き直りがむしろ清々しく思えて、逆に羨ましくなる。

 仕方なく里奈がスマートフォンの地図アプリを起動し、道案内をすることとなった。そして後ろからは、愛流が先ほど里奈に聞かせた推理を九十九にも語る。

「いかれている、としか言えねぇな。その黒子って奴」

 嘲るように九十九が言った。里奈としては彼も十分にいかれている分類に組み込まれているのだが、一々そこを突っ込む気にもなれない。

「かもな。けどいかれるように後押しした存在がいる。そういう意味では、ある意味黒子も被害者だ。同情する訳にはいかないけど」

「正通道って宗教か。しかしそいつらが黒子を復讐鬼にするメリットが、イマイチ納得できないな。たった二人の信者が邪魔だからって、わざわざ元信者を引き込んでここまで大掛かりなことをさせるか? しかもお前の話だと、直接的なサポートはないものの、裏でちょくちょく手助けはしているんだろ」

 セダンが交差点に入る。しかし九十九はスピードを緩めることなく、猛スピードを維持して走り去った。

 先ほどからこのような運転ばっかりだ。いくらサイレンを鳴らしているとは言え、車だってすぐに停まったり道を譲ったりできる訳ではないだろうに。

「たぶん、実験なんだ。いや、楽しんでいると言ってもいいかもしれない」

「実験? 楽しむ? 何を言っているんだ」

「この推測に、確証はない。だから本来、口にするべきじゃないんだろう。でも俺には、それ以外に考えられないんだ」

 助手席から聞こえてくる愛流の声が、震えていた。里奈はシートベルトを外して身を乗り出し、義弟の顔を見る。

 愛流の顔は、真っ青になっていた。額からは脂汗が流れ、瞳が大きく揺れている。その表情は、何かに恐怖しているように里奈には見えた。

 このような顔をする愛流は、今まで見たことがない。席に戻ってからも、里奈の驚きは消えなかった。

「この事件を仕組んだ犯人――正通道には、ここまで事件を大きくするメリットは、あんたの言うようにない。俺もそれは思ったさ。だから考えてみた。もしも俺が正通道の教祖で、信者の一部が邪魔だから元信者を利用して殺すなら、どんな理由があるのか? けどそれは、悪魔と言うには十分すぎる結論を導くこととなった」

「もったいぶってないで、早く言え。一体何を言いたいのか、さっぱりわからん」

 九十九が苛立ちを露わにすると、車のスピードもさらに上がった。もはや地上を走るジェットコースターだ。しかし里奈に、恐怖はない。

 愛流が次に何を言うのか。そちらの方に意識が集中しているためだ。

「正通道は過去に自分が蒔いた種を利用し、抹殺させることにしたんだ」

「――種?」

 里奈は思わず聞き返した。意味不明な言葉のはずだが、妙に引っ掛かる。背筋に悪寒が走った。

「舞優ちゃんは、正通道の信者の子供達によって虐めを受けていた。そして後に、父親である黒子はその正通道に加入する。一度は脱退するけれど、今回の事件を起こすために再度協力体制に入った――これがただの偶然だと思うか?」

「ちょっと待って。あんたは、何が言いたいの?」

 里奈は訳がわからず、首を横に振った。にもかかわらず身体は震え、口の中が瞬時に乾く。

 これ以上聞いてはならない。これからどのような推測が飛んでくるのかわからないはずなのに、本能が、直感が、訊くことを拒んでいた。

 しかし当然ながら、そのような内面的なことを、愛流が察するはずもない。愛流はゆっくりと口を開き、言葉を続ける。

「舞優ちゃんの虐め自体、正通道に仕組まれたものだったんだ」

 車内の中が、シンと静まり返る。外から流れ込んでくる車のエンジン音やパトカーのサイレンすら、一瞬の間里奈達の世界から消え去る。

「両親が正通道の信者なら、その子供もミサなり会合なりに出席することもあっただろう。だからこそ七海ちゃん達は、常に三人で一緒にいたんだ。同じような親を持つ縁を感じて。その時、正通道の誰かに、こう話したのかもしれない。クラスに担任の先生と妙に仲良くしている生徒がいる。自分達に対して反抗的だし、何だか大人に取り入っているようで面白くない、と。あるいは何かクラスの不満を吐くように、誘導されたのか」

