page22「黒子先生」
停められるスペースを見つけ、愛流は車道の路肩でバイクから降りる。
住宅街の中でバイクを停められたら邪魔に感じるかもしれない。しかし近くにおける所は見当たらなかったし、そう長時間停めるつもりはない。警察に見つかればアウトかもしれないが、そこは賭けだ。もし邪魔に感じる人間がいた場合は、申し訳ないが許して欲しいと愛流は心の中で手刀を切る。
愛流は再び、黒子が住んでいる住宅街へと戻ってきた。ただし今は陽子はいない。
陽子とは、別行動を取ることとなったのだ。
中学時代のクラスメイトが同じ大学に通っているのなら、聞き出すのにこれ以上都合が良いことなどそうそうない。陽子には大学に戻ってもらい、空いている時間でその二人に話を聞くよう作戦を立てた。
それに陽子は学生だ。下手に講義を疎かにさせるような真似をさせる訳にもいかないし、単位を落としてしまったとなると、少なからず自分にも責任が生じるかもしれない。
――まぁ、陽子ちゃんのあの真面目な性格なら大丈夫だと思うけど。
そう考えて愛流は苦笑した。このように他人のことを心配するなど、何だか自分らしくない。やはり陽子が相手だと、調子が狂う。しかもそれが決して悪い気分ではないのだから、余計に混乱してしまう。
愛流は軽く頬を叩いた。本来の業務に戻らなければならない。
愛流は愛流で、気になることがあったのだ。
具体的な根拠があるわけではない。ただ何となくではあるのだが、黒子と舞優の関係を洗うことが、今回の事件に繋がるように思えた。
陽子の話を聞く限り、黒子と舞優の親密さはどう考えても教師と生徒という関係を超えているように思えてならなかった。ただ陽子が否定したような、恋愛関係かどうかははっきりとわからない。
自分の中で生まれた違和感が何なのか。それを突き止めるためにも、黒子のことをより知る必要がある。愛流はそう感じていた。
とはいえ、今の段階で改めて黒子本人に話を聞こうとは思っていなかった。自分一人が行ったところで不信感を持たれて、十分な情報を引き出せるとは思えない。
「問題は、誰に当たるかだが――」
愛流は周辺を見回した。するとタイミングの良いことに、こちらへと歩いてくる中年女性の姿が見えた。茶色に染めた髪を短く切り揃え、黒縁のメガネをかけている。手にはトートバッグを下げており、買い物帰りであろうことが窺えた。ジーンズに緑色の半そでTシャツというラフな服装も、その推測を補強している。
適当にインターホンを押して聞いて回るというのも一つの手だが、できればあまり使いたくはない。警察ならまだしも、探偵に過ぎない愛流が話を聞かせろとスピーカー越しに言ったところで警戒されるのは目に見えているし、下手をすればインターホンをブツリと切られたり最初から居留守を使われたりする可能性もある。
だが、最初から外に出ている人間なら都合が良い。怪しまれるかもしれないが、話術や表情を駆使して丸め込むことは可能だし、何より少し話を聞くだけだ。逃がしにくくはなる。
「すみません、ちょっとそこのお姉さん」
愛流は軽快な口調を意識して話しかけた。女性は愛流を見ると驚いた表情を見せるが、すぐに訝しむものへと変わる。
警戒されているのは明らかだった。自分のこのピンク色の髪も不信感を与えているのかもしれない。髪色を派手に変えたのは失敗だったようだ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「何です? 私には旦那も子供もいますし、今の生活でいっぱいいっぱいなんです。あなたにつぎ込む金なんてありませんよ」
どうやらホストか何かと思われたようだ。こんな住宅街のど真ん中で客引きなどするはずがないだろうと愛流はツッコミたくなるも、ここは我慢することにした。
「違う違う。本当に話を聞かせてほしいだけ」
「まさか、宗教? 嫌だ、やっぱりウチのことを狙っている?」
どうやら思い込みが激しいタイプのようだ。埒があかないと感じた愛流は、直球勝負で挑むことにした。
「黒子先生のことを聞きたいんだよ。俺、あの人の元教え子」
「あら、そうだったの。やだ、それならもっと早く言ってよ」
――聞く気なんてなかったくせに。
喉まで出かかったその言葉を、何とか抑え込んだ。ここで下手に相手を怒らせる訳にはいかない。
何にせよ、こちらの嘘を信じてくれたようで安心した。
「友達から先生が今もこの街に住んでいるって聞いてさ。でも俺、今度親の事情で引っ越すことになっちゃって。だから最後に挨拶をしておきたいなって」
「あら、そうなの。やっぱり先生、慕われているのね。この前も言っていたのよ。一か月ぐらい前から教え子の女の子が頻繁に会いに来てくれるって。私、たまたま見ちゃったんだけど、可愛らしい子でね。もしかしたらまだ十代かも。ご近所さんとして、あんなに素敵な人がいてくれて嬉しいわ」
「へぇ、そうなんだ。やっぱ先生、すごいね」
愛流は半ば強引に言葉を挟んだ。こうでもしなければ、この女性の話のペースに巻き込まれ、一向に話を進められなくなる恐れがあったからだ。
