第72話 断酒
酒も、止めた。
順番としては、こっちの方が体に直結してたから、先に書くべきだったかもしれない。でも実感の順番は、こうだった。街を止めたら、酒の役目が、剥き出しになったのだ。
街に出ない夜、俺は缶に手を伸ばした。伸ばして──気づいた。
(……あれ。俺、今、何を消そうとした?)
今までは、消す対象が分かりやすかった。回りすぎる頭。研究の興奮。夜の残響。でも今夜の俺は、家にいて、静かで、消すべき騒音がない。
ないのに、手が、伸びてた。
つまりこの手は、騒音を消すための手じゃなかったのだ。手持ち無沙汰そのものを消すための手だった。時間という、素面では長すぎるものを、早送りするための。
「…………やめだ」
缶を、冷蔵庫に戻した。
──ここから先の日々を、綺麗な物語にはしない。正直に書く。
戻した缶を、三日後に飲んだ。飲んで、自己嫌悪して、また止めて、二週間持って、また一本飲んで、その一本で止まった夜もあれば、止まらなかった夜もあった。断酒ってのは、スイッチじゃない。天気だ。晴れの日を、一日ずつ数えて増やしていく作業。
その作業の中で、俺は一個、でかい発見をした。
「いつでも戻れる」の正体だ。
酒を止めてる間、俺の頭は何度もこう囁いた。──いつでも飲める。今日飲まないだけ。俺は酒に勝ってるから、いつでも戻れる。
街を止めてる間も、同じ声がした。──いつでも戻れる。技は錆びない。俺はいつでも、あの夜に戻れる。
……気づいたか?
「いつでも戻れる」ってのは、戻らないための麻酔じゃなかった。逆だ。あれは、離れきらないための、命綱だったんだ。戻れる、と思ってる限り、俺は本当には、離れてない。ホットスタンバイってのは、待機って意味じゃない。
繋がれてる、って意味だったんだ。
エンジンを温め続けてる限り、俺はずっと、あの滑走路の上にいる。
断つってのは、エンジンを切ることだった。切って、冷えて、かからなくなるかもしれない恐怖ごと、引き受けることだった。
三年かかった、と先に言っておく。この章の中では数話で書くが、実時間で、三年だ。
天気を、千日ぶん、数えた。
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