 額に手を当てながら、愛流は苦々しそうに話した。今にもその口から舌打ちが漏れてしまいそうなほど、苛立ちを露わにしている。

「そして正通道は、黒子の過去を調べ上げ、舞優ちゃんと親子関係にあることを突き止めた。最初は何でもない、暇つぶし感覚のつもりだったんだろう。だけど奴らは、この情報を利用することを考えた。七海ちゃん達三人に舞優ちゃんを虐めるよう仕向け、自殺させた。もしかしたら奴らからしたら、虐めの過程で誤って殺してしまった、でも良かったのかもしれないが、今となってはどちらでも良い。その後、黒子に近づき、信者として加入させた。後に奴は一度脱退するが、その後も行動を監視していたのかもしれない。そして今回、沢良木家が暴走気味の勧誘を行った。陽子ちゃんの話によると、五年前も強引な宣伝活動をしていたらしい。さすがに手に負えないと思った奴らは黒子に接触し、虐めの事実を話して、復讐させた」

「そう考える根拠は何だ? さっき言ったように、今回の事件が偶然と言うにはあまりにも出来過ぎているからか?」

 隣で九十九が鋭い声を飛ばす。愛流はすぐには答えなかった。代わりに深呼吸する息の音が、里奈には聞こえてくる。

「そうだ。でも他にも根拠はある」

「何だ?」

「どうして黒子は、今になって虐めの事実を知ることができた? 俺の推理通り正通道が奴に教えたことだとしたら、どうして奴らはそのことを把握している?」

「だから、正通道が仕組んだことと考えるのが自然ってこと?」

「あぁ。そしてそうまでして奴らがこの事件を起こすメリット。それは実験以外には考えられない」

「さっきも言っていたな。だが、一体何の実験だ」

「殺人者を生み出す実験さ。それも、自分達の手駒として動く」

 愛流が放った結論に、再び里奈は口を閉ざすしかなかった。

 余りにも現実離れしているように思えてならないのだ。

「あんた、それ、本気で言っているの?」

「自分でもどうかしていると思うよ。けどそれなら、何で黒子に憎しみを持つよう仕組んだのか、説明がつく。奴らはそうやって種を撒き、自分達が邪魔だと感じた者を排除する人形を作ろうとしているのさ。たぶん黒子にしたようなことを、過去に何度も行っているんだろう。そうなると、殺人人形候補は、一体何人いるのか。わかったもんじゃないな」

「だが、それは結果として、奴らの組織が存続する危機を作り出すんじゃないか? 現に今回、黒子と正通道の関係は判明した訳だろ?」

 九十九の疑問に、里奈も頷いた。

 以前、日本の元総理大臣が訪問先で銃による襲撃を受ける事件が発生した。そこでも新興宗教団体が絡み、結果としてその団体は解散するよう国に命じられた。

 もし愛流の推理通りだとするなら、正通道は自らの首を絞めようとしているのではないだろうか。

「だからこその実験さ。実験は、基本的に失敗が続く。そして何が失敗の原因だったのかをフィードバックし、成功するために試行錯誤する」

「つまり奴らにとっては、黒子と自分達の関係がバレたとしても、大したダメージじゃない、わかりきっていたことだって言うことか」

「現に正通道のホームページには、都内を中心に活動していることは書いていても、どこに本部があるのか、信者の数は何人なのか、一切書かれていなかった。自分達は捕まることはないって、挑発しているも同然なのさ」

「ふざけているな」

「あぁ。だから正通道は、大っぴらに勧誘活動をすることを嫌ったんだ。自分達の情報を、必要以上に広めないために。滅茶苦茶なことをやっているようで、実際には合理的に行動している。俺はここの教祖が、すげぇ恐いよ」

