page25「九十九正義」
日は西の空へと顔を埋め、街をオレンジ色に染め上げている。夢見署へと戻ってきた里奈はミラー越しに映る日光に目を細めながら、セダンを降りた。すると助手席に座っていた九十九が、里奈を気にする様子すら見せずに署の入り口へと真っ直ぐ歩いていく。
もはや里奈は、その背中を追いかける気にもなれなかった。しかし進行方向が同じである以上、彼の後ろに付いていく形になってしまう。
夢見署に戻ってくるまでの間、車内は気まずい沈黙に包まれていた。何も話さなかっただけではなく、互いに不機嫌さを隠そうとしなかったのだ。
先ほどの拷問紛いの聞き込みを見て、里奈は確信した。この男とは、全くわかりあうことができない。すぐにでも安田に報告し、捜査から外すべきだと考えていた。
里奈からすれば、九十九はまごうことなき危険人物だ。人員が減る分負担も大きくはなるが、あのような暴行を見過ごして良いはずがない。
そう思うと、里奈の歩行速度は自然と早くなっていった。安田に九十九のことを報告し、彼がそれ相応の報いを受けることが、楽しみなのだ。その気持ちを自覚すると同時に、里奈は自分の嫌な部分が出てしまっていると我に返り、首を横に振った。
「おう、九十九」
署に入って二階へと上がり、通路を歩き始めた辺りで、一人の刑事が九十九に声をかけてきた。
里奈が初めて見る男だった。おそらく本庁から来た、応援の刑事なのだろう。黒い髪は羨ましいくらいのストレートヘアで、目はつぶっているのかと疑いたくなるほど細められていた。
「宗方、何でお前がここにいる?」
「今の事件の応援に決まっているだろう。不愛想なのは相変わらずだな。というか、こっちの人達に迷惑をかけていないだろうな」
「お前には関係のないことだ」
九十九は鬱陶しそうに言い放つと、そのまま通路を真っ直ぐ歩いていった。宗方と呼ばれた男は「おい!」と声をかけるが、九十九は無視をする。
「参ったな、完全に心を閉ざしているよ――えぇっと、ちなみに君は?」
振り返った宗方が里奈のことを指さしてきた。里奈は敬礼のポーズを即座に取る。
「夢見署刑事課に所属している、天馬里奈巡査です」
「そっか、刑事課の。申し遅れたけど、警視庁捜査一課からやってきた、宗方虎太郎巡査部長だ」
そう言って宗方は敬礼を返してきた。とりあえず横柄さがないことに、里奈はほっとする。
「もしかして、君が九十九とバディを組んでいるのかな?」
「えぇ、まぁ、一応」
里奈は思わず口ごもってしまった。果たして今の自分達の状況が、バディと呼んでよいものなのかどうかがわからない。
連携が取れていないだけでなく、互いに信頼関係を一切構築できていないのだから。
「その様子じゃ、あいつ上手くやれていないようだな」
宗方が頭を掻き、大きくため息を吐いた。俯くその姿からは、どこか寂しさとも悲しさとも受け取れそうな哀愁が感じられる。
「あの、宗方巡査部長は九十九さんと仲が良かったんですか?」
「いいよ、そんなかたっ苦しい。呼び捨てかさん付けで。まぁプライベートで会うって言うほどではないけど、同期ではあるからな。それなりってところだ。訊いているかもしれないけど、あいつとは元々同じ捜査一課所属だったし」
「九十九さんは、以前からあんな感じなのですか? その、ちょっと荒々しいというか――」
暴力的で手段を選ばず、仲間と連携を取ろうともしない協調性に欠けた危険人物――そんなストレートな表現をすることは、さすがに躊躇われた。しかし里奈の言い方で察したのだろう。宗方は「やっぱり」と呟きながら苦笑いを浮かべた。
「あいつ、君達に迷惑をかけているのか?」
「それは、何と言うか――すみません、こんなことを聞いて」
「君が謝ることじゃないだろう。むしろ、謝罪しなくちゃならないのはこっちだ。ごめんな、九十九が迷惑をかけてしまって。元々は悪い奴じゃないんだけど、ある意味コミュ障でな」
宗方の言い方に対し、里奈はただ苦笑いを浮かべるしかない。
庇って言っていることは明らかだ。あの性格で「コミュ障」の四文字で済ませられるとは、宗方はよっぽどのお人よしのようだ。
「ただ、一つだけ誤解のないように言っておきたい。あいつは元々、あんなふうに手段を選ばない性格じゃなかったんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。粗野なところは前からなんだけど、協調性自体は昔の方があった。報連相もできていたし、何より周囲を見て連携を取ろうとする冷静さを持っていたんだ」
