第83話 元栓
さて、いい話が続いたので、怖い話をする。
彼女と会うようになって、数週間後。俺は、自分の中で、聞き慣れない音がするのに気づいた。
きゅる、きゅる、という、固い何かが緩む音。
──元栓が、回ってた。
俺が締めて、見つけて、でも開けられずにいた、あの期待の元栓。それが、彼女と過ごした夜のたびに、勝手に、少しずつ、緩んでいく。
管に、水が通り始める。
最初に来たのは、いい水だった。次に会う日が、楽しみになる。連絡が来ると、嬉しい。──期待、というやつだ。三年ぶりの。
でも、諸君。栓ってのは、都合よく片方だけ開けたりできない。
いい水と一緒に、あれも、来た。
──返事が、遅い夜。
たった数時間だ。数時間、遠話の札が光らないだけ。凪の男なら、風呂入って寝て終わりの案件。
なのに俺は、その数時間、そわそわしてた。何か変なこと言ったか? 最後の一文、軽すぎたか? ……この、みっともない思考の連鎖。知ってるぞ、これ。世間ではこれを、**不安**と呼ぶ。
(うわ。うわうわうわ。久しぶりだなお前!! 三年ぶりか!?)
《……確認です、ミナモ》
システムが、静かに言った。
《栓を、閉め直しますか。──手順は、あなたの体が、覚えています》
──閉め直せる、のだ。実は。
やり方は、体が覚えてる。期待をやめればいい。「別にどっちでもいい」に戻ればいい。そうすれば不安は消える。無敵に戻れる。あの、ガラスの内側の、輝いて温度のない世界に。
俺は、携帯を置いて、天井を見て、しばらく考えた。
不安。心配。そわそわ。失望の可能性。悲しみの可能性。──栓を開けるってことは、この全部を、また在庫することだ。三年間、倉庫を空にして無敵だった男が、また、壊れ物を抱えて歩く生活に戻るってことだ。
怖かった。
正直に、怖かった。
でも。
倉庫が空の男の朝が、どこだったか。俺は、もう知ってる。
「……開けとくか」
《……了解しました。──良い判断かと》
数時間後、返事は普通に来た。「ごめんなさい、残業でした!」。それだけだった。それだけのことに、胸のどこかが、ちゃんと、ほどけた。
──ほどける、ためには。
先に、握ってなきゃ、いけないんだよな。
三年間、俺は何も握ってなかったから、何も、ほどけなかったんだ。
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