page21「正通道」
――どうしたものか。
缶コーヒーを片手に、里奈は呆然と空を眺めていた。セダンにもたれ掛かり、コーヒーを一口すする。
ブラックコーヒーの苦味が、今の自分の心情を表しているように思えた。カフェオレを買うつもりだったのだが、ついていないことに売り切れていたのだ。
完全に手詰まりの状態だった。これからどう動けば良いのかわからない。
加藤家に侵入した後、里奈は安田に電話で状況を報告した。安田は電話越しに鑑識をよこすことを伝えると、里奈達には沢良木家周辺の聞き込みを行うように命じた。
五年前の、七女市立第三中学校二年三組の生徒の現状を知ることに、時間も人員もかなりかかっているようだ。警視庁からの応援も、どうやら遅れているらしい。
加藤家から沢良木家までは、車を使えば大した距離ではなかった。里奈と九十九は電話を切った後、昨日事件があった現場にまで戻ってきて、聞き込みを行っていった。
あれだけの事件があったのだ。沢良木家について、情報の一つや二つ、簡単につかむことができるだろう。
そう思っていたのだが、完全に読みは外れてしまった。
近隣住民は、誰一人として沢良木家について話そうとはしなかった。
普段から沢良木家とは付き合いがあったのか。家の人々はどのような人物だったのか。
たったそれだけの質問だ。それなのに住民たちは「いやぁ、よくわからない」だの「何ともねぇ」だの、曖昧な答えしかしない。中には終始頑なに黙り続けた老人だっていた。
里奈は苛立ちを通り越して、ただただ困惑するしかなかった。好き嫌い以前の問題に思えてならなかった。
まるで住民全員が沢良木家を恐れている――いや、存在そのものを早く忘れたがっているように、里奈には思えた。
沢良木家が周囲から嫌われているのならわかる。人間関係のトラブルだったり普段からの振る舞いだったりで、住民が七海らに不快感を抱いていた、ということもあり得ることだろう。
しかし住民の反応は、そういったものではなかった。
もし嫌っているとしても、不満の一つや二つ、口にしてもいいはずだ。死んだ人間のことでどうこう言うのは良くないが、それで怒りを爆発させて饒舌になったとしても、理解できる。
そういったものとは根本的に違うのだ。住民がこぞって話したがらないなど、こんなことが果たしてあり得るのか。
「おい。こんなところで油を売ってどうする」
一体どこに行っていたのか。少し前から姿を消していた九十九が、曲がり角から現れた。里奈の心は、さらに重くなる。
黙する住民だけでなく、このトラブルメーカーの面倒も見なければならないのだ。
加藤家に不法侵入したことは、安田に報告済みだった。どうせ現場を見れば里奈達が窓ガラスを割って入ったことなど、すぐにわかるのだ。むしろ下手に隠す方が後々不都合になる。
安田は「うそぉん」と間の抜けた声を上げるも、とりあえずは引き続き捜査を行うように言うだけだった。特に罰らしい罰を課されていない。少なくとも今は。
その状況に安心していいのか不安を覚えるべきなのか、里奈にはわかりかねた。
「ちょっと休憩していただけです。それよりも、どこに行っていたんですか?」
「歩きながら言う。とにかくついて来い」
そう言って九十九は顎で促すと、来た道を戻っていった。里奈は力を込めて缶を握りつぶすと、自動販売機横のごみ箱に捨てて後を追う。
こうやって人を振り回すところは、どことなく愛流に似ている。どうして自分の周りの男は、こういう奴ばかりなのだ。
「質問に答えてください。またさっきみたいな無茶苦茶なことをやられたら、困ります」
「無茶苦茶なこと? 加藤の家でのことか?」
「他に何かありますか?」
「中に人はいなかったし、不審な状況をいち早く知ることができたんだ。結果オーライというやつだろう」
九十九は振り返ることもなく、淡々と言ってのけた。里奈は今すぐにでもそのもじゃもじゃな髪の毛を全て引っこ抜いてやりたい衝動に駆られそうになる。
そんな屁理屈がまかり通るなら、この世に警察はいらないのだ。
「そういう問題じゃありません」
「じゃあどういう問題なんだ?」
「それは――あぁ、もういいです」
里奈は大きくため息を吐き、反論を諦めた。どうせ何を言ったって、話は平行線を辿るだけなのだ。
自分と九十九は、根本的な部分で価値観が違っているのだから。
「で、今は一体どこに向かっているんですか? もしかして、ようやく沢良木の家のことで話してくれる人を見つけたんですか?」
