page23「五年前の事件」
「ごめんね、二人に急に集まってもらっちゃって」
食堂に到着するなり、陽子は葵と矢尾の姿を見つけると手刀を切りながらテーブルに近づいた。二人は特に不快に思っている様子もなく「全然」と手を振る。
愛流と七女市駅で別れ、電車やバスを乗り継いでここに来るまでの間に、二人にメッセージを送ったのだ。七海と吉田のことで訊きたいことがあるので会えないか、と。
メッセージアプリに既読がつくなり、二人は即座に「了解」と返信をしてくれた。講義のことなども相談して、この時間帯に食堂で落ち合うこととなったのだ。
「全然大丈夫だって。俺としてもさ、正直同じことで話をしたいって思ってたし」
矢尾が沈痛な面持ちで話した。葵も暗い表情で「実は、私も」とか細い声を出す。
「もし陽子が言わなかったら、今日の講義で提案しようと思っていたんだよね。ほら、私達、ビジネス心理学が一緒だし」
「――そっか」
思えば、七海と吉田が死んだ事件については、既にニュース等で報道されているのだ。二人がそのことを知ってショックを受け、何か思うところがあるのは当然のことだ。
「二人は最近、七海さんや吉田さんに会った? 私は中学を卒業してから、一度も会っていないんだけど」
「私も同じかな。遊んだこともないし、七海さんが夢見市に引っ越していたことも、ニュースで初めて知ったもん」
「右に同じく、だな。だからなのか、七海達が死んだって、正直実感があまり湧いてこない。薄情かもしれないけどよ」
二人とも、陽子と同じような状況と言う訳だ。やはりこの二人に対し、現在の七海達のことを訊ねても難しいだろう。
それに矢尾は申し訳なさそうに言ったが、陽子には何となくわかる気がした。
自分は事件を追う側なのでショックもそれなりに大きかったが、もし葵達のように日常を過ごしていて七海達のニュースを観たとしても、彼女らと同じように現実離れしているように捉えたかもしれない。
「そういえばよ、確か大平は七海や吉田と一緒にいることが多かったよな」
ナイスタイミングと言うべきか、矢尾が話したかったことを切り出してくれた。陽子は頷き、葵は「あぁ」とあまり感心のなさそうな声を上げる。
「そう言えば、よく三人でつるんでいたよね」
「何だよ、何だか反応が鈍いな。七海達と昔ケンカでもしたのか?」
「別にそんなんじゃないよ。ただ――」
そこで葵は言葉を詰まらせる。陽子は続きを気にしていたのだが、やがて葵は顔を上げて「やめよう、この話は」と言って手を叩く。
「うん、やっぱり死んだ人のことをどうこう言うのはよくないよ」
「何だよ、急に。別に悪口を言っているって訳でもないだろ?」
「そうだよ。そうだけどさ」
葵は相変わらず浮かない顔つきだ。何かを言おうとしているのに、理性がブレーキをかけて口に出すのをためらっているようだ。それが陽子にはとても歯痒い。
「そうだけど、どうしたの?」
いつもの陽子なら、遠慮してこれ以上深掘りはしない。しかし今回は別だ。
愛流の助手だからという理由だけではない。もしかしたら、舞優の死が関わっているのかもしれないのだから。
葵はやはり黙っていた。しかし陽子が見つめ続けた圧に負けたのか「わかった、言う」と言って手を挙げる。
「ただ、七海さん達を貶めている、みたいな感じに思わないでよ」
「大丈夫。と言うより、思えないと思う。私、七海さん達のことが苦手だったし」
矢尾と葵が同時に目を大きく見開いて陽子を見つめてきた。
心の奥底が、鈍く痛む。
何だか自分が汚れてしまったような気がする。しかしそれでも構わない。
泥に濡れるぐらいの覚悟がなければ、今回の事件には立ち向かえない。それぐらいは陽子にもわかっているつもりだ。
「――実は、私もなんだよね」
陽子が切り出したことが効果を得たのか、葵がとうとう話してくれた。そのことに陽子は嬉しさを覚えると同時に、身構えてしまう。
一体葵が何を語ろうとしているのか。ちょっとした恐さがあったからだ。
