第84話 修羅場
続いてる、とだけ書いて先に進むのは、嘘になるので、これも書く。
俺たちは、何度か、揉めた。
ちゃんとした、修羅場だった。詳細は書かない(彼女のことは書かない、のルールだ)が、原因の型だけ言うと──だいたい、俺だった。
正確に言うと、俺の、古い癖だった。
しんどいことがあった週、俺は、無意識に、彼女への連絡を「楽しい話」だけにしてた。しんどさは、見せない。心配は、かけない。俺の中では、それは優しさだった。
彼女は、見抜いた。
「──最近、楽しい話しか、してくれてないよね」
……。
その一言を食らった瞬間、俺の脳内で、三年半前の音声が、再生された。
『で、しんどい話は、いつしてくれるの?』
同じだ。同じ場所を、突かれてる。俺は、あの夜から、目録を書いて、逃げないと誓って、一段目を登ったはずだった。なのに、しんどい時に真っ先に閉まるシャッターは、まだ、俺の中に、あった。
昔の俺なら、ここで「ごめん、気をつける」と言って、綺麗に畳んだと思う。畳んで、また閉めた。
その夜の俺は、畳まなかった。
「……閉まってた。ごめん。──で、あのさ。今から、しんどい話、するから。長いし、まとまってないし、聞いてて楽しくないやつだけど」
「うん」
「……ほんとに長いよ」
「うん。──朝まであるよ」
俺は、話した。
仕事のこと。古い癖のこと。昔、同じことを言われて、人を失ったこと。目録のこと。栓のこと。
そして、話しながら、初めて言葉になったことが、一個あった。
「……俺、多分ずっと、怖かったんだよ。断られることが、じゃなくて。無視されることが、でもなくて。──俺には価値がないって、証明されることが。夜の街で三年、数字を積んでたのも、多分、あの証明が来ないように、反対の証拠を毎晩集めてたんだ」
言った瞬間、自分で、はっとした。
三年、分解し続けた男が、一番奥の部品を、初めて、人の前で取り出した音だった。
彼女は、笑わなかった。驚きもしなかった。ただ、頷いて、言った。
「うん。──言えたね」
……全部じゃない。全部は、まだ話せなかった。でも、シャッターの内側の在庫を、初めて、人前に、並べた。
まとまってない話を、彼女は、朝まで聞いた。途中で寝落ちして、起きて、「ごめん続けて」と言って、また聞いた。
修羅場ってのは、避けるものだと思ってた。
違った。
修羅場ってのは、半分こする場所だった。
揉めて、開けて、聞いて、聞かれて、朝が来て──それでも続いてる、ということの手触りを、俺はこの時期、生まれて初めて、両手で確かめてた。
無敵じゃない男の生活は、重くて、壊れ物だらけで、そして、あったかかった。
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