「だったら一々お前を呼ばずに、俺が聞いているだろ」
それもそうかとは思ったが、一言多い。里奈はこの三日間で、一体何回腹が立っただろうと振り返りそうになる。
「お願いですから教えてください」
「不良のたまり場だ」
「不良の?」
ますます里奈には理解できなかった。
「一体どういうことです?」
「正攻法で質問しても埒が明かないからな。だから訊いたんだ。それじゃあ代わりに、ここらへんの不良がたまり場として使っている場所を教えてくれってな。それが、ここだ」
そう言って九十九は立ち止まった。
いつの間にか住宅街から大通りに出ている。九十九が指をさしたのは、商業ビル二つの間にできた、薄暗い路地裏だった。
いかにも誰も入りたがらないような場所だ。不良達が煙草を隠れて吸ったり酒を飲んだりするには、丁度良いだろう。
「お前はここから誰も人が出てこないよう、見張っているんだ」
そう言って九十九は奥へと進んでいった。里奈は状況がわからないながらも、後について行く。
路地裏にはどこかの飲食店から出ているであろう、炭の匂いが漂っていた。近くに焼き肉店があるのかもしれない。これが殺人事件の調査でなければ、食欲をそそられたに違いない。
やがて路地裏の奥へとたどり着いた。するとそこには情報通り、二人の男がヤンキー座りをしながら煙草を吸っていた。
二人とも見るからに高校生だ。一人は髪を逆立てており、もう一人はアロハシャツの下に白のタンクトップを着ていた。
「んだ、てめぇら」
逆立てた髪の男が、睨みつけながら聞いて来た。持っていた煙草を踏みつぶして立ち上がる。九十九はその圧を一切感じた様子を見せず、警察手帳を掲げた。
「警察の者だ。お前たちに訊きたいことがある」
「警察だぁ?」
「質問に率直に答えるんだ。そうすればここで煙草を吸っていたことは見逃してやる。どのみち俺の仕事じゃないしな。それにお前らも、補導はされたくないだろ?」
冷徹な目をしながら九十九は淡々と告げた。里奈は天を仰ぎ見たくなる。
高圧的な態度を、一切軟化させるつもりがない。こんな態度で二人が素直に答えてくれるとは思えなかった。
そしてその予感は見事に的中する。アロハシャツの男が立ち上がり、九十九の胸倉をつかんだ。
「ポリ公が、舐めた口を聞いてんじゃねぇ。殺すぞ」
「――そうか。殺されるのはまずいな」
その時、九十九の声音が少し弾んだような気がした。その顔を横から見て、里奈はゾワッと寒気を感じる。
九十九の口元は、笑っていた。その姿はまるで競馬でかけていた馬が一位になったかのような、そんな狂気にも似た喜びのように思えた。
――まずい。
直感的に危機感を覚え、里奈は動こうとする。しかし動作があまりにも遅すぎた。
九十九は素早くアロハシャツの男に近づいた。かと思うとその鳩尾に拳を打ち込む。
アロハシャツの男が二歩、三歩と後ろに下がる。腹を抑え、苦悶の表情を浮かべていた。さすがに耐えきれなかったのか、その場で嘔吐する。かと思うと九十九はその頭を掴み、アロハシャツの顔を吐瀉物へと押し付けた。
髪を逆立てた男は、何が起こっているのか分かっていないらしく、呆けたような顔をしていた。しかしすぐに我に返ると、胸ポケットから折り畳み式ナイフを取り出す。
「てめぇ」
髪を逆立てた男は声の調子を外しながらも、ナイフで九十九を切りつけようとした。しかし警察官としての訓練を受けた九十九には通じない。
軽やかなステップでナイフを躱すと、九十九はその腕をひねり上げた。
男の手から、折り畳み式のナイフが落ちる。そして次の瞬間、九十九は男の股間を蹴り上げた。
男は腰を曲げて、股間を抑える。その首を九十九は荒々しく掴み、近くの壁に押し付けた。
「ガッハァ――」
「協力、してくれるよな?」
首に手をかけながら、九十九は感情の籠っていない声で訊ねる。しかし髪を逆立てた男は答えない。というよりも、首を絞められて答えられないのだ。その証拠に、見る見ると顔が鬱血していく。
そのことに気付き、里奈はようやく我に返ることができた。慌てて九十九の所まで駆け出し、無理矢理九十九と髪を逆立てた男を引きはがす。
「ちょっと、何をしているんですか!」
「おい、こっちに来るんじゃねぇよ。あのアロハが逃げ出したらどうするんだ」
「はぁ?」
何を言われているのか、里奈にはわからなかった。かと思うと、九十九が歩き出す。