「別に虐められていたって訳じゃないよ。ただ、あの三人には独特な雰囲気があって、何だか近づきにくかったっていうか、関わりにくかったっていうか――」
「そうか? 俺はあんま感じなかったけどな。そりゃあお互いの態度が気に食わないからっていうことで揉めたことが一回あったけど、七海を始め、クラス全体を率いていたリーダーグループ、みたいに思っていたぜ」
「だからこそじゃない」
葵が唇を尖らせて言った。しかし矢尾にはイマイチ伝わらなかったらしく「だからこそ?」と首を傾げる。
「確かに、七海さん達の影響力は大きかったと思うよ。リーダーって言ってもいいぐらいに。でも、だからこそ恐く感じた。上手くは言えないけど、あの三人にかかれば私のことを何から何まで否定することなんて簡単、みたいに感じちゃって」
「何だそれ」
呆れたと言わんばかりに矢尾は首を振った。しかし葵の言っていることは、陽子にも理解できる。
良くも悪くもマイペースな生き方をすることができる矢尾には、イマイチピンと来ないのだろうが、自分の何かを否定されるということは、かなり傷つくものだ。場合によっては、一生引きずることにもなりかねない。
何がきっかけで傷つくかわからないからこそ、心というものはデリケートで、どこまで肯定し、どこから否定すれば良いのかわからなものなのだ。しかしそれを矢尾に説いているだけの時間的余裕はない。
「二人に、他にも聞きたいことがあるの。舞優の――あの事件についてのことなんだけど」
自殺、という言葉はどうしても口にすることができなかった。それが陽子自身、親友の死を受け止めきれていない証であることのように思えてならない。
しかし今の言葉だけで、二人には十分伝わるだろうという、確信もあった。そしてその予感は的中する。
葵も矢尾も、一瞬にして顔を強張らせた。そして信じられないものでも見たように、陽子のことを見つめる。
舞優の友人であった陽子から、彼女の自殺について触れられるなど、思いもしなかったのだろう。
「なんで急に、加藤のことを? 今回のことと、何の関係もないだろ?」
「本当にそう思う?」
陽子は声音を低くして矢尾に訊ねた。すると彼は気まずそうに顔を下に向ける。
どうやら、彼も同じようだ。七海達の死を知り、同時に舞優の自殺の件も思い起こされた。
自分達にとって、決して忘れることができない、クラスメイトの死。実際に関連があるかどうかは不明だが、結び付けるなと言う方が難しいだろう。
「――けど、加藤のあの事件の、何を聞きたいって言うんだ?」
「二人が、あの事件に抱いた印象。どうして舞優は死んだのかとか、あれから自分達にはどんな変化が起きたのか、とか」
「わからねぇな。それを聞いて、どうなるって言うんだ? 正直、意味があるようには思えねぇけど」
それを訊ねられると、陽子としても返答に困る。そのように訊くよう指示を出してきたのは、愛流なのだ。何も教えないまま、ただ質問をぶつけるように言ってきた。
陽子としても、これを訊いて一体何が判明するのかはわからない。ただ愛流が無意味にこのような質問を訊くよう指示を出してくるはずがない。
必ず何か意図があるはずだ。
「まぁ、別にいいけどさ」
どうやら矢尾は受け入れてくれたらしい。やや納得できなさそうに眉間に皺を寄せてはいるが、答えてくれるようだ。
陽子は内心、胸をなでおろした。これ以上突っ込まれたらどう答えるべきか、わからないからだ。
「正直、理解が追い付かなかったって言うのが本音だな。今回のことでもそうだけど」
「と言うと?」
「だってそうだろ。クラスメイトが自殺するなんて思わなかったし、葬式に参加するまでは、現実に起こったことだって、どうしても実感を持てなかったよ。それは伊勢だって同じじゃねぇの?」
「え?」
ドキリ、と鼓動が乱れる。矢尾は不満な表情を隠さずに、陽子を睨みつけていた。
「俺らにこんな質問をしておいて、自分は答えない、なんてのはなしだぜ」
「別にそんなつもりは――」