宗方は昔を懐かしむように口角を上げながら九十九を語る。しかし里奈には、彼の話をイメージすることは難しかった。
まるで別人の話であるように思えてならなかったのだ。それぐらい、宗方が語る九十九とは現在の人物像が食い違っている。
「じゃあ、どうして九十九さんはあんな――」
「俺の知る限り、答えは一つ。あいつは、他人を信用できなくなってしまったんだよ」
「他人を、信用できなくなった?」
「もう一年も前になるかな」
そう言って宗方はすぐ側の窓に手を突いた。夕日が彼の顔を照らし、より哀愁を漂わせる。
「昔、九十九は同期三人とトリオを組んでいたんだ。一人は頭を働かせることが得意で、一人は人懐こさを武器に話を訊き出すことが得意。で、一人は猪突猛進に犯人を粘り強く追いかけ回すのが得意だった。あっ、ちなみに最後の一人は九十九のことだ」
宗方が壁にもたれ掛かった。外からはカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「じゃあ、その人懐こさを武器にしていた刑事が、宗方さんなんですか?」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、俺じゃないよ。九十九が組んでいたのは、俺以外の同期二人だった。互いにうまく連携し、かと言って慣れあい過ぎず、それぞれをライバルとして高め合うことができていた。端から見てすごかったし、そこまで信頼関係を築けるものなのかって、シンプルに羨ましかったよ。でも――」
そこで宗方が言葉を切った。拳を強く握りしめ、腕を震わせる。
「その中の一人が、裏切った」
「裏切った?」
「頭を働かせるのが得意な方だ。あいつは大麻の売人と、裏で繋がっていたんだ。密売している場所を黙っている代わりに、大金を受け取ってな」
「そんな――」
里奈は思わず声が出た。その事件には、心当たりがあるのだ。
一年ほど前、警視庁捜査一課の巡査部長、有本宏伸が逮捕された。大麻の密売人と現行の警察官が癒着していたということで、一時期報道陣や世間から警察組織そのものがバッシングを受けていた時期がある。
しかし、それだけではない。
「それって、去年警視庁の不祥事として取り上げられた事件ですよね? でも、あの事件って確か――」
「あぁ、そうだ。あいつは、売人と繋がっていただけじゃない。仲間を一人、殺しているんだ。それも九十九の目の前で、緒方を――人懐こさが武器の刑事をな」
宗方の言葉に、里奈はどう答えれば良いかわからなかった。ただただ唖然とし、何も言葉が出てこない。
「警視庁内部で麻薬の密売人と癒着している警察官がいるというタレコミがあった。そして調べていくうちに、それが有本だということが判明した。それを知り、積極的に問いただしたのが、九十九と緒方だった。有本は自分の罪がバレたことで逆上し、隙を見て緒方の拳銃を奪おうとしたんだ。そして揉み合いとなり、拳銃が暴発した末に、緒方は――」
そこで宗方は言葉を切った。それ以上言葉を出せないらしく、拳を震わせて唇を強く噛んでいる。
「目の前で信頼した男が信頼した男に殺される。そんな地獄絵図を見て、九十九も我を失ったらしい。俺達が銃声を聞いて駆け付けた時には、緒方の死体が転がり、九十九は有本に馬乗りになって顔が腫れあがるまで殴り続けていた。正直、もう少し遅かったら殴り殺していたんじゃないかって、今でも思うよ。銃声が聞こえてから、たった三分の出来事だった」
宗方は顔を上げ、夕焼け色に染まる街並みを見つめた。彼の目にこの街がどう映っているのか、里奈には知る由もない。
「それから、九十九は変わっちまった。誰も頼ろうとせず、捜査においては八つ当たりと言わんばかりに平然と暴力を振るう。正直、上としても九十九をどう扱えば良いのか、わからなくなっていたんじゃないかな。そんな時に、夢見署への異動が決まったって言う訳だ。でも、こっちに来ても、何も変わってはいないみだいだな」
そう言って宗方は九十九が歩いて行った方向に目をやった。里奈もそれに合わせ、同じように見る。
当然、九十九の姿はもうそこにはない。仮にいたとしても、里奈はどう声をかければ良いのかわからない。
宗方のおかげで、九十九の過去を知ることができた。しかしそれを知った上で、自分はどうすれば良いのか。
里奈は考えてみたものの、答えを出すことはできなかった。
(続)