里奈はその背中を目で追った。すると顔面が吐瀉物と鼻血で汚れたアロハシャツの男が、この場から逃げようとしている姿が確認できた。しかし鳩尾を殴られたダメージが大きいのか、匍匐前進で移動しており、その移動速度は亀のように緩慢なものだった。
「だから、逃げんじゃねぇって」
九十九は何のためらいもなく、アロハシャツの男の背中を踏みつけた。足の下で男は「ギャッ」と悲鳴を上げてその場から動かなくなる。
「ったく、こういう風に逃げ出すだろうから、見張れって言ったんだ。それぐらいのことなら、あんたにもできると思ったんだがな」
心の底から呆れたと言わんばかりの口調。しかし今回に関しては、怒りが湧いてこない。
混乱していた。九十九の何もかもが理解できず、怒るどうこうではなく、彼自身がまるで他の生き物であるかのような恐怖を覚えていた。
しかし、ここで怖気づいていても仕方がない。里奈は勇気を振り絞って一歩踏み出した。
「何でこんなことができるんですか? 彼らは一般人ですよ」
「殺すと言われて身の危険を感じたから抵抗した。これは正当防衛だろ?」
「過剰防衛です。こんなことが、許されると思っているんですか?」
「そ、そうだ――」
髪を逆立てた男が、咳き込みながら言った。絞められた首を擦り、その場に座り込んでいる。
「こ、こんなことしやがって、ただじゃ、おかねぇ。SNSにでも書きこんでやる。そうすれば警察の立場は――」
「あっ? んなもん勝手にしろよ」
九十九の言葉が予想外だったのか、髪を逆立てた男は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔になって「え?」と呟く。
「世間が警察のことをどう言おうが今さらだろ。知ったことか。喚きたかったら喚いていろ」
「お、お前――」
「それとも何か? お前は俺にこう言って欲しいのか? お願いだからネットにはこのことを流さないでって? 言ってやってもいいが、今のお前に警察に噛みつけるだけの度胸があるのかよ、チワワちゃん」
すっかり委縮してしまった男に近づき、九十九は胸倉をつかんだ。髪を逆立てた男は何も言わない。ただ涙目になって首を横に振るだけだ。
この時ばかりは、里奈にも男の心を理解することができた。
九十九はただ脅しで言っている訳ではない。本気でそう思っていることは、この三日間の付き合いでわかった。
この男にとって、自分以外の物事は本当にどうでも良いのだ。ただ利用するだけ利用し、必要とあらば暴力によって恐怖を与えることもいとわない。
それが実際に被害を受けた男にも伝わったのだろう。
――こんなの、無理だ。
心の底から、里奈は拒絶感を抱いた。今まで生きてきた中で初めてのことだ。
この男とは――九十九正義とは、絶対に分かりあうことはできない。
「じゃあいいな。俺の質問に答えろ。どうしてここら辺の連中は、沢良木のことを避けるんだ?」
「沢良木って、昨日死んだっていう?」
「そうだ。知っていることを吐け」
九十九の質問に、男はためらいを見せた。しかしそれは一瞬のことだった。
また殴られることを恐れたのだろう。怯えながら口を開く。
「あそこの家には、俺ら散々迷惑をかけられたんだよ」
「それだけじゃないだろ。だったらどうして、誰もあの家のことを話そうとはしない? 俺達に愚痴の一つや二つ、吐いてもいいはずだ」
「あの家に触れないことが、ここらへんの暗黙の了解になってんだ」
矢継ぎ早に訊かれたからか、髪を逆立てた男が声を荒げた。里奈は男の言っている意味がわからず「どういうこと?」と質問する。
「そのまんまだよ。村八分って言うの? ここは田舎じゃねぇけど。とにかく、この辺りに住んでいる俺らの間では、沢良木のことはタブーになってたんだよ。だから、その流れであんたら警察にも話したがらなかったんじゃねぇか? あいつらに話しかけられても無視したり、家に誘われそうになったらすぐさま逃げるのが常になってたぜ」
「住民全員で、一つの家を虐めていたって訳か」
「まさか。さっきも言っただろ。迷惑を散々かけられたって。被害者は十中八九俺らだ」
都合の良い被害妄想――とは思えなかった。男の顔を見れば、何となくだがわかる。
男の頬を引きつらせた顔には、嫌悪だけではない、恐怖のようなものを感じとることができた。
「一体、何があったって言うんだ?」
九十九も異常に気付いたらしい。値踏みするように目を細めてから改めて訊いた。男はためらった様子を見せるも、ゆっくりと口を開ける。