「だったら、答えてくれ。俺は言った。クラスメイトの自殺に関する質問に。伊勢は答えない、なんて言うのはフェアじゃないだろ」
陽子は唇を噛みしめた。そしてチラリと葵を見る。
葵は顔を真っ青にしていた。答えたくないと思っているのは、端から見てわかる。
そこで陽子は、矢尾の意図を何となくだが察した。
矢尾もおそらく、葵が本当は答えたくないことに気付いているのだろう。また同時に、陽子が何らかの理由で聞きだしたいことも察している。
だからこそ、それ相応の誠意を見せろと言ってきているのだ。
葵に無理に答えさせたいのなら、自分も同じように傷ついて見せろ、と。
陽子は一度深呼吸をした。
矢尾の言う通りだ。このまま自分が一方的に質問するだけでは、筋が通らない。答えたい訳ではないが、答えなくてはならない。
そうでないと、前には進めないのだから。
「私も、理解できなかった。何で、どうしてって、この五年間ずっと疑問を持ち続けている。自分は何を見落としたんだろう。舞優に出来ることが、何かあったんじゃないかって。正直、どうして舞優が自殺したのか。今でもわからないし、納得できない」
「――私は違うかな」
葵が、呟くような声で言った。
蚊の羽音のような、か細い声。しかし陽子も矢尾も聞き逃さない。ほぼ同時に、葵を見つめた。
「それって、どういうこと?」
「あっ、いや、どうして加藤さんが自殺したのかって言うのはわからないよ。わからないし、ショックだったのは私も同じ。でも、何て言うか――こんなことを言うと陽子は怒るかもしれないんだけど」
葵がためらう素振りを見せ、中々言葉の続きを言おうとしない。それが陽子にはじれったく「けど、何なの?」とやや苛立ちながらも先を促す。
「正直、自殺をしたって言うことに関しては、納得できるんだよね」
頭を強く叩かれたかのような衝撃が陽子にはあった。目の前の視界が軽く歪み、身体中の血が一瞬で冷えたかのような感覚を覚える。
「それ、どういうこと?」
自分でもわかるくらい、ドスの利いた声になっていた。葵が怯えた表情を浮かべるが、今の陽子には取り繕えるだけの余裕はない。
「私は、陽子ほど加藤さんと仲が良かった訳じゃないよ。と言うよりも、たぶん加藤さんがクラスで仲良かったのは、陽子だけだと思う。でも、ちょっと距離があるからこそわかるんだけどさ、加藤さんの顔が、何だか疲れているなって思うことがあったの」
「疲れている?」
「うん。笑顔を浮かべていたし、いつもと同じような表情を浮かべるように意識しているみたいだったから下手に触れない方が良いのかなって思っていたんだけど、私には疲れているように見えた。目の下のクマだったり、ちょっとやつれているようにも見えたりして」
葵の言葉に、陽子は唇を震わせることしかできなかった。いつの間にか彼女に覚えつつあった怒りは、自分に向いていた。
言われたことで思い出したのだ。確かに陽子も、同じく気になったことがある。確か六月の中頃の昼休みにお弁当を食べている時、舞優の顔色が悪かったように見えた。その時、陽子は大丈夫か聞いたのだ。そして舞優は「寝つきが悪かっただけだから大丈夫だよ」と言い、陽子もそれ以上気にしないようにした。
あれは今思えば、何か重い悩みを抱えているサインだったのではないのだろうか。それを陽子は、よくあることだといい加減に割り切り、それ以上聞くことを面倒くさがったのではないだろうか。
――私は、最低だ。
涙が流れそうになる。しかし今はその時ではない。
葵の話に耳を傾けねばならないのだから。
「だから、加藤さんが自殺した時も、やっぱり何か悩みがあったのかなって思った。お葬式に参加している時も、こう感じたんだよね。同じクラスだったのに、何であまり話しかけなかったんだろう。相談に乗ろうとしなかったんだろうって。そう考えると自分が許せなくなって、それが原因で体調も崩して、しばらく学校に行くことができなくって――」
