page24「私の彼」
「それじゃあ学年が上がって、クラスが変わって以降、沢良木七海さんや吉田咲さんとは一度も会話していないんだね?」
目の前に座る刑事達に、大平理香は黙って頷いた。
一体、何回同じ答えを繰り返せば解放してくれると言うのだろう。もううんざりだ。
さきほど自分の部屋で大学の講義の課題をしていたところ、刑事達がやってきた。面倒くさいので居留守を決めたいところだったのだが、同じく家にいる母親が開けてしまった。本当に余計な事ばかりしてくれる。
しかし刑事達が自分に用があると知り、思わず身構えてしまった。そして話を訊くうちに、七海と吉田の二人が殺されたことを知った。
大平が二人の死を理解するのに、たっぷり一分ぐらいは使った。普段からテレビはあまり見ないし、ネットニュースの通知も大抵はすぐ削除している。
家のリビングで事情聴取を受けるうちに、じわじわと感じてきた。それはさきほどから刑事達が「七海と吉田が誰かに恨まれるような心当たりはないか?」「中学二年の時に自殺した加藤舞優とは仲が良かったのか?」などといった質問をしてきていることから、確信に変わる。
次に狙われるのは、きっと自分なのだ。そして警察は、加藤舞優の自殺が事件に関係している可能性を疑っている。
そんなことはない。そんなこと、あるはずがない。あっていいわけがないのだ。
そう大平は何度も自分に言い聞かせた。しかしここ最近の不可解な出来事を考えると、どうしてもくっつけて考えてしまう。
二週間前、家の窓ガラスが何者かに割られていた。すぐに警察に通報したが防犯カメラが近くになかったため、犯人は今でもわからずじまいだ。
それだけではない。先週は塗料スプレーによって何の意味もないであろう、横一文字の絵が家の壁に描かれていたし、三日前には、郵便受けに大平理香宛に手紙が届いていた。内容は「知っているぞ」と言う一文だけ。
大平はただただ恐ろしかった。その時は、決まって彼の元を訪れた。三回起こった嫌がらせ全てでだ。
彼は嫌な顔を一つせず、いつもにこやかに大平を家に入れてくれた。何か少しでも恐いことがあれば、いつでも家に来なさいと言ってくれた。
それが大平の心をほぐし、安心で満たしてくれた。
しかしこの事態は、今まで受けた嫌がらせのどれとも一線を画していた。
大平はこの事情聴取中、何度発狂しそうになったことだろう。正気を保たせたのは、一つの思いだ。
絶対にバレてはいけない。もしあのことがバレれば、自分は殺される。
五年前の、加藤舞優の自殺事件以降、七海達との距離は、自然と離れて行った。明確な分裂があった訳ではない。
おそらく、三人とも理解していたのだ。このままずっと一緒にい続ければ、あのことがバレてしまいかねないと。だからあの三人の関係は、中学二年生の時だけのものとなったのだ。
それとは別に、ここ最近で受けた不可解な嫌がらせのことは警察に話した。なぜなら、あのこととは一切関係していないからだ。しかしこれ以上事情聴取を受ければ、また状況は変わってくるかもしれない。
大平にとって、不都合な過去を口に出す事態だけは、何としてでも避けなければならないのだ。
大平はチラリとキッチンに目をやった。母親はおかわりのお茶を作っている。刑事が家にいるというのに、鼻歌でも歌いそうなほど平然とした立ち振る舞いをしていた。それが大平には理解できず、我が親ながら恐ろしかった。
とにもかくにも、大平はこのまま素直に警察の事情聴取を受け続けるつもりはなかった。そうなれば、待っているのは破滅のみなのだから。
そこでふと、大平は思い出した。確か隣の和室の窓は、鍵がかかっていなかったはずだ。
「あの、事情聴取ってまだ続きますか?」
「申し訳ありません。他にも聞きたいことがあるので、もうちょっとだけお付き合い願えないでしょうか?」
「それはいいんですけど、せめてお手洗いだけでも行かせてもらえませんか? さっきから我慢していて」
二人の刑事は、互いに顔を見合わせた。数秒の間を置き、片方の刑事が笑顔を浮かべて頷く。
「わかりました。行ってきていただいて大丈夫です」
「ありがとうございます」
「ちなみに、トイレ前で待たせてもらうことは可能でしょうか?」
大平は目を大きく見開いた。何のセクハラ発言かと思ったが、刑事達の顔つきは至って真面目なものだ。
逃げ出さないかどうか、見張りたいということなのだろうか。たまに見るドラマなどで似たようなシーンを見たことはあるが、まさか本当にあるなんて。
「いえ、それはちょっと」
「申し訳ありません。捜査のためと思っていただけると」
「ごめんなさい。さすがに嫌です。無理にでもって言うのなら、訴えますよ」
大平は声を怒らせ、半ば強引に言い切った。刑事二人は頭を掻いたり顎を擦ったりしているが、それ以上言ってくる様子はない。
警察と言えども、昨今のセクハラは怖いということだろう。本当に女で良かったと、内心ほっと息を吐く。
その時、冷たい視線を感じて大平は身体を震わせた。そしてキッチンに目を向ける。
母親が自分のことをジッと見つめていた。口角こそ上げているが、目はまったく細められておらず、本心で笑っているわけではないということがヒシヒシと伝わってくる。刑事達への態度が気に食わなかったのだろう。後でどんな目に合うか、わかったものではない。
――知ったことか!
大平は気付かない振りをして、リビングを出た。今はこの先のことなどどうでもいい。逃げることが最優先事項だ。
リビングから誰も自分を追いかけてくる様子がないことを確認すると、大平は音を立てないよう静かに隣の部屋を開けた。そして畳の上を歩き、網戸を開けて外に出る。靴下越しに道路にこもった熱を感じ、足の裏が火傷してしまうのではないかと思ったが、靴を取りに行っているだけの余裕はない。大平はそのまま走り出した。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――
住宅街の中を走りながら、大平はパニック状態に陥っていた。考えが一切まとまらず、涙が流れてくる。
まるでこの事態が、彼女の――加藤舞優の呪いであるように思えてならなかった。
――違うの、違うの。私は本当は嫌だったけど、言われて仕方なくやっていただけなの。お願い、許して。
空を見上げ、大平は心の中で謝る。当然、誰も何も言わない。それが大平の焦燥感を煽り、走る速度をさらに速める。
とにかく、今はここに留まるわけにはいかない。
彼に会おう。彼ならきっと私を助けてくれる。
付き合ってから今日まで、彼だけが私の拠り所だったのだから――
一体、どれだけの時間を移動に費やしたことだろう。額も服の内側も汗でびっしょりだ。肌にくっついてくるシャツが気持ち悪い。化粧も崩れ、ひどい顔をしているのかもしれない。
しかし、目的地にはついた。彼の家が、目の前にある。
――あぁ、良かった。きっと彼なら私を助けてくれる。
私はきっと、死ぬことなんてないんだ。
(続)