 愛流の言葉が止まり、車内に再び静寂が訪れる。息が詰まりそうな空気に、里奈は息苦しさを覚えた。

 自分達は今、とんでもなく恐ろしい組織と敵対しようとしているのかもしれない。そう思えてならない。

 例え黒子を捕えたとしても、果たして自分達は、真の意味で勝てたと言えるのだろうか。

「――話は変わるが、本当に黒子の家に向かうんで良いんだよな?」

 九十九の言葉で、里奈は負の思考から我に返る。見渡すと大通りの国道はいつの間にか消え、代わりに対向車とギリギリぶつからないかどうかの狭い住宅街の道に入っている。

 いつの間にか黒子の家の近くまで来ていたらしい。

 九十九の顔色はいつもと違い、やや青ざめているように見えた。九十九もまた、里奈と同じように、愛流の推測を受け止めきれていないのだろう。

 だからこそ、九十九は話題を変えたのだ。これ以上「正通道」の話をすると、自分の中の何かが大きく変わってしまう。そのような予感があったが故に。

「近くであるのは間違いない。奴が犯行を行うに辺り、慣れない土地でやるにはあまりにもリスクが高すぎる。けど、当然家の中で犯行を行うとは思えない。叫び声を上げられたら近所にバレて即刻アウトだし、何より死体の腐敗臭ですぐにバレてしまう」

「だったら、一体どこだって言うんだよ」

「俺だってそのことをさっきからずっと考えていたさ。けどそれ以上、範囲を絞り込むことができない」

 苛立ちを言葉に乗せ、愛流が叫ぶように言った。目をつぶり、歯を食いしばっている姿は、見ていて痛々しい。

 正通道のことを話しながらも、愛流は同時進行で黒子が向かう先を必死になって考えていたのだ。だが答えを見つけられずにいる。

 その気持ちは里奈も同じだった。

 早く陽子を助け出したい。しかしその場所がわからず、気持ちばかりが焦ってしまう。

 自分もまた、愛流のように推理を組み立てられる頭脳があればどれだけ良いかと、何度思ったことだろう。

「だったら、今から聞き込みでもするか? そんな呑気なことをしている間に、陽子という女が死ぬかもしれないがな」

 九十九の心無い言葉に、里奈は戦慄した。今、九十九が運転していなければ、その憎たらしい頬にビンタをたたき込んでいる所だ。

 どういうつもりで言ったのかは知らないが、さすがに言い過ぎだ。陽子まで死ぬなど、この状況では全く考えたくはない。

 後ろに座る愛流も同じはずだ。愛流の中で、陽子の存在が大きくなりつつあることは、里奈から見てもわかる。しかし愛流が声を荒げる気配は感じられなかった。

 不思議に思い、里奈は振り返って確認した。愛流は心ここにあらずと言わんばかりに口を開け、手を頭にあてていた。

 九十九の言葉で怒りが頂点に達し、言葉すら出なくなった――というような感じでもない。この顔は、何か考え込んでいる時の表情だ。

「裏山――」

 やがて愛流が、蚊が鳴くような声で呟いた。耳を澄まさなければ聞き取れないぐらいの声量だ。現に九十九も「何か言ったか?」と訊き返してくる。

 愛流が助手席から前方に指をさす。

「あの山を目指してくれ!」

 里奈は愛流の指先を追った。愛流の言う通り、住宅街から少し離れた所に山がある。家は見当たらず、木々にびっしりと覆われていた。

「あそこに陽子ちゃんがいるの?」

「わからない。けど今のところ、あそこ以外には考えられない」

 愛流の頬から汗がたれる。隣で九十九が目を細めて愛流を見つめるが、特に何を言うこともなく、車のスピードを上げた。

「ここらへんで、黒子に関する聞き込みをしていたことがある。その時に、近所のおばさんが言っていたんだ。誰だか知らないけど、あの山で勝手に小屋を造られたことがあるって」

「まさか、それが黒子だって言うの?」

「住民ももはや放置しているような状態なんだ。黒子としては、犯行に使う小屋を作るには、うってつけの所だろう。だから今は、あの山に向かってくれ」

 愛流の声はもはや懇願するような調子になっていた。愛流自身、確証を持てず、藁にもすがるような思いで言っていることが伝わってくる。

 もしも愛流の推理が外れた場合、陽子の命はないだろう。しかしそれ以上に有力な候補がないのもまた事実だ。

 里奈は祈る気持ちで目の前にそびえたつ山を見つめた。

 お願い。どうか、間に合って――


(続)


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