最後の方は、もはや言葉にもなっていなかった。こらえきれなくなったのか、葵はその場で俯き、涙を流した。矢尾はその隣で、黙ってハンカチを差し出す。葵は「ありがとう」と小さい声で受け取り、涙を拭った。
陽子は自分のことが恥ずかしくなった。先ほどは葵の物言いに対して怒りを覚えたが、それは結果として自分の愚かさを知ることとなった。
怒りを向けるべきはこの友達ではなく、何も見ようとしなかった自分だと言うのに。
「二人とも、ごめんね」
陽子はその場で立ち上がった。そして一歩踏み出す。
逃げたと思われるかもしれない。しかし自分には耐えられない。
自分が涙を流させた葵の姿を、これ以上見なければならないなんて。
――それから、最後にこれを訊いてほしい。
ふと、脳裏に愛流の声が蘇った。それが陽子の動き出そうとした足を止める。
そうだ。自分はまだ、全てを終えた訳ではないのだ。
「ごめん。最後にもう一つだけ、訊いておきたいことがあるの」
陽子の言葉で、矢尾と葵が同時に顔を上げた。二人の表情は、依然として暗いままだ。自分も似たような顔をしているのだろうと、なんとなくだが卑屈になったような気分になる。
「五年前も含めて、七海さんや吉田さんに何か恨みを持っていそうな人って心当たりある?」
「七海達をか?」
矢尾が首を傾げて訊き返した。陽子は黙って頷く。
陽子自身、あまり気分の良い質問だとは思わない。しかし訊かなければならない。
でないと、この事件は終わらない。そんな風に陽子には思えてならなかった。
「正直、わからねぇ。というより、具体的に何て答えれば良いかわからねぇ」
「それって、誰も恨んでなさそうってこと?」
「いや、むしろ逆だろ。さっきも言ったように、七海達はクラスの中心みたいな存在だった。けどそれって言い換えると、クラスの意見は自分の意見、みたいな。そういう支配っつうか独占、とでも言える面があったとも言えるよな」
矢尾の言い方は、やや極端に思える。しかし彼の言わんとしていることは理解できた。
「つまり七海さん達の立場が気に食わなかった人が、あのクラスにはいたかもしれないってこと?」
「あくまで可能性の話な。けどそういう点で恨みを買う、なんてパターンも、珍しいことじゃないと思うぜ」
矢尾の言葉に、陽子は黙って頷いた。
人がどこで恨みを持たれ、それが殺意に発展するかはわからない。そのことについては理解できたし、陽子自身、前回の事件で痛感した。
結局は人間性がどうこうと言う話ではないのかもしれない。気に食うか食わないか。極端かもしれないが、最後にはそこに行きつくものなのだろう。
「まぁ、強いて具体例を挙げるなら、大平は割とあり得るんじゃないかなって思うけどよ」
矢尾が何気なく言ったであろう言葉に、陽子は驚いて目を丸くした。
「なんで、そう思うの?」
「まぁ、深い理由があるわけじゃないけどよ。でもさ、大平は七海や吉田と一緒にいたんだぜ? だったら、あいつらの嫌だと思う面とか醜い部分とか、そういうものが俺達よりも見えていた可能性だって十分あるじゃねぇか」
「だから、恨んでいたかもしれないって言うの?」
「あくまで、強いて言うならだけどさ」
矢尾の言葉に、陽子はどう答えればよいかわからなかった。
さきほど同様、矢尾の言葉は極端だ。しかし違うとは言えない妙な説得力が存在する。
大平は七海達と共に過ごしていて、どのように感じていたのか。友達として接していたのか、それとも陽子や葵と同じように、苦手意識を持っていたのか。
こればっかりは、陽子が考えても明確な答えは出てこない。大平に訊かない限り、わかるわけなどないのだ。
「――私は、何だか少し違うような気がするな」
そう言ったのは葵だった。さきほどから黙っていたが、今は顔を上げて陽子と矢尾をそれぞれ見つめる。涙の痕は残っているが、どうやら落ち着いてくれたようだ。
「違うって?」
矢尾は自分の意見が否定されたことに対して、特に不快に感じた様子はない。ただ自然な態度で葵の次の言葉を待つ。