「でも先生、俺が担任をしていた時とは全然違っていて、すごくビックリしたんだよね。と言ってもさ、本人に聞いていいかわからないし、近所の人なら何か知っているかもしれないなって思って」
「それで私に話を聞きたいって訳?」
「そういうこと」
思い込みが激しい人間は、一度信じさせればしっかりと話を受け入れてくれるからありがたい。愛流は自分の腹黒さを自覚しながらも、心の中で薄ら笑いを浮かべていた。
「あなた、黒子先生にお世話になっていたのは何年ぐらい前?」
食いついた。その実感を得た瞬間、愛流は口の端が吊り上がりそうになった。しかしそれを咄嗟に手で隠し、あくまで重そうな口調を意識する。
「九年も前になるかな」
「じゃあ五年前のことを知らないのも無理はないわね」
そう言って女性は、舞優の自殺に関することを話し始めた。どうやら典型的に話好きなタイプらしい。こういった人間性は世間的に賛否両論あるだろうが、情報を引き出す側としてはありがたい。
とはいえ、女性から出てくる言葉は、今のところ陽子が話したことと大差ない。何か新しい情報が必要だ。
「ちなみにさ、お姉さんから見た黒子先生の印象ってどうなの? 俺はあんなに優しくていつも笑顔を浮かべていた先生が、今はやせ細って老け込んでいる。その姿を見て、正直結構ショックを受けちゃったんだけど」
「私もねぇ。昔から黒子先生のことを知っているから、今は見ていられないというか、どうすればいいんだろうって思っちゃうんだけどねぇ」
女性の声のトーンが落ちる。どうやら心配しているのは本心らしい。
「先生はねぇ、色々と街のために動いてくれていたのよ。ほら、ここって山の付近に建っている街でしょ」
言いながら女性は右方向を指さした。愛流がその指先を目で追うと、すぐそこに山がそびえている姿が視界に映った。
この住宅街に来た時から、山がすぐ側にあることには気付いていた。こうして改めて見ると、やはり近くに存在している山は迫力がある。裏山と呼ぶのか、夢見市ではあまり見ない光景だ。興味深くはあるが、土砂崩れなどの災害が起きた時の被害は大きくなるかもしれない。
「あぁ、中々良い眺めだよね」
「でもね、それが関係しているのか、あの山でたまに自殺者が出たり、住民かよそ者が勝手なことをしたりするのよ」
「勝手なこと?」
「どこで買ったのか知らないけど、野生動物を傷付ける罠を仕掛けたり、ゴミを勝手に捨てていたり。この前なんて、いつの間にか小屋まで作っている人までいたのよ。住民ももう慣れっこで、犯人捜しもしないし、放っておこうって諦めている雰囲気だったの。でも先生は違った」
「何か、動きを見せたのかい?」
「えぇ。山や街の電柱に不法投棄や野生動物をいじめるなって言うチラシを一人で作って貼り付けたり、駅前でこの街を大切にしましょうって呼びかけたりね。些細なことと言われたらそれまでかもしれないけど、でもそんな姿に私たちも感化されてね。いつの間にかそうした行動は先生だけじゃなくて、今でも続く私たちのボランティアになっていた。でも先生、五年前の事件があってからわねぇ」
そこで女性は言葉を切った。言いづらそうにし、俯いている。しかしその先は、愛流にも想像することはできた。
舞優の自殺以降、黒子は自ら始めた活動に行けていないのだろう。
そのことを愛流は責めるつもりはない。自分が口を出すようなことではないし、精神的に参っている中で無理に行くものでもないと思っていた。
「先生、やっぱつらかったんだな」
「そうねぇ。生徒さんが亡くなって、相当ショックだったとは思うわよ。奥さんとお子さんに続いて、まさかね――」
「続いて? え、待って、先生結婚していたの?」
予想外の展開に、愛流は純粋に驚いた。女性はキョトンと呆けたような顔をして頷く。
「えぇ。あら、聞いていなかったの?」
「あぁ、うん。今初めて聞いた」
陽子に今すぐ確認できない以上、この嘘を貫き通すしかない。それに陽子のことだ。そのような出来事を聞いていれば、事前に伝えていたはずだ。つまり黒子は実際に、自分の家族のことを話さなかった可能性が高い。
「もう二十年ぐらい前になるのかしらね。先生、学生時代に付き合っていたっていう女の子と結婚したの。もう本当に可愛らしい奥さんだったんだけどねぇ。お腹も膨らんでいて、もうすぐ生まれるんですって、すごく嬉しそうに話していたわ。出産日も、確かその年の五月を予定しているって言っていたかしら。けどねぇ」
女性がまた言葉を切った。大きくため息を吐き、頬に手を当てる。
「奥さんと娘さん、同時に亡くなったの」
「そんな」
「信じられないわよね。奥さんは元々体が弱くてね。それで出産のときに耐えられなくて――で、お子さんもお医者さんが手を滑らせて落としたかどこかにぶつけたかで亡くなったらしいの」
「それは、随分と――先生もかなりショックだったろうに」
「えぇ。奥さんを亡くしてから、一年ぐらいは姿を見ることはなかったわ。休養のために実家に帰ったんじゃないかって噂も流れたけど」
愛流はそこで顔を上げ、黒子の家を見つめた。彼の家は相変わらず古臭く、今にも崩れそうに見える。
その家の姿は、黒子の精神状態を表しているように思えてならなかった。
(続)




