幕間六 ある契約狩りの夜明け
※この幕間も、俺じゃない誰かの話だ。彼女の名前は、書かない。
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四時半。仕事が終わる。
仕事、という言葉を、私は使う。実際、仕事だからだ。労働時間があり、経費があり、リスク管理があり、確定申告はないが売上管理はある。世間がこの仕事を何と呼ぶかは知ってる。私は「契約」と呼んでる。その方が、正確だから。
今夜の客は、悪くなかった。話が長いだけの、寂しい人だった。寂しい人は、悪い人より、ずっと多い。この仕事を始めて分かったことの一つだ。
帰り道、いつものコンビニで、いつもの買い物をする。水と、ゼリー飲料と、明日の朝のパン。
レジの前で、通帳の数字を、頭の中で更新する。
あと、七ヶ月。
七ヶ月で、目標額に届く。専門学校の、二年分の学費と、最初の半年の生活費。誰にも借りない。誰の名前も書類に書かせない。全部、自分の金で行く。そう決めた日から、私は数字を数え続けてる。日数と、金額と、あと何回、で。
数えることは、味方だ。数えてる間、私は、目的のある人間でいられる。
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店を出たところで、それを見つけた。
路地の入り口に、男の人が、倒れてた。
一瞬、心臓が跳ねる。この時間のこの街で、倒れてる人間は、見慣れてる。見慣れてることと、平気なことは、別だけど。
近づくかどうか、三秒、考えた。
私の頭の中の会議は、こういう時、すごく事務的に進む。(酔い潰れ?)(服装からして、堅気か、遊び人)(呼吸は)──胸が、上下してた。生きてる。(吐いてない)(頭、打ってなさそう)(顔色、悪いけど死ぬ色じゃない)
……ただの、飲みすぎだ。
放っておいていい案件だった。この街の夜明けには、こういう人が、定期的に発生する。私の仕事でも、責任でもない。
なのに、足が、止まってた。
理由は、多分、その人の顔だった。
見覚えがあったのだ。前に、駅の方で、よく声かけをしてた人。私たちの間でも、ちょっとだけ話に出たことがある。「あの人、ちゃんとしてるよね」って。声のかけ方に、無理やりがない人。断ったら、ちゃんと引く人。私たちは、そういうのを、ちゃんと見てる。見るのが、仕事みたいなものだから。
その人が、路上で、潰れてた。
「……何やってんの」
誰にともなく、呟いた。
私は、コンビニに戻って、水を一本、買い足した。五百ミリの、ただの水。それを、彼の横の、目を覚ましたら絶対に視界に入る位置に、置いた。
それだけ。
起こさない。声もかけない。救急車を呼ぶレベルじゃないし、呼ばれたら困るのは、たぶんお互い様だ。この街の夜明けの互助は、これくらいの距離感が、正しい。
「……ちゃんと、帰りなよ」
聞こえてないのは、分かってる。
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始発に乗って、部屋に帰って、シャワーを浴びた。
鏡の前で、化粧を落とした顔を見る。仕事の顔が落ちて、ただの、二十歳そこそこの顔が出てくる。この顔で、七ヶ月後、私は願書を出す。
寝る前に、通帳のアプリを開いて、今夜の分を確認した。数字が、増えてた。目標まで、また少し、近づいた。
数字は、裏切らない。
──でも、変なんだけど。
今夜、一番、胸のところがあったかかったのは、数字を見た瞬間じゃなかった。
あの、水を置いた瞬間だった。
一円にもならない。誰にも知られない。感謝もされない(あの人は、水が私からだって、一生知らない)。数えられる何もかもの、外側にある行為。
なのに、あれが、今夜のいちばん、だった。
「……なにそれ」
自分に笑って、私は目を閉じた。
七ヶ月。あと、七ヶ月。
数えながら眠る私の胸の、数えてない場所で、何かが、ほんの少しだけ、動いた気がした。
<幕間六・了>
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