「私は、大平さんが二人のことを嫌っているようには見えなかった。もちろん私の見る限りでは、だけど。でもあの三人には、絆と言うか、ちょっとした特別な繋がりみたいなものを感じたんだよね」
「繋がり?」
そう言われても、陽子にはイマイチピンと来なかった。一体葵は、何を言おうとしているのだろう。
「たぶん、私が中二の頃に訊いた噂のせいで、そういうイメージができているんだろうけど」
「噂って何のことだよ?」
「訊いたことない? 七海さん達の親が、宗教にハマっているっていう噂」
「何それ?」
陽子は矢尾と顔を見合わせた。そして互いに首を傾げる。
七海達自身のことではなく、どうして彼女らの親が出てくるのか。そこにどうして宗教が絡んでくるのか。何もわからなかった。
とにかく話を訊かなければならない。そう思った陽子は、話を続けるよう先を促す。
「私も親から聞いた話なんだけどね。七海さんと吉田さん、そして大平さん三人の両親は、同じ宗教団体に所属していたらしいの。ただその宗教が、けっこうヤバいって噂になってて」
そこで葵は一度口を噤んだ。そして陽子と矢尾の顔をそれぞれ見渡し、ゆっくりと口を開く。
「三人のお父さんとお母さん、その宗教のせいで子供に虐待をしているんじゃないかって」
「虐待?」
思わず陽子は訊き返した。葵は驚いた様子を見せつつも、首を縦に振る。
「うん。七海さん達の家の近所では、頻繁に悲鳴が聞こえていたって言うし、特に七海さんの親はしつこい勧誘活動をしていたって言うの。自分達の宗教の教えは正しい。もし入らないのなら、それは間違い。必ず天罰が下ることとなるだろうって」
「何だよそれ」
矢尾が頬を引きつらせる。その気持ちは、陽子も同じだった。
盲目的に自分達の宗教を信じている。価値観を押し付け、自分達の正しさを証明するのに躍起になっているように思えた。
陽子は別に、宗教に加入すること自体には反対するつもりはない。何を信じるのかは人それぞれだ。しかしそれを他人に押し付けるのならば、話は別だ。
迷惑行為としか言いようがない。
「でも沢良木さん達に虐待らしい傷なんてあったかな?」
陽子は中学時代を思い返してみる。七海達のことだ。
転んで擦り傷を作ったり、紙で指を切ったりしたことはあっただろうが、顔に痣ができるなど、目立った痕はなかったような気がする。
しかしそこで、一つ奇妙だと感じたことを思い出した。頭に過ぎると同時に「あっ」と声が漏れる。
「そう言えば七海さん達、夏でも長袖のシャツを着たままだったよね」
季節が変わり、六月から九月の時期になると、陽子達の中学校は半袖のシャツを着ることが可能となる。当然暑いため、ほとんどの生徒が衣替えをした。
しかし七海と吉田、大平の三人は、長袖のシャツを着たままだった。
「あぁ、そう言えばそうだったな。けどそれがどうしたんだよ」
「うん。もし葵の言う噂が本当なら、腕に虐待の痕があったんじゃないかって。例えば――刃物で切り付けられた痕とか。それを隠すために、長袖のシャツを着続けていたとか」
「まさか、そんな――」
矢尾は頬を引きつらせて否定しようとするが、それ以上は言葉を出さなかった。
陽子としても、今の言葉が事実かどうかはわからない。しかしどうしても嫌な連想をしてしまう。
愛流もまた、腕にリストカットの傷痕が大量に残っている。それを隠すために、普段から長袖のシャツを着ているのだ。今回の事件で再会した時も、それは変わっていなかった。
もし愛流と同じような理由で、七海達が親から受けた傷を隠しているのだとしたら――
「あっ」
不意に思い出したことに、陽子は思わず声を漏らす。案の定矢尾と葵が反応し、一斉に陽子に目を向けた。
「どうかしたの、陽子?」
「ううん、何でもない」
笑顔を浮かべて、やんわりと否定したつもりだ。しかしその声は自覚できるほど震えていた。
記憶の中にある舞優もまた、六、七月は長袖のシャツを着ていたことを、今になって思い出したからだ。
(続)




