page36「陽子、誘拐」
大学の駐車場まで出てきて、陽子と葵は周囲を見回した。通常、学生の車での通学は禁じられているのだが、駐車スペースは見たところほぼ埋まっている状態だった。規則を無視して停めている学生が多いのだろうが、大学側もキリがないと諦めているのかもしれない。
講義室を出て外へ向かっている途中で、葵のスマートフォンに追加のメッセージが送られてきた。どうやら矢尾と黒子は、大学の駐車場に来ているらしい。
今は講義中なので学生はおろか警備員の姿も見かけないが、黒子達は本当にここに来ているのかと疑いたくなる。
「葵。矢尾君には駐車場に着いたってメッセージは送った?」
陽子は隣で周囲を見回す葵に問いかけた。葵はスマートフォンを見つめ「ちゃんと送っているよ」と返答する。
「既読もついているし、気付いているとは思うんだけど」
「もうちょっと詳しく書いた方が良いのかもね。大学の駐車場って、案外広いから、こっちを見つけられないのかも」
そう言った時、ズボンのポケットに入れているスマートフォンが振動した。アプリの通知かと思ったのだが、それにしてはバイブが長すぎる。そしてすぐに、着信によるものだと気が付いた。
陽子は自分のスマートフォンを取りだし、画面を見た。それと同時に胸騒ぎを覚える。
着信は愛流からだった。よく見るとつい先ほども電話を一本入れている。どうやら歩いていたせいで、着信に気付かなかったようだ。
「ちょっとごめんね」
そう言って陽子は葵から離れて駐車場の外に出ると、電話に出た。
「はい、陽子です」
〈陽子ちゃん、行くな!〉
スピーカーからいきなり、愛流の怒鳴り声が飛んできた。驚いた陽子は反射的にスマートフォンを耳から離してしまった。
「ちょっと愛流さん、いきなりどうしたんですか?」
〈いや、悪い。とにかく、黒子の所には行くな〉
「行くなって――」
〈まだ黒子には、会っていないんだな?〉
矢継ぎ早に愛流が言葉を紡いでくる。いつもと違い、かなり焦っている。以前の事件の時に傷を見られた時とは違う類の狼狽だ。一体何が、愛流をここまで動揺させているのか。陽子には何もわからなかった。
「これから会うところです。大学の駐車場に来ているということで、友達と今、探しているんですけれど」
〈じゃあその友達を連れて、すぐにその場を離れるんだ。今、すぐに!〉
「ちょっと待ってください。一体どうしたって言うんですか? ――まさか、事件に関することなんですか?」
陽子は唾を飲み込んでから訊ねた。その途端、愛流が押し黙ってしまう。しかしその様子から、図星であることは間違いない。
そもそも愛流がこのように緊急で連絡してくるなど、事件以外では考えられなかった。そしてそこから、陽子なりに一つの結論にたどり着く。
「もしかして、矢尾君か黒子先生、どちらかが事件に巻き込まれる可能性があるんですか?」
〈いや、それは――〉
スピーカーから流れてくる愛流の声が、急に歯切れが悪くなる。それは肯定を意味しているように陽子には思えた。
加藤夫妻は死んだ。となると、やはり彼らに罪を着せた真犯人がいるのだ。そして理由は不明だが、矢尾と黒子のいずれかを狙っている。
そのことに気付いた愛流は、陽子が黒子に会うというメッセージを読んで、急いで電話をかけてきたに違いない。
おそらく陽子を気遣ってのことだろう。その気持ちは嬉しいが、陽子としては引き下がることはできない。
これ以上知っている人間を、失いたくはなかった。
「先生達に危険が及んでいるなら、やっぱり放っておく訳にはいきません。私、先生達に会って、このことを伝えようと思います」
〈ちょっと待て! 陽子ちゃん、そういうことじゃ――〉
「状況をわかっているのとわかっていないのとでは、大きく変わってくるでしょ? 先生達を守るためにも――」
〈その黒子が犯人なんだ!〉
スピーカーから聞こえた愛流の怒鳴り声によって、陽子の思考は停止した。愛流が何を言ったのか、上手く理解ができなかった。
今、愛流は何と言った? 黒子が、犯人? 黒子が、自分達の教え子を殺してきた?
そんなことはない。そんなこと、あるはずがないのだ。
陽子の理性は、必死に理解を拒み続けた。その時だった。
後ろから何者かに首を掴まれた。そして間髪入れずに、口元を覆われる。
何が起こったのかわからず、陽子はパニック状態に陥った。助けを呼びたくても、口元に覆われた何かと首を掴まれた影響で、上手く声を出すことができない。
鼻腔を甘い臭いが刺激した。頬に触れる何かが陽子の皮膚をこそばしてくる。徐々に身体から力が抜けていき、スマートフォンが手元から落ちた。
口元に覆われたのがハンカチであると気付いた瞬間、陽子の意識はゆっくりと闇の中に消えていった。
(続)