「あいつらは、宗教団体に入っていたんだ」
「宗教団体?」
「セイツウドウって名前だ。散々勧誘されたから、忘れたくても覚えちまった」
苦々し気に男は言う。里奈はスマートフォンを取りだして「セイツウドウ 宗教」と検索した。
草むらに挟まれた砂利道が、真っ直ぐに伸びている画像がスクリーン一杯に広がった。その写真をバックに「過ちを覚え、正しき道へ」という文言と共に、「正通道」という三文字が入れ替わりで現れる。
男の言う「セイツウドウ」は、「正通道」と書くらしい。概要欄をタップしてみると、東京都を中心に活動を行っていることがわかった。信者の数は不明だが、何でも子供のいる、もしくは何らかの理由で子供を亡くした大人を中心に、信者を集めているらしい。
「沢良木は、手当たり次第に勧誘していった。正通道に入れ。加入すれば救われる。あんたの子供も必ず幸せになれるってな。そんな風にしつこいから、揉め事なんてしょっちゅうだったさ。噂じゃ前に住んでいたところでも似たようなことをしてたから、こっちに逃げてきたらしい」
沢良木家が前に住んでいたのは、隣町の七女市だ。そのことについては住民票の転入・転出届を調べてわかったし、何より七女市に住んでいなければ陽子と同じ中学校に通うこともない。
「警察には誰か相談しなかったのか?」
「したさ。ウチじゃねぇけど、どっかの家の奴が。俺も話を聞いただけだけどよ。それでもあいつらは何も変わらなかった」
男の言葉に、里奈は何も言うことができなかった。
警察に相談されて注意も受けたはずなのに辞める様子が見られなかったとすると、もはやお手上げに思える。住民からしても、失望は大きいことだっただろう。
「とにかく、あの家はヤバかったんだよ。狂っている。笑顔を浮かべながらこう言うんだぜ。教祖様は絶対に間違えることがない。あの人の元を離れようとするバカもいたけど、そいつには必ず天罰が下った。だからあんたらも加入しないと、必ず災いが降りかかるってよ」
その姿を想像し、里奈は身震いした。
脅すような内容である上に、自分の言葉は何も間違っていない、正しいのだと思い込んでしまっている。正通道がどのような集団かは知らないし、宗教団体だからヤバいと偏見を持ちたくはないが、今の話を聞く限り、嫌な想像ができてしまう。
もしかしたら正通道は、沢良木家を洗脳したのではないか。自分達の信者を増やすよう暗示をかけるなどして、そうしてさらなる拡大を図っているのではないのか。そしてそれを行ったのは、自分が住んでいる街の住民だ。
里奈の背筋に悪寒が走る。他の地区でも、似たような勧誘が行われているかもしれないと想像しただけで、恐怖を覚えた。
「これでわかっただろ。どうしてここら辺の連中があの家のことを語りたがらないか。皆、あの家には少しも関わりたくないんだよ。愚痴だって吐きたくない。吐けばあのいかれた勧誘のことを思い出して、恐怖と不快感が蘇るからな」
「ついでに、自分達が疑われる可能性もあるわけだしな」
冷めたような口調で、九十九が言った。男は顔を上げ「何?」と聞き返す。
「どういうことだよ」
「お前が言い出したんだぞ。沢良木家はいかれた勧誘をしてきて、自分達は迷惑をこうむっていたって。だったら、奴らを殺したいと思う奴が一人や二人いても、おかしくはないだろ。例えば、お前とか」
そう言って九十九はしゃがみ込むと、男を指さした。男は呆然とした表情を浮かべていたが、やがては自分が容疑者として扱われているということを認識したのか、顔を一気に引きつらせる。
「ち、違う。俺じゃない」
「どうだかな。あまりにうざい勧誘だったから口論になり殺した。そんなことだってあり得るだろ」
「そ、そんな――」
男は今にも泣き出しそうな表情で里奈を見つめてきた。里奈はため息を吐きつつも「もうそのぐらいでいいでしょう」と九十九の肩を軽く叩く。
「聞きたい情報は十分聞けましたし、彼が犯人かどうかなんて、これからの捜査でわかります。あなたがまともな捜査方法をしてくれるのなら、ですが」
「それで事足りる状況だったらな」
そう言って九十九は立ち上がると、気絶しているアロハシャツの男を避けて路地裏を出た。里奈もその後に続く。
頭の中で、男の話に出てきた正通道のことが過ぎった。
その宗教団体は、果たして事件に関わってきているのだろうか。
(続)




